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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第4話 悪魔の導き 第3章
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01 「走れ」の合図

 日射しは次第に強くなってきた。

 もう少しすると好天が気持ちいいとは言っていられなくなり、旅人は太陽神(リィキア)に呪いを吐いて木陰を求めるようになるだろう。

 幸いにして、まだそれほどではない。

 加えて、彼は普通の旅人より言うなれば有利だった。

 個人で乗るために(ケルク)を所有し、自在に操れるというのは上流階級の人間だけだ。下々が馬に触れるのは乗合馬車辺りが関の山。

 しかし彼にはその乗り物があった。

 理由は判らない。

 ひとりで馬を連れていた理由も。軽々と乗りこなせる理由も。

『何だ、やっぱり兄さんの馬なんじゃないか』

 バジャサの家を出るとき、この馬をどうしたものかと迷った。馬はクートントのようにオルフィの手に鼻面をつけ、甘えるようにした。

 そのときどうして「乗れる」と確信したのか判らない。気づけばオルフィはひらりと謎の馬にまたがっており、バジャサが驚き呆れながらもそのような台詞を口にしたのだった。

(……もしかしたら、あれだ)

(籠手の、力かも)

 という考えには少々無理があったが、オルフィはそう考えるほかになかった。

 自分が天才でないことはよく判っている。一度もやってみたことがないのに馬に乗れるはずもないし、どうすれば馬が前進し、どうすればとまるのかということすら知らない。知らなかった。

 しかし身体が勝手に動く。自然に。たとえば自分の足で歩き出すときにどうすればいいかなどいちいち考えないのと同じように。

 黒騎士と戦ったときも、彼の身体は戦い方を知っているように動いた。もちろんそれは籠手の力だとオルフィは信じている。それ以外にあるはずもないと。

 彼の身体が戦い方を、馬の扱い方を知っている、などということがあろうか?

 あるはずがないと、彼は思っていた。

(まあ、何であれ、いまは助かるってことでいいか)

 籠手の不思議な力に頼るつもりは毛頭ないが、こうして馬を使えばナイリアールに早くたどり着けることは確かだ。

(ナイリアールに戻らなきゃならない事情は、俺にはない)

(それどころかむしろ、籠手を身につけたままのこのこと戻れば捕まる可能性だってある)

(なのにどうして)

(俺はこんなに、早く戻らないとならない気持ちでいるんだろう)

 こうして馬を駆っていると、焦燥感が湧いてきた。

 一刻も早く戻って、何かをしなければならない。

 彼の、為すべきことを。

(それは、何なんだ?)

 判らない。おかしな話だ。だが奇妙な使命感だけがある。これはどこから湧いてくるのか。

(――行ってみれば判る)

(かも、しれない、かな?)

 確信も持てない。だがナイリアールに行きたいという、この気持ちだけが彼の「当て」だ。根幹の見えない指標だったが、枝葉だけであろうと見えているものにすがるしかない。

 じっとしていることなど苦手だ。成人してから三年、彼は毎日、村から村へと走り回ってきた。

 ナイリアールを逃げ出してからもひたすら動き回ってばかりだった感じがある。ラバンネルの痕跡を求めて〈導きの丘〉へ。「ルサ」について知るため、ディセイ大橋を通って〈はじまりの湖〉へ。

 今度はきた道を戻ってきているが、これまでと違うのは、何故そこへ行くのか判らないということ。ラバンネルも「ルサ」のことも結局判らないままなのに。

(判らないまま?)

(……何か、判ったんじゃなかったっけ? あれ?)

「うーん」

 オルフィはうなった。

「全く。何が何だか、さっぱりだ」

「はあ? 何だよ? 文句があるならはっきり言えよな」

 それこそ文句のありそうな声がすぐ背後から聞こえた。

「じゃ、言えば?」

 前を見たままオルフィは促した。

「どうやら君は文句があるみたいだから」

「――もっと速く走らせろよ! 馬ってのはもっとずっとすっごく速く走れるはずだろ!」

「成程」

 それが文句か、とオルフィは嘆息した。

「あのな、マレサ。俺は別に君をどうしてもつれていきたい訳じゃないの。と言うよりバジャサとの約束だと、帰さなくちゃいけないんだし」

「追い返そうってのか? はん、道を引き返そうとしたら飛び降りてやる。だいたい、たとえ連れ戻されたってどうせまた出てくるからな!」

「そうやって鼻息荒くするから、いっそのこと首都に連れてって望みを叶えてから帰してやるのがいいかと思った訳だけどさ」

 はあ、とオルフィはまた息を吐いた。

 この威勢のよい少女が仇のように地面を踏みしめながら鼻息荒く道を進んでいるのを見かけたのは、ディセイ大橋を離れて少しした頃だ。呆れてオルフィは帰るように言ったが聞く耳を持たず、いまのような子供のわがままを繰り返すばかりだ。

 彼として選べたのは三つ。

 ひとつ。見かけてしまったからには約束通り強引にでも連れ戻す。連れるのが難しければ、せめて引き返して家族に伝える。そのあと彼女が再び抜け出して何かあったところで、それはもう関係ないと割り切る。

 ふたつ。何も見なかったことにして忘れてしまう。

 三つ。とにかく首都まで付き添ってやり、復路は乗合馬車でも世話してやる。

 どう考えても三つ目は最悪だ。ふたつ目はさすがに良心が痛むが、ひとつ目で充分、責任は果たせる。

 彼に掏摸(ガーラ)の面倒を見る義理などない。バジャサとその母――マレサの母でもある――には世話になったものの、彼が保護者代わりをする必要など、全くもってほんのひとかけらたりとも、ない。

 そのはずなのだが、気づけばオルフィは三つ目を採っていた。

(こんな子供ひとりで街道を歩かせるなんて、危険もいいところだもんな)

 黒騎士騒ぎは収まったかもしれないが、似たような輩がいないとも限らない。殺されるようなことがなくても、悪党に捕まれば売り飛ばされるかもしれない。人身売買は禁じられているが、禁じられているからと言って高値の取り引きを諦める連中ばかりではないからだ。

 ましてや、女の子。売られるようなことになったら将来がつらいのは想像してみるまでもない。

(それに)

(やっぱり、判るんだ。マレサがハサレック様にお会いしたいって気持ち)

 もしもジョリスが生きていたなら。もしもそんなことがあれば、オルフィだってどこにでも駆けていきたいと思うだろう。

 死んだと言われていた〈青銀の騎士〉が生きていた、それがマレサには「走れ」の合図だった。いまここで走らなければ、あのときのような後悔が訪れるかもしれない。それを避けるために走れ。

 この女の子は「いつか」を待つのをやめた。小さな身体で走り出した。

 オルフィには少しだけ、それを応援したい気持ちもあったのだ。

 しかし――。

「もっと速くしろってば! できないのかよ? へたっぴ乗り手!」

 マレサは感謝の心など抱くつもりはないらしく、オルフィが急がないと言って大いに苦情を述べ立てている。

「できるよ」

 彼は言った。どうしてかは判らないが、できる。

「ただ、君は俺に掴まりたくないって言っただろ? そんな状態で早駆けなんかしたら、君を振り落としちまう」

「変態になんか抱きつける訳ないだろ」

「だからあれは君を捕まえるためだったんだし、だいたい」

「だいたい?」

「……女の子だとは思わなかった」

「何ぃ!?」

 ぼそりと言えば、マレサは色めき立った。

「オレの、どこをどうしたら、男に見えるってんだよ!」

「まず、その言葉遣いから直した方がいいんじゃないか」

「変態のくせに偉そうな口を利きやがって!」

「だから変態じゃないって」

 三つ目の選択肢を採ったことは間違いだったろうかと、半刻も過ぎぬ内にオルフィは後悔しはじめた。

(でもやっぱり、放り出せないよなあ)

 何とか折り合ってやっていくしかないだろう、と彼は思った。何しろ彼は「お兄さん」なのだ。

(……比べるべきじゃないだろうけど)

(カナトは実に、いい奴だった)

 思いがけない年下の同行者、それも向こうの方が積極的だ、という意味ではカナトとマレサは共通していたが、そこだけだ。

(どうしてるかな)

(爺さんのところに帰ろうとしてるかな)

(それがいい、だろうけど)

 カナトは籠手の件に何も関係がない。少年魔術師の助言はいろいろと役に立ったし、ラバンネルを探すのであればこれからも彼の手が必要だろうけれど、いままでついてきてもらっていた方が異常だったのだ。

(首都で術を使ったことはまだやばいかもしんないから、迂回した方がいいだろうけど……)

(まあ、それくらいのこと、俺が心配してやらなくてもカナトなら判るよな)

(あいつには心配なんて、何にも要らない)

(それに加えておっさんがついててくれれば)

 シレキはおかしな男だが、少なくとも彼らより「大人」だ。カナトやオルフィよりも世間を知っている。おそらくは。

 だから大丈夫だとオルフィは思った。シレキはカナトを見捨てたりしないだろう。

 シレキの目的――のひとつ――がラバンネル探しであることを忘れてはいなかった。だがどうしてかオルフィは「彼らが自分を探しているはずがない」「彼らはそれぞれの町村に帰ろうとしている」と信じて疑っていなかった。

 どうしてそんな不自然な思考に陥るのか、自分では判らないまま。


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