03 誰も彼もが
「何もコルシェントを贔屓した訳ではない。コルシェントの強攻策の方が向いていると思っただけだ」
「神殿が処置しきれずにいた件の会を魔術師が片づけてしまったとなれば、祭司長だけではない、国中の神官が面白く感じません」
「だったらどうなのだ?」
苛ついたようにレヴラールは問うた。
「キンロップの体面のために〈ドミナエ会〉を放っておけと言うのか」
「放っておけとまで極端なことは言っておりません。ただ会の件で術師を引き立てたならほかの件で祭司長をと」
「ふん、考えておく」
唇を歪めてレヴラールは応じた。
「お前とサレーヒは、何だか似ているな」
「サレーヒ殿ですか?」
「ああ。大いに口出ししたいところがあるのに、立場や身分を考えて黙ろうとする。だがそれを隠し切れていない。正義感と忠節のせめぎ合いというところか?」
「……時には苦言を呈するのも忠臣の務めと存じます」
「ふん」
その言葉にレヴラールは嫌そうな顔を見せた。
「あの男のようなことを言う。お前もサレーヒも……誰も彼もが奴の影響下という訳か」
「私は騎士ではありません」
まずグードはそう返した。
「『あの男』とは――ジョリス殿の」
「うるさい」
レヴラールは遮った。
「俺の前でその名を出すな」
自らほのめかしたことなどなかったかのように王子は禁じた。
「どうせ、お前も言うのであろう。白光位の剥奪は行き過ぎだったとでもな」
「その話を知ったのは、ウーリナ様をお送りする途上でした。街町で騒ぎになっておりましたが、何でもないことのように振る舞っておきました」
「ではウーリナは知っているのか?」
「判りかねます。従者のなかには触れの札を見た者もいるでしょうが、罪人の話を王女殿下にお伝えしたかどうかは」
「成程」
レヴラールは鼻を鳴らした。
「『ジョリス・オードナー』を直接には知らぬラシアッドの民であれば、あの触れに『信じられない』などと思うことはない」
ウーリナの従者たちがジョリスを罪人と判断しただろうという報せは、王子を少々満足させた。
「誰もがそう考えればよいものを。いまだに信じないと言い張る者、はっきりと口にはせぬまでも、そう思っている者は大勢いる。みな、同じことを思っているかのようだ。もしあやつが王家の宝を持ち出したのが事実なら、それは必要なことだったのだ、などと」
「彼は、みながそう信じるだけの人物だということです」
静かにグードは口を挟んだ。
「信じていたが、裏切られた。違うか?」
王子はばんと卓を叩いた。
「この裏切りを思うとはらわたが煮えくり返るのは、この国で俺ただひとりなのか!?」
「殿下」
「そんな目で見るな!」
レヴラールは怒鳴った。
「そんな、哀れむような目つきをするな」
「殿下。ジョリス・オードナーを失って痛いのはみな同じです」
「同じではない」
王子は首を振った。
「同じでは、ない。誰もがあやつに裏切られたというのにそのことに気づかず、いまだにジョリスジョリスと言っている。そうした連中の方が哀れというものだ」
彼はまるでグードを敵のように睨みつけた。グードは視線を逸らし、黙って恭順を示す礼をした。
「もはや騎士でなくなった男の話はどうでもいい。だがあやつが持ち出した籠手については、どうでもいいとは言えん」
レヴラールは顔をしかめた。
「コルシェントが行方を探っているが」
「こちらもコルシェント術師が?」
「仕方なかろう。魔術師の方が向いている」
「ですが、まだ見つからない」
「当てもなく国中を探し回るようなもので、時間がかかることであるとか」
レヴラールは椅子に深く座り直すとしっかりした背もたれに身を投げ出し、大きく息を吐いた。
「俺とて箱の中身は見たことがないが、話には聞いている。売り払うにも目立ちすぎるだろう。その辺りの戦士が身につけるようなものでもない。巡り巡って騎士や王城に献上するという話が出てくるかもしれん」
「それを待つのですか?」
「ただ待つとは言わん。その可能性は十二分にあるというだけだ。それより早くコルシェントが見つけることを期待してはいる」
「アバスターの籠手」
グードは呟いた。
「ひとつ、気にかかることがございます」
「言ってみろ」
「橋上市場付近で、ウーリナ様をお探ししていたときのことなのですが」
思い出そうとするようにグードは目を細めた。
「三人の男がウーリナ様を取り巻くようにしていました」
「何? 危険なことがあったのか?」
「いえ、そうではありません。最初は上流階級の娘と見て取って不埒な真似をしようとした小悪党かと思ったのですが、ただ行き合って話をしていただけのようでした」
「それがどうした」
判らず、レヴラールは首をひねった。
「その内のひとりが、左手に、こう」
グードは自身の左腕を肘から手の甲まで撫でるようにした。
「全体を覆うような包帯をしておりました」
「包帯?」
「そのときは気になりませんでした。ですがあとになってみると、気にならなかったことが気になりまして」
「どういうことだ?」
「そのような包帯を見たら『怪我をしているのだろう』『骨でも折ったのだろうか』と思うところでしょう。しかし私はそうとさえ思わなかったのです」
考えながらグードは言った。レヴラールは黙って聞いた。
「あとになってふと思い出し、奇妙に感じました。考えた末、魔術という可能性に思い当たりました。考えすぎであるかもしれませんが」
「続けろ」
レヴラールは両腕を組んだ。
「魔術であると仮定するなら、そこまでして隠す理由は何か。負傷ではあるまいと。それ以上のことは憶測の更に憶測になりますが」
「ちょうど、籠手のような大きさだった?」
王子は先取った。剣士はうなずいた。
「どんな人物だった。戦い手のようか」
「いえ、心得があるようには見えませんでした。ごく普通の若者で、確か」
グードは目を細めた。
「名をオルフィと」
「オルフィ……?」
王子もまた碧眼を細くする。
「何者だ?」
レヴラールはオルフィと話したことを忘れた訳ではなかった。しかし彼にとってあの邂逅の相手は「ジョリスと南西部で話したと言う田舎者」であり、その名は記憶のなかになかった。記憶しようとしなかった、と言うのが正しいかもしれない。
「申し上げましたように、ただの若者としか見えませんでした。腕のことも思い過ごしやもしれませんが……」
「気にならなかったことが気になる、と」
「はい」
「ふむ」
レヴラールは口の端を上げた。
「念のために調べるとしても、何日も前に橋上市場で見たというだけではいまどこにいるのかも判らんな。一応、コルシェントに知らせるとしよう。魔術師としてあやつが何か引っかかれば捜索も行おう」
「やはりコルシェント術師ですか」
「ほかにどうしろと?」
王子は肩をすくめた。
「いえ。ただ」
「『キンロップにも気遣え』か。判ったと言ったはずだ」
レヴラールはグードの言葉を先取った。
「籠手のことですが」
それから剣士は主人の様子をうかがうようにしてから続けた。
「何のためにジョリス殿が持ち出したのか、そのことは、まだ……?」
「判らぬ」
ジョリスの名に少し顔をしかめたものの、先ほどのように怒鳴ることはなく、レヴラールは首を振った。
「永遠に判らぬであろう。当人が説明することがないのだから」
「ですが、それでよいのでしょうか」
「何?」
「殿下とてお思いにはなったはずです。ジョリス殿が箱を持ち出したのには何か理由が」
「理由があろうとなかろうと、もはやどうでもいいと言っている」
レヴラールは遮った。
「お前までもがそう言うのか。ジョリス様は間違ったことなどなさらないと、狂信的な信者のように」
「そうは申しません。彼も人の子。誤ることもありましょう。ですが自らの利益のためでないことだけは」
「もういい。その話は聞き飽きた」
苛々と彼は手を振った。
「サレーヒが言うのはまだ判る。だがキンロップまで俺が早計であったように言う。余計なことを口にせぬはコルシェントとハサレックくらいだ」
「――ハサレック殿が?」
「意外か? 確かにあやつらはナイリアンの双刃などと言われ、親しくもあったようだからな。俺もまた糾弾されるものと思っていた。しかしあやつは理をわきまえている。……白光位をちらつかせてやったのが奏功したかもしれんが、な」
「何ですって」
「言うな」
しまった、とばかりにレヴラールは顔をしかめた。
「賢しいつもりだけの忠告は要らぬ。俺は俺が正しいと思った方法を採るだけだ」
「しかし」
「グード」
レヴラールは再び護衛剣士を睨んだ。
「騎士の選定に落ちたお前がこうして宮廷に上がっていられるのは誰のおかげだ? それを忘れるな」
厳しく王子が言うとグードは黙り、目を伏せた。
「――ご恩は忘れません」
「それでいい」
うなずいたレヴラールの頬は紅潮していた。怒りのためか、それとも言うべきではないことを口走ってしまったことへの後悔のためだったか。
グードはもう一言も反駁せず、降りた沈黙が重くなり出した頃、王子は短く退出の命令を口にした。