04 少年従者
城内は「英雄の帰還」に沸いたが、最も感極まっていたのは少年セズナンであったかもしれない。
「え……ほ、本当ですか」
「もちろんだ」
少年の問いに〈赤銅の騎士〉シザードは答えた。
「君はもともとハサレックの従者だったのだから、彼のところに戻るといい」
それは思いがけない言葉だった。
確かにセズナンがシザードにつくようになったのはハサレックが死んだとされたためであり、何か問題があったせいではない。だがこうした配属は通常、あまりころころとは変わらぬものだ。
セズナンの方から希望を出すことなどできるはずがない。それは従者と言っても所詮は使用人に過ぎないということもあれば、彼は大いにハサレックを尊敬していたがシザードにだってもちろん敬意を抱いているということもある。
「あっ、有難うございます!」
だから騎士の方から気遣ってくれたというのは素晴らしき僥倖だった。少年はシザードが苦笑するほど感謝を示すと、顔を輝かせてハサレックの部屋に向かった。
〈青銀の騎士〉ハサレック・ディア。
セズナン少年が騎士の身の回りの世話をする使用人の座に就いたのは一年半ほど前だ。それはほんの偶然からだった。
成人したばかりの十五歳から十八歳までの少年ばかりが騎士につくのは理由がある。なまじ「大人」が騎士に近くあると、彼らは〈狼と仲良くなった鼠〉よろしく、周辺に威張り散らしはじめるのだ。
みながみなそうしたと言うのでもなく、騎士同然に高潔な人物もいれば、若くして堕落した者もいた。だが最後にその問題が生じたとき、ひとりの少年従者が実に立派な態度を取って時の王は感心させ、いささか的外れにも騎士の従者は少年とすべしと決まったのだった。
もっともそれはそれで父親たちの間に競争を生んだのだが、その手の争いは新しいものでもない。特に問題であるとはされなかった。
少年従者の習慣――「決まり」と言っても法ではない――ができてからもう長い。セズナンの世代になると、それはもう当たり前のことだった。
セズナンの父は成功した商人だが、有力者と言うにはほど遠いし有力者と親しい訳でもない。息子を宮仕えさせたく思う人間は多く、なかでも騎士の近くは人気職だ。セズナン自身憧れだったが、まず無理だろうと判っていた。どんな雑用仕事でも雇われれば運がいいと考えていた。
だが配属が決定されるその日、彼はたまたま、ハサレックと行き合ったのだ。少年は舞い上がって何か下らないことをぺらぺら喋ったのだが、それが騎士の気に入ったらしかった。いや、そうと聞いた訳でもない。ただそれ以外に、何のつてもない彼が騎士の従者に選ばれる理由が思い当たらなかった。
彼は喜び勇んで、まめに働いた。ハサレックは彼を可愛がり、ますますセズナンはハサレックを慕った。
それが、突然の悲報。
セズナンは家族を失ったかのように泣いた。悲嘆に暮れ、食事ものどを通らないほどだった。シザードはそんな彼を見かねて仕事を与えてくれたというのもある。やるべきことが生じれば動けるということもあるからだ。
だから少年はシザードには恩があるのだが、だからこそ騎士はセズナンの配属を戻したというのもあるだろう。
懐かしい部屋。ハサレックの「死」以来そこは空き部屋になっていたが、〈青銀の騎士〉は再びここに戻ってきた。そしてセズナンも。
しかしながら――。
少年は緊張した。どんな顔をして騎士の前に立てばいいのだろう。どんなことを言えばいいのか。
それが決まらない内だった。部屋の扉が叩かれることなく開いたのは。
そのようなことをするのはほかでもない、部屋の主だった。誰もいないと思ったのだろう、彼を見て少し驚いた顔をする。
「おっ、おか、お帰りなさいませハサレック様っ」
考えるより先に出てきたのはごく普通の挨拶だった。
(ああっ、違う。僕はこんなことを言いたいんじゃなくて)
「セズナン」
ハサレックは少年を認めると笑みを浮かべた。
「久しぶりだな」
「はっ、はいっ」
「息災だったか」
「はいっ、おかげさまでっ」
「留守にしていた俺の『おかげ』ということもあるまい。――ジョリスやサレーヒのおかげ、と言うのではないか」
いま城内ではジョリス・オードナーの名は微妙な扱いであったが、ハサレックは気にしないように口にした。
「確かに騎士のみなさま方はご活躍でした。でも僕はずっと」
セズナンはこみ上げてくるものを覚えた。
「ハサレック様のこと、心の支えにして」
「……セズナン」
〈青銀の騎士〉は彼を純粋に慕う少年に近寄ると、前にもよくしていたようにその頭を撫でた。セズナンはますます泣いた。
「ご無事で」
彼は何とか涙をこらえようとしたが巧くいかなかった。
「ご無事で……何よりです……」
「心配をかけたな。だがこの通り、ぴんぴんしてる」
騎士は両手を上げた。
「帰れなかったのには事情があった。詳しくは話せないが」
「かっ、かまいません、そんな!」
涙を拭うとセズナンは首をぶんぶん振った。
「でも、ハサレック様のおかげで城内も明るくなります。ジョリス……様のこと……みんな驚いてて」
咎人とされても、ゼズナンにはジョリスを敬称抜きで呼ぶなどできなかった。彼ばかりでなく、実際にジョリスを知るほとんどの者が同様だった。
「ジョリスか」
ハサレックは顔をしかめた。
「俺がいれば、斯様な真似は絶対にさせなかったが。巧くいかないものだな」
「はい……」
セズナンはうなだれた。
「だがセズナン、いま城内ではもっと深刻な事情が存在する。俺が戻ったと喜んでくれるのは嬉しいが、あまりはしゃがぬようにな」
「あ……はっ、はい」
少年は顔を赤くした。王が重篤だと言うのに「明るくなる」もない。
いくら城に上がる使用人と言えども、「国王」という存在の遠さは城下の人間とあまり変わらない。王の負傷に彼も驚いたし不安になったが、ハサレックのところに戻れるという喜びが、確かに彼をはしゃがせていた。
「申し訳、ありません」
「俺の前ではかまわんさ。だが小うるさいのもいるからな、気をつけろよ」
片目をつむって騎士は言った。セズナンは照れ笑いを浮かべた。
そうして以前のように彼は〈青銀の騎士〉の部屋をきれいにしたり、ちょっとした言付けを頼まれたり、忙しい主人のために食事を運んだりする日々に戻った。嬉しくて仕方なかった。
そんなふうに彼過ごし、戻ってきた日常に慣れ出したあるとき、訪問者がやってきた。
それは少年を驚かせる人物だった。
「ハサレック殿は」
「い、いらっしゃいます」
セズナンは少し緊張して答えた。と言うのも、その人物は――国王ほどではないにしても――遠い存在だと感じていたからだ。
以前には一度もなかった。宮廷魔術師がハサレックを訪ねてくるなんて。
「ハサレック様、コルシェント術師がいらっしゃいました」
少年は騎士に告げ、魔術師を案内した。
「これは、術師殿。ご足労を」
〈青銀の騎士〉は笑みを浮かべて言うと、ちらりとセズナンを見て、下がるよう指示した。セズナンは頭を下げて従い、部屋の外に出た。