04 熱くなるな
「ただ、こんな田舎の話は首都まで伝わりにくいかもな」
オルフィは両腕を組んだ。
「俺がお城に行って、ジョリス様にお話ししてみようか」
若者は半ば以上本気で言ったのだが、それは笑い声で迎えられた。
「馬鹿を言うんじゃないよ、オルフィ」
「騎士様がお前みたいな田舎者に会って下さるものか」
「こうした話は街道警備隊から駐屯部隊に行って、ちゃんとお城まで届くんだから」
「そ、そっか」
少し照れ臭くなってオルフィは黒髪をかいた。
「そうだよな」
言ってオルフィも笑った。
そして彼らは「ジョリス・オードナー」という呪文で、食事処に降りた暗い影をさっと振り払おうとした。
「……ふん、どうだかな」
だがそのとき、店の片隅でひとり酒を飲んでいた老人がぼそりと呟いた。
「『こうした話』が『ちゃんとお城まで届』いて、『ジョリス様が退治に乗り出し』ておいでなら、長々と噂が居座って、兄妹が殺される事態にまでならなかったんじゃないのか」
「ハド爺」
「何が言いたいんだ」
「騎士と言えども一兵士だ。国王陛下が、田舎の子供なんぞ何十人死んでも知るものかとお思いだったら、いかな〈白光の騎士〉でも伝説のように助けになどきて下さらん、ということだ」
「爺、何だそれは」
「王様がそんなことを仰るはずが」
「はずがない。はっ、めでたい頭だな。国王がわしらに何をしてくれている? 税を搾り取っていくだけじゃないか」
「そんなこと言うならあんたはナイリアンを出て、税は取られないけど、街道も整ってなければ魔物退治もしてもらえない荒野に行って、ひとりで暮らしたらいいんじゃないか」
オルフィは思わず言った。
「おい、オルフィ……」
「何だよ。だってそうだろ? ナイリアンの税は余所と比べて高い訳でもないって聞く。南のカーセスタは金ばっかり取るくせに治安は悪いって言うし、西のヴァンディルガは取り立てが厳しくて、東のラシアッドはろくに開拓も進んでないとかって話だ」
「若造が。知ったような口を」
「そりゃ知らないよ、聞きかじりさ。でも俺は自分の不満や不安を王様のせいにする気はないね」
「だが不満や不安を〈白光の騎士〉様が解決してくれるとは思っとるだろう?」
ふんと老人は再び鼻を鳴らした。
「英雄様万歳。何でもかんでもジョリス様に頼ればいいさ」
「どういう意味だよ!」
「落ち着けよ、オルフィ」
「爺がひねくれてるのはいつものことだろ」
周囲の大人たちが諫めた。
「だからって、ジョリス様を馬鹿にするようなこと」
「ふん」
三度、老人は言う。
「わしはお前さんたちを馬鹿にしとるんだ」
「何だと!」
「悔しければ自分たちで黒騎士とやらを退治してみたらどうなんだ」
「おいおい、それは無茶苦茶だろう、爺さん」
見かねたか、酒場の主人が姿を見せると仲裁するように言った。
「ジョリス様には確かな剣の腕がある。俺たちにはない。悪党退治に俺たちが乗り出すなんて死にに行くようなもんだ」
「子供殺しの卑怯な悪党にも負けるか」
「悪党の腕は知らないさ。だが剣を使う」
村人たちは剣など持たない。野の獣が村に侵入してくるなどしてどうしても戦わなくてはならなかったら、すきやくわを武器にする。英雄アバスターや騎士たちに憧れると言っても、実際に剣を学ぶ男などまずいない。たまにいたとすれば、彼は変わり者と呼ばれるだろう。
オルフィも子供の時分は「戦士」という職業を夢見たこともあるが、まさしく子供の夢だ。剣を持ったことがあるのは、旅の戦士にからかわれて、一度だけ。それも本当に「持った」というだけだ。想像以上の重さに驚き、よくあんなものを振り回せるものだと感心した。
もっとも、その戦士が扱っていたのは両手持ちの大剣だったから、細剣や小剣ならオルフィでも振ることができるだろう。ただ、やはり「振ることができる」ことと「扱える」ことは全く違う。
黒騎士は、どんな人物であろうとも、剣を使う。たとえろくな技術を持たないのだとしても、すきやくわと違って、それは本物の武器だ。そんなものを操る相手に素人が無茶をしたって、最善で大怪我。店の主人が言うのはそういうことだった。
「あんまりおかしなことを言うなよ、爺さん」
気軽に言って主人はハド老人の卓に酒の入った杯をおき、言外に諫めた。老人は酒を飲んで、黙った。
「オルフィもな。熱くなるなよ」
「ん」
ごめん、とオルフィは素直に謝ることにした。
彼が突っかかってしまったのには、理由がふたつある。
ひとつには、〈白光の騎士〉など信じられないというように言われたこと。
そしてもうひとつは、ハド老人がクートントの前の持ち主だからということだ。
老人は村の「ひねくれ爺」で、大人の多くは彼の物言いを苦笑いしながら受け流しているが、オルフィはどうにも引っかかる。クートントを殺すつもりだったくせに、安く譲ってやったと恩を売られている、そのことが若い反発心に加えてオルフィを憤らせるのだ。
(何だかケチがついちゃったな)
(せっかくきれいな夕日を見られたのに)
〈緑の葡萄〉亭をあとにしたオルフィは、村の慣れた道を歩きながら小石を蹴った。
(十五歳前の兄妹が殺された……か)
噂ではない。事実だ。チェイデ村の兄妹と聞いてもオルフィにはぴんとこなかったから、知った顔ではないのだろう。だが、知り合いでなければいいというものでもない。
(可哀相だな、成人前だってのに)
(そんな子が何人もいるんだ)
(いいや)
(もしかしたら、何十人も?)
それはなかなかぞっとする考えだった。星明かりの下で、若者は厄除けの印を切る。自分は黒騎士の標的にはならないはずだし、いまのアイーグ村に該当する年代の少年少女はいないのだが、不意に暗闇から黒い剣士が現れてきそうな気がして、オルフィは足早に自宅へと向かった。
「ただい、ま……」
囁くように言って扉を開けた。小さな家には父親が帰ってきているはずだが、この時間なら眠っているだろう。
オルフィの父ウォルフットは、近くにある街道警備隊の詰め所、ルタイの砦で兵士たちの食事を作る料理人だ。詰め所で休むこともできるが、昔からわざわざアイーグ村まで帰ってくる。
オルフィが子供の頃は心配だということもあったのかもしれないが、いまではオルフィの方が遅いことも、帰らないこともしょっちゅうだ。詰め所にいれば楽だろうに、と息子は思っていた。
朝早く夜遅い父とは前から顔を合わせる機会が少なく、オルフィが何でも屋を展開すればするほどその傾向は強くなっていた。
だから寂しいとか申し訳ないとか、そういう気持ちはあまりない。オルフィにしてみれば父と自分は、同じ屋根の下で眠るだけの、それぞれ独立した大人という感じだ。
その証拠に、父は彼に仕事を依頼する。それは親子の情によるものではなく、「荷運び屋オルフィ」という存在に利便性を覚えて、ラルを支払う価値があると判断するからだ。少なくともオルフィはそう考えていた。
もちろん父は父であり、嫌うというようなことはない。ただ、親子だからと言って特別仲良くはないと――。
(あっ、そうだ)
寝ているはずのウォルフットを起こさないようにそっと行動していたオルフィだが、はたと思い出すことがあった。
(この前、行き合った行商人から買った、前掛けがあるんだった)
何となく父に似合いそうだなと思った色だった。渡そうと思っていたのだが実際に――起きている状態で――顔を合わせることがなく、忘れていたのだ。
(そうだ)
にやりとオルフィは思いついた。
(枕元においといてやろう)
目覚めたとき贈り物が目に入るようにと考えた。まるで親が子供を驚かせようとするがごとく、である。
思いつきを実行するとオルフィは満足し、服と靴を脱ぎ捨てて簡素な寝台に上がると、髪をほどいてばたりと横になった。