05 真偽はどうあれ
「君は〈はじまりの湖〉エクール湖に棲まうとされる湖神エク=ヴーの神子だ」――と言われたところで「あら、そうだったのね」と納得できるものではない。
リチェリンは当然、何かの間違いだと主張した。
だがラスピーは間違いないとにっこり言い切り、ヒューデアは、少なくとも彼女の背中にあるあざがアミツのしるしに似ていることは確かだとだけ言って確答することを避けた。
「でも、おかしいじゃないの」
そのとき彼女はすぐに――服を着てから――反論した。
「神子がいなくなったのは十年くらい前なのでしょう? 私はもう二十歳よ。十歳のときは確実にアイーグ村にいたわ」
「十年以上だ。十二、三年というところだろう」
「それだって同じよ。私は五、六歳の頃からオルフィと遊んでいたのよ。ルシェド母さんと一緒にあの子の面倒を見たと言うか、面倒を見たつもりになっていたと言うかだけれど」
確かだわと彼女は繰り返した。
「子供の頃の記憶なんていい加減なものだ。君は数年くらい勘違いしているかもしれない」
ラスピーは気軽に否定した。
「神子に関する詳細は〈湖の民〉しか知らない。だが背中のしるしがある以上、君であることに間違いはない」
「しるしなんて、偶然じゃ」
「そんな偶然があるものか!」
呆れたように紀行家は言った。
「もっとも、信じられないのも無理はない。エクール湖へ行けば歓迎されたり、君自身が思い出したりすることもあるだろうけれど」
「そんなところに行くつもりなんかありません」
「そう言うと思ったよ」
ラスピーは肩をすくめた。
「しかし確かにしるしはある。ヒューデア君、どう考えるかね?」
「そうだな」
白銀髪の剣士は顔をしかめた。
「真偽はどうあれ、危険だと思う」
「危険ですって」
「黒騎士が神子を狙っているからだ」
「ええ?」
それは初めて耳にする話だった。リチェリンは驚いた。
「多発した子供殺しは、神子を見つけ出すためのものだった。そういう話が王城で上がっているそうだ」
「もしや、イゼフ殿からの情報かな?」
ラスピーが問えば、ヒューデアは小さくうなずいた。
「詳細は言えぬが」
「かまわないさ」
にっこりと青年は手を振った。
「重要な情報を聞かせてもらえるだけで十二分だ」
それは「もっとほかにはないのか」というほのめかしでもあった。ヒューデアは少し間を置いてから口を開いた。
「……これはまだ公表されていないが、黒騎士と〈ドミナエ会〉は繋がっていた。黒騎士は会の人間だったんだ」
「まあ」
リチェリンは口を開けた。
「どうしてそんな大事なことを公表しないのかしら?」
「国の威信というものがある、お嬢さん」
ラスピーが言った。
「黒騎士については、退治したと言っておきたいが、このあとも被害が出る可能性があるからもうひとりいることを明確にしつつ、捕縛はすぐだと言っておく。実際、当てがあるから公表しているんだと思うね」
「ちょ、ちょっと待って」
リチェリンは片手を上げた。
「当てはあるけれど、被害が出る可能性も?」
「まだ捕まえた訳ではないのだから、仕方あるまい?」
「子供が危ないのよ。判っているのなら、軍を派遣してでも早く捕まえるべきじゃないの」
王城の、いやコルシェントの「当て」がオルフィであることなど思いもよらず――当然であるが――彼女は憤然と言った。
「そうもいかないんだろう。私は先に、騎士殿が手柄を立てる予定ではないかと言ったが、つまりそういうことだ」
「ハサレック・ディアに劇的に退治させ、彼を名実ともにナイリアン一の騎士にする、ということか」
ヒューデアが低く言った。
「その通り。実際のところはもちろん知らないが、その辺りじゃないかと推測はできる」
「まさか白光位を……いや、まさか、な」
呟いてヒューデアは首を振った。ラスピーは片眉を上げた。
「生憎だが、有り得ると思うね。ジョリス・オードナーの不名誉な除名の影を払うにはいいやり方だ」
どうにも気軽にラスピーは言い、ヒューデアは彼を睨んだ。
「怒らないでくれないか。私が彼に不名誉を与えた訳でも、除名にした訳でもない」
「判っている」
とは言うものの、ヒューデアは明らかに不機嫌そうな表情を見せていた。
「ああ素晴らしきかな、白光位」
くすりとラスピーは笑った。
「大事なんだねえ、君たちには。それが、とても」
「含みのあるような言い方をするな。俺は誰が白光位であろうとかまわない。ただジョリスのことが引っかかるだけだ」
不服そうなままヒューデアは言う。ラスピーは首を振った。
「いまやオルフィ君が帰ってきて籠手を城に戻したところで、気の毒なジョリス氏の名誉は回復しない。気持ちは判るつもりだが、仕方のないことと諦めた方がいい」
慰めるような突き放すような言葉に、ヒューデアは返事をしなかった。
「しかし、黒騎士の話が本当なら、リチェリン嬢の安全を図る必要があるな」
ラスピーは両腕を組んだ。
「ありません。私は神子なんて存在ではないんですから」
リチェリンはきっぱりと言った。
「信じられなくても、本当だ」
「何かの間違いよ」
「背中のしるしはどう説明する」
「偶然です。たまたま、似ているだけだわ」
「本気で言っているのか?」
ラスピーは呆れた。
「『信じられない』と『信じない』は全く別の話だ。目をつぶってみても事実が変わる訳じゃない」
「それが事実である根拠がないと言うんです」
「背中のしるしで十二分だ」
どうやら両者のこれは〈神官と若娘の議論〉であった。確信しているラスピーと、有り得ないと思っているリチェリンでは話の交差するところ、妥協点がない。
「とにかく」
こほん、とヒューデアは咳払いし、ふたりの益のない言い合いをとめた。
「〈ドミナエ会〉はどこにいるか判らない。会には女だっているかもしれない。公衆浴場にも」
「あ……」
背中のあざを見られれば、リチェリンがどう主張しようとラスピーがしているように神子と決めつけられる。ヒューデアがそう言っているのが判った。
「この宿を離れ、ムーン・ルー神殿に入ってはどうか」
彼は提案した。
「神殿ですって?」
「もとより、神女見習いであろう」
「そうですけれど、神殿に入るということは神女の修行をはじめるということになります。そうしたら自由に時間が取れないわ」
「しかし安全には換えられない」
首を振って剣士は言った。
「神殿にいる神女ならば、まさか〈ドミナエ会〉と関わりはあるまい」
「だが神殿は神殿で、狙われているじゃないか?」
ラスピーが言った。
「それはそうだが、小火以上の被害は出ていない」
この宿よりは安全だ、とヒューデア。
「いままでなかったからと言って、今後もそうだとは限らない。殊に、黒騎士との繋がりを知られた〈ドミナエ会〉がなりふりかまわなくなったら、どうかな?」
「しかし……」
「安全な場所と言うのであれば」
にんまりとラスピーは口の端を上げた。
「私にいい案がある」