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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第4話 悪魔の導き 第2章
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06 今度こそ

 シレキは、ジョリスのためにオルフィができることなどないと言った。あのときは反論できなかった。いまでも具体的な案がある訳ではない。だが、何かないかと。

(籠手。アバスター。ラバンネル)

(俺は、俺にできることは)

(くそっ、俺なんかたまたま籠手を身につけてて、その力でちょっと戦うことができるくらいで)

 籠手がなければ何もできない。だが籠手があればできることも限られている。第一、籠手を自分のものにするつもりはない。

(俺に力があればなあ……なんて考えても、仕方ないか)

(そんなことより、まずはこの混乱した記憶をどうにかしなけりゃ)

「ナイリアール」

 彼はまた呟いた。

(覚えてない間の俺は、首都に行こうとしていた。首都に何かの手がかりがあるのか)

(ナイリアール)

(どうしてか、急いで行かなければと考えた)

(感じた)

 彼は北西のかたを見やった。

(カナトたちのことも……気になるけれど)

(俺を探しているかどうかも、判らない)

 きゅっと彼は唇を噛んだ。

『そう、彼らのことはもう忘れてしまうんだ』

 くすくすと笑う声が聞こえた気がした。

『彼らは消えた君を探してなんていないよ』

『だから気兼ねせず、首都へ帰るといい』

 「帰る」。

 それは何だかほっとする言葉だった。

 夕暮れ刻、面倒な仕事もみんな片づいて家路につくときの気持ち。

 あとは食事をして、気分によっては酒など少々飲んで、それから休んで――。

仕事(・・)

(俺の仕事)

(って)

(……何だっけ)

 いま浮かんだ光景は、果たしてどちら(・・・)のものだったのか。夕陽を浴びながら()が帰ろうとしていたのはどこだったろう。

『――……レドーン……』

 彼は頭を押さえた。

『早く……帰っておいで……』

「なあ兄さん。やっぱり、意地を張らないで少し眠っ」

「母ちゃん! 兄ちゃん! 何あれ使っていいのっ!?」

 威勢のいい声とともに威勢よく扉が開かれた。ふたりははっと入り口の方を見た。

「何だいマレサ。大きな声を出して」

「だって、あれ!」

「あれって何の話を」

「だからぁ! 馬!」

「おっと」

 そこまで聞いてマレサの兄は立ち上がった。

「馬鹿言ってんじゃない。あれはこっちの兄さんの馬だ」

 少年は隣室へ戻ると妹に告げた。オルフィにもその声は聞こえていたが、ここで「自分のものではない」と言うよりバジャサに任せた方がよさそうだと判断した。

「兄さん? 誰だよ?」

「お前も知ってる人だよ」

 バジャサは面白そうに言った。

「だから誰だって」

 ほのめかされるのに苛立った様子で、マレサはひょっこりと部屋を覗き込んだ。

「……あーっ、オレを押し倒した変態!」

 彼はぱちぱちと目をしばたたかせた。

 バジャサの妹がどんな子か、よく覚えている。正直に言えば、顔かたちはよく覚えていなかった。しかし彼女が何をしたかは。

「いや、でもあれは、君が悪いん」

「何もあんなに抱きすくめなくたってよかったじゃんかよ!」

 ひとしきりマレサは叫び、オルフィは先ほどまでとは違う種類の頭痛を覚えそうだった。

「いい加減にしろよ、マレサ。客観的に見て、いや、身内びいきをしたってお前が悪い」

 そこでぴしゃりと兄たる少年が言えば、妹はぶすっとしたものの黙った。

「もう盗みなんかやってないだろうな?」

「やってないよ」

「本当か? 兄ちゃんの目を見てもう一度言ってみろ」

「やってないってば!」

 癇癪を起こしたようにマレサは地団駄を踏んだ。

「あのさ、オレはそんな話をしたいんじゃないんだ。兄ちゃんと母ちゃんに話がある!」

 くるりと少女は家族を振り返った。

「ああ?」

「何だい、話って」

「オレっ、ナイリアールに行く!」

 マレサは宣言した。バジャサと母はぽかんとした。

「何を言ってるんだか」

「本気だぜ! だって、ハサレック様が生きていらしたんだ!」

「それが何の関係が――」

「関係、大ありだろっ。オレはさ、ハサレック様が亡くなったって思っててさ」

「そんなの、国中の人間が同じだ」

「途中で遮んなよっ」

 憤然とマレサはまた床をどんどんと踏んだ。

「オレ……思ってたんだ。いつか絶対ハサレック様に会って、お話しするんだって。なのに亡くなっちゃって、すごくがっかりして」

「あんときの落ち込みぶり……と言うより、暴れぶりは、すごかったな」

 バジャサは顔をしかめた。

「俺だって落ち込みたかったのに、お前をなだめるので精一杯だった」

「何だよ。オレが悪いのかよ!?」

「別に悪いとは言ってないさ。仕方ない。衝撃だった」

「だろ」

 ふん、とマレサは鼻を鳴らした。

「だからさ。行くんだ」

「いや、さっぱり判らないぞ」

「判るだろ! 今度こそ、絶対にお会いするんだ。『いつか』なんて言ってて、もしハサレック様が……ううん、オレにだって何があるか判んないじゃんか? だから、いますぐ行くんだ!」

 少女らしくない、鼻息の荒い宣言が終わった。

「あのなあ」

「おい、変態。あの馬、貸せよ」

「変態って言うな」

 オルフィは顔をしかめた。

「貸せる訳ないだろ」

 自分のものではない――少なくともそう思っている――のだ。

「だいたい、君、乗れるのか?」

「いまは乗れないけど。練習すりゃすぐだ。オレ、運動は得意なんだぜ」

「まあ、足は速かったな」

 あのときマレサが背後を気にしながら逃げていたのでなければ、確実に振り切られていただろう。

「足だけじゃないからな。木登りだって上手だし、塀歩きや屋根上りだって」

「塀とか屋根とか、盗賊(ガーラ)みたいな真似はよせと言ってるだろうがっ」

「塀の上を歩いただけで盗賊かよっ」

「普通は歩かないっ」

 バジャサは説教のつもりなのかもしれないが、傍目には兄妹喧嘩という感じになってきていた。

「はいはいはい、そこまで」

 慣れた様子で母親が手を叩く。

「バジャサ。頭ごなしに怒鳴らない」

「だって、母さん」

「マレサ。〈真夜中に金持ちの裏口をうろつくな〉と言うだろう。わざわざ誤解されるような言動をして、誤解する方が悪いと言う訳にはいかないよ」

 母はぴしゃりと、ふたりの態度をそれぞれたしなめた。バジャサは肩をすくめ、マレサはやはり仏頂面をしていた。

「さて、母さんは少し出かけてくるからね。マレサもつまらない冗談はやめて、部屋の掃除でもしといてくれ」

 そう言うとふたりの母は手を振って言葉の通りに出かけてしまった。

「冗談だって」

 むすっと、マレサ。

「オレは本気なのに」

「馬鹿。お前なんかがひとりでナイリアールに行けるはずがないだろう」

「あの馬があれば行けるよ!」

「ありゃあオルフィのだって言ってんだろうが」

 バジャサが繰り返せば、マレサはまたオルフィを見た。

「なあ、変態」

「だから、変態って言うなよ」

 こう連発されては苦笑いも浮かばない。

「あれを貸してくれたら、もう変態って言わないよ」

「そんな取り引きがあるか」

 思い切りしかめ面でオルフィはもっともなことを返した。

「だいたいな、ナイリアールに行って騎士様にお会いしたいなら、せめて成人してからにしろよ。あんなふうに親に心配かけて」

「あんまり心配してなかったぞ」

「確かに」

 思わずオルフィは同意してしまってから、はっとして首を振った。

「だからそれは、冗談だと思ってたからだろうが。本気だと判ったら反対もするはずだし」

「そうさ、本気だ」

 マレサは胸を張った。

「いいよ、もう頼まない。ひとりで何とかする!」

「あっ、おい!」

 少女は忙しく騒がしく踵を返し、オルフィは慌てたが、バジャサは嘆息した。

「放っておいてくれていい。どうせ、行けやしないんだから」

「でも、この付近を出たら危ないだろう。子供ひとりで街道に出ちゃったら」

「そこまで馬鹿じゃないはずだ。あんたの馬に目をつけたように、何か手段を探す。でも今日明日で見つかるようなこともないだろうから、うちに帰ってくる。そうしたらまた諭してやるさ」

「それで諭されるんなら、いいんだけどな」

 もちろんオルフィよりバジャサの方がマレサのことをよく知っているはずだ。だがもしかしたら彼の方がよく判ることもある。

(俺だって……もしジョリス様が生きてるなんて知らされたら、ナイリアンの、いや、世界のどこにだって駆けつけたいと思う)

 マレサの気持ちは判る、と思った。

「どうせ思うようにいかなくて、顔と目を赤くして帰ってくるに決まってるんだ」

 同じようにハサレックに憧れると言っていたバジャサだが、この辺りは冷静と言おうか、会いに行きたいなどとは思わないようだった。

 もっともオルフィだって同じだ。以前は首都を訪れても「ジョリス様にお会いしたい」などとは考えなかった。現実的に難しいということもあれば、会って話したりしなくても憧れに変わりはなかったからだ。

「あんたはナイリアールに行くんだよな」

 少年はオルフィを見た。

「ん、そうしようかな」

 カナトたちが彼を探しているはずがない、という奇妙な確信はすうっと彼の心に根付いていた。

 引き返すことはない。

 進むのみ。

「じゃ、道行きでマレサを見つけたら、さっさと帰るよう言ってやってくれ」

 笑って少年は言った。

 それがバジャサの冗談であったことは間違いない。

 だが時として、何の気もなしに発した言葉が運命を左右したり、まるで予言(ルクリエ)のようになったりすることもある。

 魔術師たちはそうしたことを警戒し、口にしたことによって望まぬ何かが現実になることのによう、慎重に言葉を編むものだ。

 だがバジャサにそんな考えはもちろんなく、ただ軽口を叩いただけだった。

 その運命がオルフィの前に形を取って現れるのは、橋上市場を離れて少ししてからのことになる。


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