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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第4話 悪魔の導き 第3章
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08 漆黒の騎士

 風が、嫌な臭いを運んできた。

 血の臭いだ、と彼は感じた。

 人間を殺傷することは、あまり多くない。ヴァンディルガ国とのいざこざが頻発する時季は別として――西国の王は収穫期の終わる頃になると、魔物の掃討と称して間にある小国に兵を進めた。暇を持て余すんだろう、と性質(たち)の悪い冗談が口にされた――国内の山賊退治などはたいてい、各砦の兵士たちでこと足りるからだ。

 ずる賢い首領が出て山賊団を大きくし、兵たちの手に負えなくなることもあるが、そんなことは数年に一度あるかないか。定期的に大きな街道やヴァンディルガ、カーセスタとの国境を巡回する仕事は、たいてい平穏そのものだった。

 もちろん、たまには大捕物もある。人殺しを繰り返すような凶悪な咎人が現れ、首都が大騒動に陥ることも。

 だがそれに対しても、町憲兵隊(レドキアータ)だけで充分と言える。厳しい訓練を日々こなす彼らは、そのような悪党に後れを取ることもない。

 では、ナイリアンの騎士は何のために存在するか。

 もともとはやはり、戦のためであっただろう。西と南の国境を警戒するのは、過去に大きな戦があったからだ。

 彼ら騎士は個人としての能力が非常に高い、選ばれた精鋭だ。それは単純に戦い手として「性能が高い」ということだけを意味しない。ろくに剣も振るえない貴族の若殿を将に置いても兵士たちに侮られるだけだが、騎士の強さと高潔な人格は誰もが知るところであり、彼らが率いれば兵士たちは奮い、民たちも安堵する。

 戦があるからこそ、ナイリアンの騎士は生まれた。

 ならば、平和である昨今は。

 彼らの存在意義はあるのだろうか?

 ある、と言われる。「ナイリアンの騎士」という存在が国内と、そして近隣諸国に高名である以上、犯罪と戦の抑止になる。戦いそのものを好む力馬鹿の戦士か、自らの力を過信した愚か者でもない限り、強い相手にわざわざ立ち向かおうとはしない。

 となれば、戦わぬために騎士は研鑽しているのか。

 現状は、そういうことになる。ナイリアン国自体が他国に戦を仕掛けることになればまた別だが、「高潔な」騎士たちは、兵士の命が失われたり民の暮らしが乱れたりすることのないよう、王を思いとどまらせようとするだろう。

 ナイリアンの騎士。

 その存在に意味がないとまでは言わない。

 だが時折、考えることはあった。

 ――何のために?

「『個人』で考えるからだ」

 誰かが彼に言った。

「自分の力が何の役に立つのか。私とて、思うこともある。技を磨き、より高みを目指して、何が得られるのかと」

「お前が?」

 彼は意外に思って問うた。

「私にだって、迷いはあるさ」

 相手は笑った。

「だがそうしたとき、思い出すのだ。南方に広がるサリアサの谷――あの美しい光景を。はしゃいで遊び回る子供たちの姿を。つらいことがあっても笑って日々を送る人々のことを」

「国と、そして民を守るため、という訳か」

「端的に言えば、そうだ」

 彼の言葉に相手はうなずいた。

「悩みを知らぬ者の言う、きれいごととも聞こえようが――」

「そうは言わない」

 彼は片手を上げて遮った。

「お前は悩んだ末、そこに戻ってきたのだろう。それは判る」

「そうか」

 相手は少し嬉しそうな笑みを見せた。

「王陛下のご命令に従い、ナイリアン全土を平穏に保つ。残念なことに、全ての悪しきことを駆逐することはできずにいる。悪党を捕らえ、罰しても、全てが解決する訳じゃない。人が罪を犯すのは満たされない何かがあるからであり、そこをどうにかしなければ必ず次の罪が生まれる」

「物質的な支援はできる。極端な不作も、大雨による被害も、国中が一度に困窮するのでさえなければ、富めるところから回すことが可能だ。限界はあるが」

「そうだな。限界がある」

 相手は同意した。

「しかしたとえて言うなら、『ここが限界だ』と諦めることなく、その幅を拡げるのも我々の仕事だ」

 たとえ、と彼は続けた。

「無理と思えるご命令が下ったとしても、従うべく努力する。そうすることで、夢のような理想が実現すると信じる。我々は疑いを見せてはならないと考えている」

「どんなに理不尽な命令でも、か?」

 彼は尋ねた。相手は少し黙った。

「いや、すまん。いまの問いは忘れてくれ」

 答えがくるより先に彼は前言を取り消す仕草をした。

「……思うところがあるなら言ってほしい。聞くことくらいはできる」

 友はそっと言った。

「自分という狭い殻に閉じこもってしまうことは容易だ。ときに、それは快い。しかしそれは罠なのだ。判るか」

 よく知る顔がじっと彼を見た。

「ヴィレドーン」

「判る、と言っておこう。〈白光の騎士〉ファロー殿」

「よせ」

 ファローは顔をしかめた。

「白光も漆黒もない。いまは友人同士、酒を酌み交わしているだけじゃないか」

「しかし話すことは『騎士の存在意義について』だ」

 ヴィレドーンは肩をすくめた。

「騎士の座を拝命したそのときから、俺たちが騎士でない瞬間などないのさ」

「それは否定しないが」

 〈白光の騎士〉は少し困った顔をした。彼は笑った。

「すまなかったな、おかしな話をして。俺も本気で何か悩んでいる訳じゃない。ただ、奇妙な話を聞いたんで、少し引っかかるところがあってな……」

「奇妙な話?」

「……湖の」

 小さく、彼は呟いた。それから首を振った。

「いや、つまらない噂だ」

「〈湖の民〉か?」

 ファローは言い当てた。

「彼らが、どうかしたのか。彼らは託宣をすると聞くが、何か報せでも?」

「いや」

 ヴィレドーンは繰り返し首を振った。

「何でもないんだ」

 その様子はとても「何でもない」とは見えなかっただろう。だが彼の友は少し彼をじっと見つめただけで、それ以上は追及しなかった。

 ――あれは、ついこの間の出来事だった。少なくとも彼にとってはそうだった。

 久しぶりに友と差し向かいで語り、酒を飲んだ。もっとも酒は少量であるし、話す内容も理想論めいた、「きれいごと」だ。

 言ったように、悩んだ結果としてファローが理想に立ち戻ったのだろうということは判る。かの〈白光の騎士〉が口先だけの男でないことくらい判っているし、思春期の少年でもないのだから「中身の伴わない理想に意味はない」などと噛みつく気もない。

 中身を作ってゆく、と言っておこがましければ、中身のできる手助けをするのが彼ら騎士でもある。

 初心、理想。こうしたものは忘れられがちだ。時に意図的に時に無意識下で、人はそれらを捨てていく。真っ白だった頃に戻ろうとしても、本当にしみひとつなかった心に戻ることはできないのだと気づいて自嘲する。

 自嘲して、背を向ける。目をつむる。理想に燃えていた頃の自分を忘れようと。

 だが、ファローはそれに立ち向かい、打ち勝った。いや、そのふりをしているだけかもしれない。だとしても、誰しもが目を背けがちな迷いに挑むだけの強さがあった。

(俺は?)

(俺には、そんなことができるのか?)

 強く在りたいと思う。

 ずっと思ってきた。

 〈漆黒の騎士〉という素晴らしい地位に就いても、その気持ちは収まるどころではなかった。

 もっと、もっと。


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