02 王子の騎士
「でもそれで、判ったこともございますわ」
彼女は顔を上げた。
「残念な結果になったらお兄様が迎えにきて下さると仰ったんです。わたくしはそれが、わたくしがレヴラール様に嫌われてしまったらという意味だと思ったのですけれど、レヴラール様のお妃になるというお話はまだきちんと決まっていませんでしたのね」
「ロズウィンド殿下が?」
どうやら理解してもらえたようで安心したが――駄々をこねられたら困ると思ったのだ――それよりも意外な言葉が気になった。
「いえ、二番目の」
「成程」
王の代行をしている第一王子がいまや気軽に他国へやってくることもできまい。対して、二番目ならば動きも取りやすかろう。
「結果という意味では、しばらく待っていただくほかはない。それまで貴女には好きなだけこの城に滞在していただこう。生憎の事態である故、ウーリナ殿の歓迎の宴を開くことはできないが、歓迎の意図がないとは思わないでほしい」
「まあ。もちろんかまいません。わたくしこそ、大変なときに伺ってしまって」
姫は恐縮したが、父レスダールの負傷も〈ドミナエ会〉と黒騎士の騒動も、無論ウーリナのせいではない。レヴラールは手を振った。
「城内でのんびりされてもよいが、ナイリアール見物もよいのではないかな」
彼はひとつうなずいた。
「そちらの兵では街のことは判るまい。こちらから護衛をつけよう。無論、信頼できる兵や侍女を伴っても何も問題はないが」
ラシアッドの人間を排除しようとしていると思われないよう、彼はつけ加えた。ウーリナがそんなことを考えるとは思わなかったが、付き添いの者たちまでみなぼんくらだとは限らない。穿って考えれば、国での地位を隠して一兵士や一召使いのような顔をしている間者もどきがいないとも限らないのだ。
橋上市場では大失態を犯しているウーリナの護衛であるが、あの場所の人混みは尋常でないと聞く。そこは割り引いて考えねばならない。何も「公正に判断するべし」などと思うのではなく、下手に侮ってしっぺ返しを食らうのはご免だという辺りだ。
「まあ、ご親切に」
ウーリナはにっこりと微笑んだ。レヴラールの言葉を表面的以上に受け取っている様子はない。のほほんとした様子が演技であれば大したものだ。
「グード様がいらして下さるのかしら?」
王女の目が王子の後ろにずっと控えている剣士に向いた。グードは何も言わず目を伏せて、主人たるレヴラールの返答を待った。
「……いや。そうだな、サレーヒに頼もう」
「サレーヒ様?」
「お聞き及びだろうか。ナイリアンの騎士だ。〈赤銅〉の位を持つ」
「まあ、騎士様!」
彼女は目を輝かせ、手を合わせた。
「ええ、お聞きしておりますわ。ナイリアンの素晴らしい騎士様方のお話。わたくし、〈白光の騎士〉様と仰る方にお目にかかるのが楽しみでしたの!」
無邪気に彼女は言い、レヴラールは表情を強ばらせた。
「あっ、レ、レヴラール様の次に、ですのよ?」
何を勘違いしたか、ウーリナはそう言い訳をした。
「生憎だが、姫。いまのナイリアンに〈白光の騎士〉は存在しない」
固い声でレヴラールは言った。
「その銘を手にしていた人物は、その座に相応しくないと判断された」
「まあ」
ウーリナは知っているのか知らぬのか、ただ目をしばたたかせた。
「――滞在の間は、ご不自由のないようにさせよう。必要なら城の侍女もつける。従者たちもナイリアール見物ができるよう取り計らおう。休暇だとでも思ってごゆっくりされるといい」
王子はそんなことを言って話題を戻し、しばし当たり障りのないやり取りをした。ウーリナはときどき妙なことも言ったが――先ほども口にした、茶杯が嬉しがっているというようなことだ――レヴラールは彼女なりの詩的な表現なのだろうとでも思って聞き流すことにした。
重要な話を避けた会見に重大な局面などはもちろん生じず、和やかだがあまり中身のない時間が過ぎてゆくと、王子は礼儀を失しないようにしながらウーリナの退室を促した。ラシアッド王女はお喋りが過ぎたことを謝罪して、にこやかに王子の部屋をあとにした。
「ふう」
ウーリナと侍女が姿を消すと、レヴラールは息を吐いた。
「あれはずっとあんな調子か」
「概ね」
「のんびり姫の異名を取る、カルオス男爵の末娘より酷い」
「その比較についての意見は控えます」
穏やかに低い声を発したのは、濃い色の髪をした、三十前後の男だ。
ナイリアンの兵士、中隊長級の制服を身につけているが、彼はいささか特殊な地位にいた。王子レヴラール専属の護衛という位置である。
それはもともと正式な地位ではなかった。グードはもともと正規軍の兵士で、能力を買われて小隊長にまでなったが、とある出来事をきっかけにレヴラールに「拾われた」。
彼を傍らにと言うのはほとんど王子のわがままだったが、レヴラールにそれくらいの自由は許された。
グードはナイリアンの兵士でありながら、各隊長や軍団長の命令に従う義務はない。そういう意味ではその地位は、部下を持つこともなければあまり強い権力も持たなかったが、ナイリアンの騎士に似ていた。
王子の命令にだけ従うグードは時に「王子の騎士」と呼ばれた。
もっともそれは、影の呼称だ。一種の揶揄を伴った――。
「遅くなったが、ご苦労だったな。お前も少し休むといい」
「お気遣いは有難いですが、休息は充分いただいております」
「そうか、それなら少し話すとしよう」
王子は嘆息した。
「ウーリナを連れる過程で、何か気になることはなかったか」
「と仰いますと」
「具体的に言えば、地位なき一兵士や侍女と思える人物に、ほかのラシアッド人が配慮しているような様子はなかったか、ということだ」
「間諜が紛れ込んでいると?」
「あの姫をひとりでナイリアンに投げ込んで本当にラシアッドのためになると、ラシアッド王なりロズウィンド王子なりが思ったのなら、どうかしている」
投げやりにレヴラールは言った。
「特に目立つ人物がいるとは感じませんでした。もっとも、注意して見ていた訳ではありませんが」
申し訳ありませんとグードは頭を下げた。王子は手を振る。
「かまわん。いたところでせいぜい王女への助言者というところだろうし、仮に何かナイリアンの秘密を探ろうと言うのであっても、特に知られて困ることもない」
「黒騎士のことは」
そっとグードは尋ねた。
「少し前であったなら、いささか気になったな。だがもう片づくところだ。ハサレックにはもう会ったか?」
「いえ」
まだですとグードは答えた。
「私の立場では特に、騎士殿方と語らうこともありませんので」
「だが、驚いたろう」
「ええ、驚きました」
剣士は認めた。
「いったい何故、これまで城に連絡ひとつ入れずにいたのでしょう」
「〈世間を欺きたければまず隣人を騙せ〉というところだな。〈ドミナエ会〉に自身の生存を知られまいとしたのだろう」
「しかし〈ドミナエ会〉が認知されていたよりも危険な集団だということは伝えられるべきでありました」
「俺に言うな。ハサレックに言え」
興味なさそうに王子は手を振った。グードは少し渋面を作った。
「何だ? 何か文句があるのか」
「いえ」
剣士は表情を消した。
「何も」
「ふん」
レヴラールは唇を歪めた。
「ハサレックの帰還が気に入らないのか?」
「いえ、そのようなことは決して」
「では何だ。思うところがあるのならば言え」
「……国民の安全に関わることです。コルシェント術師に全面的に任せきりというのはどうかと」
控えめにグードは言った。レヴラールは肩をすくめた。
「任せきりになどしない。指針は与えるし報告もさせる」
「ですが現状では、術師が思うままにことを行い、都合よく報告をするか、または何があっても『仕方のないことだった』という状況を作り出すことは可能です」
「〈ドミナエ会〉が殲滅されるのならそれでもかまわんだろう」
「祭司長のこともお考え下さい」
「キンロップの面子を潰したと、そういうことを言っているのか?」
「その通りです」
グードはうなずいた。
「ただでさえおふたりは競い合っている。そこに片方を贔屓するようなご指示を出せば、当然、もう片方は面白くないでしょう」