06 都合ってもんが
「お前は〈はじまりの湖〉エクール湖に棲まうとされる湖神エク=ヴーの神子だ」――と言われたところで「へえ、そうだったんですか」と納得できるものではない。
カナトも当然、何かの間違いだと主張した。
「僕の背中に、しるしなんてなかったんですよ?」
「誰も言わなかっただけだろう。あったんだ」
「確かに、たまたま風呂を一緒しただけの人が指摘をすることはないかもしれません。オルフィだって気を遣って黙っていたんだと言われれば、そういうことも有り得るかと思います。でも子供の頃は僕だって裸になって水遊びとかしたんですよ。ほかの子供が見れば、絶対に言うと思いませんか?」
「まあ、それは言うかもしれんな」
シレキは不承不承同意した。
「それに僕のお師匠は僕に気遣う必要はないし、あんなものがあれば絶対、言うはずです」
「何でそう思う」
「守り符ですよ。お師匠はあれを〈空飛ぶ蛇〉の眷属ではないかと言いました。いえ、何だと言おうがどうでもいい。あの形によく似たものが僕の背中にあったら、黙ってるはずがないです」
「まあ、そうかもしれんが」
シレキはうなった。
「過去のことはどうでもいい! いま現在! 間違いなく、あるじゃないか!」
「僕もこの目で見ましたし、あるものをないとは言いません。でもいったい、どうして」
「お前、湖の祠を見てるときに倒れたろ。もしかしたらあんとき、何か刺激を受けたんじゃないのか」
「そんな曖昧な」
「曖昧だが、魔術的には非常に納得いく推測だ」
「それは、もっともです」
今度は少年が不承不承同意した。
「でも僕が幼い頃にあの村にいたなんてことは有り得ません。言ったように故郷の村の光景は覚えている。畔の村は似ても似つきません」
「ちびっ子の頃の記憶なんて当てになるもんか」
ふんとシレキは鼻を鳴らした。カナトは片眉を上げる。
「失礼ですが、シレキさんと僕では『ちびっ子の頃』までに相当の時間差があります。僕はまだ覚えてるんですよ」
「親父で悪かったな」
「悪いなんて言ってないじゃないですか」
「『失礼ですが』と言ったろうが。言ったら悪いと思ってる証だ」
「気を悪くなさったら申し訳ないですが、という意味ですよ。年を取ると人はひがみっぽくなりますからね。お師匠なんか酷いもんです」
「……お前、何だか化けの皮が剥がれてきたんじゃないか」
じとんと少年を見ながら男はぼそりと呟いた。
「化けてなんかいませんよ。化け狐じゃあるまいし」
「それもそうだな。最初からきついときはきつかった。俺が疑わしいと俺の前で言ったり」
「実際、疑わしかったじゃないですか」
あっさりとカナトは指摘した。
「だいたい、どうして自分がラバンネルであるかのように振る舞ったんです? いまにして思うと、ずいぶん不思議な気がするんですけれど」
「あ? ああ、あれね。あれは験担ぎだと言っただろ」
シレキは肩をすくめた。
「……はあ」
いい加減な返答にカナトは肩を落とした。
「そんな顔すんなよ。俺の魔力は確かにお前より弱いが、感じ取るものはある。俺はあのとき、俺をラバンネルだと思わせるのがお前らについていくいちばんいい方法だと思ったんだ」
「それです」
少年は顔をしかめた。
「つまりシレキさんは、ラバンネル探し云々よりも僕らに……いいえ、オルフィについてこようとした。その理由が正直、まだよく判りません」
「んー、オルフィだけでもないな。お前も含めてってとこだ」
「『オルフィが運命だ』と言っていたじゃありませんか」
「それは疑わないのか?」
「ええ」
こくりとカナトはうなずいた。
「僕も感じ取ります。嘘を見破る力がある訳ではありませんが、そう言ったときのあなたには真実があったと」
「んー、何つうかな。オルフィの方が強いが、お前も含めてなんだ」
シレキは頭をかきながらまた言った。
「この際だ。少し話すか」
ふう、と男は息を吐いた。
「俺はこれまで何度も、いろんな旅人についてマルッセを出た。そいつらの共通点はただひとつ。魔術師ラバンネルを探していたことだ」
「え……」
「どうして俺が術師の名を騙ったかと訊いたな。験担ぎってのも嘘じゃないが、彼と面識がある相手かどうか、尋ねずに判る方法だってことがある」
彼は肩をすくめた。
よく知っていれば即座に否定するか冗談と思って笑う。知らなければ信じる者もいる。その場合、あまり深刻な事態になる前に、自分から嘘だったと言ってしまう。
「お前さんたちの場合、面識はなさそうだと判ったんだが、そのまま変人を装って強引について行った方がよさそうだと思ったんだ」
「だから、それは……どうしてですか?」
戸惑いながらカナトは再び問うた。
「面識の有無に、どんな関係が?」
「そこは、うーん」
彼は唇を歪めた。
「もう少し、待ってくれ」
「……判りました」
こくりと少年はうなずいた。
「でもいつか、話せるときがきたら」
「ああ。必ず」
シレキもまたうなずいた。
「いまは、いま話せることだけを話そう。俺がラバンネル術師を探すというのは正確じゃない。彼を探す人物を待ってたんだ」
「わ、判りません」
今度はカナトはそう言い、目をぱちくりとさせた。
「どういうことですか」
「予言、みたいなもんかな」
考えながらシレキは言った。
「ラバンネルを探す人物を待ち、そいつについていくことが俺の使命だと」
「やっぱり判りません」
すみません、と少年は謝った。男は笑った。
「謝るこたあないさ。判らなくて当然だ。俺ぁまだ全部話しちゃいないんだからな。だが」
シレキは笑みを収めた。
「『全部』はもうちょい、待ってくれ。俺にも都合ってもんがあってな」
「……都合」
すっとカナトは目を細めた。
「その都合が、オルフィに悪く働かないことを祈ります」
真剣な瞳で少年は言った。と、シレキはぷっと笑った。
「何が可笑しいんです?」
「だってそりゃお前、そうだろう。またオルフィか」
「だから、それの何が可笑しいんですか」
「いや、いい。悪かった。お前さんはオルフィが好きでたまらないんだな。何かや誰かを好くことに理由はなかったりするもんだ。まあいいだろうさ、若いんだしな。いまにちゃんと、もっと大事な相手ができる」
「……何だか誤解のあるような言い方ですけど」
控えめにカナトは呟いた。
「いやいや別に。クジナの恋は報われにくいぞなんて言ってない」
「言ってるじゃないですか。違いますよ。ラスピーさんじゃあるまいし」
「誰だって?」
「あ、ナイリアールで行き合った人です。オルフィや僕を可愛いと言ったり、散歩に行こうと誘ったり」
「成程、積極的な男もいたもんだな」
「もっとも、女性にも声をかけていましたけど」
「そりゃまた精力的、じゃないな、節操がないことで」
シレキは呆れたような感心したような声を出した。