12 どう言えばいい
「俺が胡乱に思うのは、あれだ。きっと、汚れちまってるんだろう。お前のような少年の純粋さをおじさんはもう持ってないんだよ」
「何を急に卑下してるんですか」
「大人は汚いぞー、カナト。自分の利にならなきゃ動かないんだ」
「『大人』とひと括りにすることはないと思います。人それぞれでしょう」
だいたい、とカナトは片眉を上げた。
「シレキさんがオルフィについてきたり、こうしてオルフィを探すことにどんな『利』が?」
「そりゃ、お前」
男は肩をすくめた。
「話せばながーくなる、ふかーく、ふくざつーな事情が関わって」
「いるとは思えないですけど。関わっているってことなら、それでいいです」
「おい。お前いま、軽くあしらったな」
「シレキさんに話す気がないことが判っただけですよ」
――などとふたりは、それなりに「仲良く」、旅を続けていた。
だからカナトは、思いもよらなかった。
いや、たとえシレキとの間が巧く運んでいなくても、思いもよらなかっただろう。
橋上市場の手前にある小さな町で休息を取ったとき、いきなりシレキが彼の寝台に乗ってきて「服を脱げ」などと言い出すとは。
「おら。恥ずかしがってんじゃねえぞ」
「やや、やめて下さい。何を考えてるんですか」
掴まれた上衣を離させようと、カナトは身を引いた。
「何って、見たいのよ」
「だから、何をですかっ」
「隠すとためにならんぞ? ん?」
男は少年をがっちりと捕まえた。
「じ、自衛のためなら魔術を使っても許されるんですけど、わ、判ってますよね」
「誰がお前さんに乱暴すると言ったよ」
シレキは呆れた顔をした。
「ん?……乱暴?」
それから目をしばたたく。
「……お前、何を考えてるんだ」
「それはこっちの台詞ですっ」
噛みつくようにカナトは叫んだ。
「服を脱げだなんて、いったい何を考えてるんですか!」
「あー、だからな」
シレキは頭をかいた。
「念のため、見たいんだ」
「あのですね」
「エクールの長老の話を覚えてるだろう。正直、よく判らんところも大いにあった。だがあの婆さんが呆けてるんじゃない限り、お前もオルフィもあの村に関わりがあるんだ」
「長老が呆けているとは言いませんけれど、僕には覚えがありません。オルフィだって同じだと思います。エクール湖は全く初めてだという様子でしたし」
「覚えてないくらいガキの頃の話なのかもしれん」
男は引かなかった。
「シレキさんは、僕の出身があの村だとと思っているのですか? だから僕の故郷について訊いた?」
「まあ、そうだ」
「でも違いますよ。畔の村から北上してナイリアールへは行けません」
「そこは記憶違いってことも」
シレキは食い下がったが、カナトは首を振った。
「確かです。行く手の左に沈む夕日をよく覚えています」
「ディセイ大橋を使うなら、一旦南下する。そのあと北上することになるだろう」
「そうかもしれませんけど、僕だって故郷を全く覚えていない訳じゃない。畔の村は、どこも僕の記憶と一致しませんでしたよ」
「……まじで?」
「まじです」
真顔で少年は返した。
「それにしたってシレキさんが僕を脱がせてどうしたいのかは、よく……」
「おいおい。神子の背中には」
言いかけてシレキはぴたりと言葉をとめた。
「あー……あれ? お前、いなかったっけ?」
「何がです?」
「ああ、そうか。お前が人事不省だった間に、薬師の先生から聞いたんだったな」
うんうんと男はうなずいた。
「何の話ですか?」
「だからな。エクールの神子は、背中にしるしを持つんだそうだ」
「しるしですって」
「そうだ。お前の持つ守護符みたいなうねうねっとした形で、湖神を表すらしい。ああ、守護符の方が模してるんだろうけどな」
「そんなもの、僕の背中にはありませんよ」
やはり呆れてカナトは言った。
「『服を脱げ』の前に、訊いてくれればいいじゃないですか」
「だってお前、自分じゃ背中は見えんだろう」
「そりゃあ見えませんけど。水浴びをしたり風呂に入ったとき、そんな目立つものがあったら誰かが言うでしょう」
「何か魔術的なもんだと思って口をつぐむかもしれんだろう」
やはりシレキは引かず、またしてもカナトは首を振る。
「少なくとも僕のお師匠だったら言うと思います。あとオルフィだって。そう言えばシレキさんとは風呂をご一緒したことがなかったですけど」
「……ない?」
「なかったですよね?」
「そうじゃない。背中に何もない?」
「ありませんよ」
カナトは肩をすくめた。
「長老の言うことは判りませんけれど、僕は少なくともエクールの神子なんて存在じゃありません」
「そう、なのか」
シレキは肩を落とした。
「何だ。俺ぁ、てっきり」
「仮に僕が神子だったら、どうだって言うんです?」
少年は首をかしげた。
「そうであってもそうでなくても、いろいろと気になることが」
ううむとシレキはうなった。カナトは続きを待った。
「――ええい! やっぱり、とにかく見せろ!」
「ちょ、や、やめて下さいっ」
まるで襲いかかられるかのようで、カナトは飛び逃げた。
「判りました、自分で脱ぎます、お見せしますからっ」
慌ててカナトは宣言し、無理矢理剥がされる前に自ら上衣を脱いだ。
「……ほら」
背中をはだけると、彼は後ろを向いた。
「ないでしょう? しるしなんて」
「……ううむ」
シレキは両腕を組んだ。
「どう言えばいい?」
「はっ?」
「ある」
ぼそりと、男は言った。少年は目をぱちくりとさせて、ぱっと振り向いた。
「冗談、ですよね」
「本当だ」
言うとシレキはカナトの裸の両肩を掴み、くるりと再び後ろを向かせた。
「ここから、こう」
「ちょ、ちょっと。くすぐったいです」
「いいから聞け。ここまで」
シレキはその背中の、あざのようなしるしを指でたどった。
「はっきりと。見落としようのないもんが、ある」
「そんな馬鹿な」
カナトは納得しなかった。
「僕をからかっているんですよね?」
「本当だと言ってるだろう。どこか大きな姿見のあるところに行くか」
鼻を鳴らしてシレキは言った。カナトは首を振った。
「信じないのか? 嘘だと?」
「いえ、どこかに出向かなくてもいい、ということです」
彼はさっと片手を上げて、印を切った。シレキは一瞬だけ鼻白んだが、少年が腹を立てて彼に攻撃術を使おうとしたのではないことはすぐに判った。
「わお」
男は口笛を吹いた。彼らの間には、大きな鏡が――水鏡が生じていたのだ。
「やるねえ。さすが湖神の神子に相応しいと言うのかな」
「シレキさん」
じろりとカナトは彼を睨んだ。
「これで嘘だったら、いくら僕でも怒りますからね」
「麗しのマズリールと俺の限られた魔力にかけて、本当だ」
片手を上げてシレキは誓った。それをじっと見てから、少年はそっと水鏡に背を向けた。それから首をひねって、魔法の鏡をのぞき込む。
そして彼は、息を呑んだ。
うねる蛇のような。
ミュロンが〈空飛ぶ蛇〉の眷属と言い、橋上市場の商人が、畔の村の守り人が、長老が湖神だと言った何かによく似た影が、確かにその背中には存在した。
(第3章へつづく)