05 行ってみたら?
「ハサレック様? 生きて?――黒騎士を退治した、だって?」
オルフィは目をまん丸くした。
黒騎士。
彼の前に二度現れた、あの不気味な剣士。
ジョリスを殺したと言う。
「んな……んなことが」
「すげえだろ。格好いいよな。ハサレック様こそ英雄ってやつだ。ジョリス・オードナーなんか目でもない――」
「ジョリス様のことを悪く言うなっ」
「何だよ。あんただってハサレック様の方が格好いいって言ってたろ」
「そんなこと、言ってない。そりゃ〈青銀の騎士〉だってすごいさ、でもジョリス様は」
「だから『様』なんてつけるなよ。そいつはもうナイリアンの騎士でも何でもない。ただの罪人なんだから」
「違うっ」
確かにジョリスは王家の宝である青い籠手を持ち出したかもしれない。しかしそれは黒騎士を倒すためで。
「……ハサレック様が、黒騎士を?」
オルフィははっとした。
「そうさ。そう言ってるだろ」
「でも……」
〈閃光〉アレスディアはここにある。ジョリスが必要とした籠手なしで、ハサレックは黒騎士に勝ったと言うのか。
「何だよ。話を合わせてただけで、あんたはジョリス派だったのか。まあ、でも別に前のことはかまわないけどな。これからは諦めろよ。ハサレック様の時代だ」
無邪気に少年は言った。オルフィは拳を握り締めたが、バジャサに怒鳴っても何にもならないと気づき、黙り込んだ。
(あいつが、あの黒騎士が退治されたって言うなら、それはいい話さ)
(なのに何だか気に入らないように思うのは……ジョリス様よりハサレック様が強いってことに、なっちゃうから、なのかな)
彼は自分の感情を分析した。
(でも別に……俺がジョリス様を尊敬してるのは、強い剣士だからってだけじゃなくて)
ずっと、憧れだった。それはジョリスが〈白光の騎士〉だったからだ。だから、もしジョリスではなくハサレックが〈白光の騎士〉であったなら、オルフィが憧れていたのはきっとハサレックにだったろう。それは有り得ることだと彼自身判った。
だが、オルフィが会ったのはジョリス・オードナーだ。
ほんのわずかな邂逅で、彼の心に深く刻みつけられた。
彼は「違う」存在だと強く確信した。
死んでしまったなんて、信じられなくて。信じたくなくて。
「ああ、判った、判ったよ。そんな顔すんなよ、オルフィ」
顔をしかめてバジャサは手を振った。
「俺が言い過ぎたよ。ジョリス様のことは、俺だって嘘だと思いたいさ。出鱈目だって言いたい気持ちも判る。でも城の触れだ、本当なんだろ。残念だけどさ……」
「バジャサ……」
「でも本当に、気をつけろよ。ナイリアールに行くんならなおさら、あんまりジョリス様のことをよく言わない方がいい。世の中には、人の失敗を喜んであげつらって正義ヅラする奴らがいる。ジョリス・オードナーを貶めて自分が偉くなった気持ちになる奴らがな」
そういう連中の前でいままでのようにジョリスを褒め上げれば、オルフィが当たられる。もし見境のない相手や酔漢ででもあったなら絡まれることもある。少年はそんな忠告をした。
「ありがと、な」
バジャサの忠告にオルフィはどうにか笑みを浮かべて礼を言った。
「でも俺、別にナイリアールに行かなくてもいいんだ。それよりエクール湖に戻らなくちゃ」
「エクール湖?〈はじまりの湖〉か? 何であんな辺鄙なとこに」
「友だちとそこで分かれたんだ。向こうでも俺を探してるとすると、もういないかもしんないけど」
「そりゃ、いないんじゃねえ?」
冷静にバジャサは指摘した。
「でもどこに行くのかって訊いたらすぐ『ナイリアール』って答えたじゃん? それも覚えてないのか?」
「ああ、いや、そう言えば」
ナイリアールに行くんだ、という気持ちがあった。急がなければならないとも思っていた。そのことは思い出された。
「でも、理由を覚えてない」
「それなら、行ってみたら?」
少年は提案した。
「気の毒だけど、この市場でとでも言うならともかく、何日も離れたところではぐれた友だちと会うなんて無理だ」
「会えない、かな」
「会えないだろ」
あっさりとバジャサ。
「まあ、偶然に期待するってんならそれもいいけど。ものすごく低い可能性じゃないかな」
「いや……戻っていると判れば、この橋を渡るのが便利なんだし……こっちにくる、はず」
「判れば? 判るのか?」
「いや……判んないかも」
オルフィがどこかに行く当てなどなかった。畔の村を出るという話こそしていたものの、先のことは決まっていなかったし、案すらなかった。
(探そうとしても、どこに行ったかさっぱり判らないだろう)
まずそう思った。
そのとき、どこからか、何か聞こえた。
「えっ?」
「ん?」
バジャサが目をしばたたく。
「何も言ってないぜ?」
「いま」
笑い声が。
オルフィはぶんぶんと首を振った。
疲れているのかもしれない。きっとそうだ。
『ふふ……』
彼は聞こえた声を否定しようとしたが、それは容赦なく再び耳に届いてきた。それとも、心に。
『探そうとする、だって?』
『どうして彼らが君を探そうとする、と思うんだい』
ぎくりとした。
オルフィはきゅっと唇を結んだ。即座に浮かんでくる、黒い霧のような思い。
「カナトが自分を心配している」? それはずいぶんと自分勝手な考えではないだろうか? 成人前の子供を疲労で倒れるまで引っ張り回しておいて、今度はいきなり姿を消すなんて。
もちろん自分の意思ではない。少なくともカナトを置いていこうなんてつもりはなかった。だが結果的には、何も言わずに置いていったことになるのではないか。
どうしてカナトが自分を心配する? 自分を探そうとする? 腹を立てて、或いはせいせいしたと思って、もう師匠のいる村に帰ることを考えるのではないか? そうであって何がおかしい? いや、どうしてそうならないと思うのか?
シレキだって、黙って消えたオルフィを探す義理なんてない。ラバンネル探しなら、何もオルフィに同行しなくたって可能だ。彼はシレキが旅立つきっかけにはなったかもしれないが、継続の動機にはならない。オルフィがいないならいないで、ひとりで引き続き探すか、それともやはり町に帰るかするだろう。
どうして彼らが、自分を探す?
必要ない。そうじゃないか?
くすくすと、耳元で笑い声が聞こえるようだ。オルフィは頭を抱えた。
「おい、兄さん。大丈夫かよ?」
バジャサが心配そうに言った。
「やっぱ様子がおかしいな。何だか顔色も悪いみたいだ。寝台、貸してやるよ。ひと眠りしてくといい」
親切にも少年はそんな提案をした。オルフィはふらふらと首を振った。
「だい、じょうぶだ。俺は……」
「ちっとも大丈夫そうじゃないけどな」
情報屋は顔をしかめた。
「とにかく、休憩がいいと思うね、俺は。兄さん、限界まで達しないと休みも取らない性格だったりするんじゃないか? まあ、若い内はいいけどさ。年取ってから困るから、いまの内に直しておいた方がいいぜ」
「だいじょう、ぶ……」
知ったようなことを言う子供に苦笑する余裕もなく、オルフィは懸命に息を整えた。
「本当に、大丈夫だ」
「そうかねえ」
バジャサは懐疑的だった。
「ナイリアール」
ぼそりとオルフィは呟いた。
「どうして俺は、ナイリアールに行こうと思ったんだろう?」
「そんなこと知らないよ。大事な人がいるっていうのが間違いなら、あとは」
知らないと少年は繰り返した。
「リチェリン」
彼はそっと呟いた。
(どうしてるだろう)
(会いたい)
(リチェリンに……会いたい)
どうしてか、涙が出そうになった。オルフィはまばたきをして、どうにかそれを防いだ。
(でも駄目だ。まだ駄目だ。俺は帰れない)
(この籠手をどうにかするまでは)
それは「こんな目立つものを身につけたままでは駄目だ」という意味もあれば、「ジョリスの名誉にかけても、これを自分のもののように扱うことはできない」という意味もある。
(何としても、外す)
その気持ちは変わらない。
(ただ……王城に返せばいいかって言うと……)
どうなのだろうか、と思った。
王城はジョリスを盗人と決めつけた。たとえ籠手だけ返ってきたところで彼の名誉が回復されることはないだろう。もちろん隠匿する気はない。だが――。
(アバスター)
そうだ、と彼は思った。
(これは、アバスターの籠手だ。だから王家の宝なんだ。国を救った英雄)
(彼の話なら、王様も聞いてくれるんじゃないだろうか?)
アバスターを見つけて、ジョリスの無実を説く。そしてアバスターから、国王に説明してもらう。
不意に浮かんだ考えは妙案のようでもあり、素っ頓狂でもあった。ラバンネルの居場所も見当がつかないまま、アバスターまで見つけようなど。だいたい、どちらも生きているかさえ判らない。
(……いや、ラバンネルはともかくアバスターは国中で知られてる人物だ。生きているなら、消息が聞かれるはず)
オルフィ自身、アバスターは死んだのだと考えていた。それが自然だからだ。畔の村の長老は「彼らの生死は判らない」と言ったが、それは「死の事実を確認していない」というだけで、「生きていると思われる」ではない。そのことも判っていた。
(駄目、か)
ふう、と彼は息を吐いた。
(駄目なら駄目で、俺にできることを考えなきゃ)