02 必ず、お礼を
(……一方、この子は)
マレサ。
青色の帽子をかぶった、少年のような少女。
(放っておけないよな、やっぱり)
生意気なことばかり言うが、子供だ。オルフィの知る南西部の子供は、彼に懐いていたこともあって可愛気のある子ばかりだったが、生意気なところも皆無ではない。正直に言えばむっとすることもあるものの、そういう気持ちはぐっと抑えるべきだと思いながらつき合ってきた。
それに、どんな腹立たしい態度を取ろうとも――やっぱり、子供なのだ。
子供だからと言って何でも許されるということはない。だが、庇護されるべき対象であることは間違いない。そもそも彼自身、そうやって叱られたり見守られたりしながら育ててもらってきた。
シレキ辺りから見ればオルフィだって子供かもしれないが、それでも成人して三年経つ。十歳になるならずの女の子を街道に放り出すなど、できるはずが。
「言っとくけどな、オレな」
「『あたし』」
オルフィは遮った。
「何?」
「女の子に見てもらいたいなら、言ってみろよ。『あ・た・し』だ」
「けっ、気色悪ぃ」
「そりゃ君が自分をどう言おうと自由だけど、男に見られて腹が立つって言うならやり方はあるだろって話で」
「そんな話じゃねえよ、成人した男が『あたしー』なんて言ってんのが気色悪ぃってんだよ」
へへんとマレサは笑い、オルフィはぐう、とおかしな声だか音だかを出した。
「俺が言いたい訳じゃない」
「それならオレだって言いたくないね!」
「あんまり叫ばないでくれないか。耳が痛くなる」
「お前が余計なこと言うからだろっ」
「なあ、マレサ」
オルフィは三度息を吐く。
「君、ハサレック様の前でもそんな態度取るつもりなのか?」
「う」
これは成功した。少女は初めて言葉に詰まった。
「ハ、ハサレック様の前では、ちゃんと、礼儀ただしく、するに、決まってる」
「その場だけやろうったって巧くはいかないもんだ」
これだ、とオルフィは押すことにした。
「ほら、試しに言ってみな。『あ・た・し』」
「あ、あた、あた……」
うううう、とマレサはうなる。
「言えるかっ。別にオレはハサレック様に女として見てもらいたい訳じゃないんだっ」
取りようによってはすごい台詞がきたが、深い意味はないだろう。
「ただ、お目にかかって……お礼を言えたら、それで」
「お礼?」
オルフィは後ろを振り返った。
「お礼って、何」
「ハサレック様に、助けてもらった、ことがある」
少し照れ臭そうに少女は告げた。
「へっ?……まさか、半年くらい前の」
〈青銀の騎士〉が子供をかばって死んだ――生きていた訳だが――というのは有名な話だ。
「違えよ、もっと前の話だ」
「そうか。そうだよな」
もしもマレサがその子供であったなら、もっと生存の報にはもっと大騒動だろう。バジャサの反応だって違いそうなものだ。
「でも助けてもらったなら会ったことがあるんじゃないか?」
「直接オレが助けてもらった訳じゃ、ないから、な」
もごもごとマレサは言った。
「二年か三年かくらい前、橋上市場が取りつぶされるかもしれないって話があったんだ」
「へえ?」
「ちょっと大きな喧嘩騒ぎが起きてさ。死人こそ出なかったけど、酷い傷を負った人もいたって」
その頃の橋上市場には兵が詰めているようなこともなく、商人たちが持ち回りで自警するという形を取っていた。露店主同士や客とのちょっとしたいざこざなどは治めてきていたが、そのときは多人数を巻き込んでの大騒動となってしまい、武力を持たない自警係では為す術もなかった。
その話が王城まで届き、王は市場の閉鎖を命じた。
橋上市場を利用していた商人たちは、それは困ると王に陳情に行った。すったもんだの末、実態を調査しに騎士が派遣された。やってきたのは〈青銀の騎士〉ハサレック・ディアだった。
ハサレックは市場を見て人々から話を聞き、正規の兵士か街道警備の人間を橋のたもとにおいてしばらく様子を見てはどうかと王に提言した。それは聞き入れられ、一定期間何も問題が起きなければ市場を存続させてよいということになった。
商人たちは奮起し、特にその期間は実に行儀よく商売をして、あの喧嘩騒ぎが市場の混雑のせいではないことを証明し、危機を乗り越えた。
――と、だいたいそういうことらしい。マレサはあまり上手に語ることができなかったものの、オルフィはおおよそのところを推測できた。
「それで『助けてもらった』か」
マレサとバジャサの父は商人ではないが、近隣の町から食料品を運んだりしている――荷運び屋という訳だ――とのことで、市場がなくなれば一家は大いに困ったことだろう。両親が「ハサレック様は恩人だ」と言うので子供たちも同じように感じているのかもしれない。
「成程ね」
いつか騎士その人に会ってお礼を言おうと、女の子は心に決めていたのだろう。もちろんハサレックには仕事であったのだし、何も同情心ではなく、市場が活性していた方が国のためになると判断しただけかもしれなかったが、どうであろうと結果は結果。マレサが彼を英雄視するようになったのも、その結果のひとつという辺りだ。
(マレサ自身が助けてもらったんじゃないにしても)
(俺の「ジョリス様への憧れ」より具体的だよな)
運命の四つ辻でジョリスに会うまで、オルフィがジョリスを崇拝する具体的な理由はなかった。〈白光の騎士〉だから、というだけだ。
「よし、判った」
オルフィはうなずいた。
「必ず、お礼を言いに行こう」
「へっ?」
「そうしなきゃ気が済まないんだろ? だから」
言いに行こうとオルフィは繰り返した。
「……何だよ、突然。いかにも『仕方なく』って感じだったのに」
「そういうつもりでも、なかったけど」
オルフィは苦笑した。
騎士に憧れる子供に手を貸してやりたい気持ちは本当にあった。ただ、帰る気になってくれればその方がいいとは思っていたこともまた確かであり、それを見破られたのだろうかとも思った。
(だとしたら、なかなか鋭い子だな)
(あんまりごまかさず、本音で話すか)
「なあ、マレサ」
「何だよ」
「俺は、ジョリス様に憧れてた。いや、いまでもだ」
「ジョリス様って、でも」
「ああ、白光位剥奪の話は知ってる。でも俺はジョリス様が悪いことをしたなんて信じない。絶対に」
嘘をついているつもりはない。ジョリスが籠手を持ち去ったことは事実だと知っているが、それは断じて彼に悪心があったのでもなければ利己的な理由からでもない。そのことにはオルフィの全てを賭けたっていい。
「でも」
子供は何か言おうとしたが、感じ取るものがあってか、押し黙った。
「だから……その」
彼がもし生きていたら、と言いかけてオルフィは咳払いをした。ジョリスの死はまだ公表されていないはずだ。
「その、もしジョリス様がどこかにいらっしゃるって判ったら、俺は飛んでいって俺にできる手助けをしたいと思う。できることなんか、あるかはともかくとしてさ」
マレサは黙っていた。
「だから、君がハサレック様に会いたいって気持ちは判るんだ。ましてや、お礼を言いたいって動機があるなら俺よりはっきりしてるよ」
オルフィは続けた。
「――俺がジョリス様の手助けをしたりすることは、できないけど」
もう、できない。
その言葉は、苦く飲み込んだ。
「君がハサレック様にお礼を言うことは可能だ。だから協力する」
「あんた……」
マレサは呟いた。
「変態……」
「『オルフィ』っ!」
名前を覚えられていないのか、と彼はがくりとした。
「オルフィ」
ゆっくりとマレサは繰り返した。
だがそのあと、特に何か続くでもなく、彼女は沈黙を保った。正直、礼の言葉でもくるかと期待したオルフィは苦笑いした。
(ま、素直じゃなさそうな子だもんな)
たとえ自分が悪いと思ってもさっと謝れない性格ではないかと感じた。
(「変態」呼ばわりがなくなるなら、それでいいってことで)
そんなふうに思うと何だか可笑しい気持ちになってきた。オルフィは声を出して笑い、マレサは「何だよ、変な奴だな」と呟いた。