04 どうしちまったんだ
全くもって、奇妙な話。
青い帽子の少年情報屋バジャサの家に案内され、彼ら兄妹の母親に紹介されながら――紹介されるほどの仲でもないのだが――オルフィは困惑しきりだった。
カナトは。シレキは。どうして自分はひとり、ディセイ大橋に。
それも大した馬を連れ、目立つ籠手をさらしながら。
考えても考えても判らない。畔の村を出て行けと言われ、どうやら妙な青年と話をして、朝になってカナトたちと話をしていたときのことまでは覚えているのだが、その途中から記憶がはっきりしない。
どうして、こんなところに。
「うううん」
彼は頭をかかえた。
「おや、どうしたんだい? 頭でも痛いのかい」
「あ、おばさん」
バジャサとマレサの母が気遣うように言い、オルフィは曖昧な笑いを浮かべた。
「大丈夫っす。ちょっと思い出せないことがあって困ってるだけで」
「はは、そんな若い内からそれじゃ困るね」
女はからかうように笑った。
「さ、茶でもお飲み。菓子でもあればいいけれど、生憎となくってね」
「いや、その、おかまいなく」
もごもごとオルフィは言った。
(この人、ちょっとルシェド母さんに似てるな)
アイーグ村で彼やリチェリンの面倒を見てくれたルシェドを思い出す。オルフィは何だか暖かい気持ちを覚え、出された茶は身体の方を温めてくれた。
「母さん、包帯ある?」
「包帯? ああ、あるよ。何だい、怪我でもしたのかい」
「そうじゃないんだけどさ」
バジャサは手を振った。
「ちょっと必要なんだ。どこ?」
「治療箱ならそっちの棚にあるはずだよ」
「どれどれ……ああ、あったあった」
少年は木の箱を取り出してやってくると、ふたを開けて包帯を手にした。
「ほら、手ぇ出しな。巻いてやるよ」
「あ、有難う」
バジャサは器用に包帯を巻いていき、オルフィはきゅっと胸が痛くなった。
(カナト)
(俺のこと、心配してるんじゃないだろうか)
何も覚えていないのだが、自分は彼らを置いてきたことになるのではないか。
「うん? 何をやってるんだい」
「ちょっとしたまじない」
少年は母親に適当なことを言った。だが子供の遊びと思ったか、母は何も突き詰めず、好きにおしと肩をすくめて彼らを放っておいてくれた。
「これでよしっと」
「あんがとな」
オルフィは礼を繰り返した。
「それで?」
ぱちんと箱を閉じてバジャサは片目を閉じた。
「お仲間はどうしたのさ? あの馬は? それに、何で呪いなんか?」
「う」
彼は詰まった。答えられない――判らない、ということも含めて――ことばかりだからだ。
「言えることだけでいいって」
「うん……そうだな……」
オルフィは考えた。
「ひょんなことからこの籠手を見つけて」
「うん」
「出来心で身につけてみたら」
「うん」
「外れなくなった」
「うん」
そこでオルフィは黙った。バジャサは片眉を上げた。
「……それで終わり?」
「ええと、外す方法を探してる」
また考えてオルフィは続けた。
「だろうな。神殿には行ったか?」
「行ったけど、無理だった。魔術師協会でも駄目だって」
「へえ? ずいぶん強力な呪いなんだな」
「そうらしい」
「何か当てはあんのか」
「籠手に呪いをかけた人がいて、その人なら何とかしてくれるかもって」
「はあ? 呪いをかけるなんて悪い奴だろ。助けてくれる訳ないじゃんか」
鼻を鳴らして少年は指摘した。
「いや、呪いってのは正確じゃなくてさ。魔術らしいんだ」
「へっ? 魔術師協会でも解けないんじゃなかったのかよ」
「そうなんだけど、それはかけた本人が解くんじゃないとやばいことになるかもってんで」
「やばいって、どんなふうに」
「壊れるかもって」
彼が。
「壊しちゃまずいのか?」
当然「籠手」の話だと思って、バジャサ。
「預かりものなんだ。傷ひとつつけられない」
それを理解してオルフィもそう答えた。
「そっか。呪い……じゃなくて魔術か? とにかく何かを解いて、籠手を返さないとならないんだな」
判ったとバジャサはうなずいた。
「大変だなあ」
「は、ははは」
確かに大変だと思っているが、しみじみと言われると乾いた笑いが浮かぶ。
「そうだ。お仲間は魔術師なんじゃなかったか? マレサがそんなことを言ってたような」
「ああ、カナトは魔術師だ。若いのに、すごく優秀で」
まるで我がことのようにオルフィは自慢した。
「でも、どこにいるのか……」
「やっぱりはぐれたのか? それとも置いていかれたとか」
「たぶん、俺が」
「あ?」
「俺が置いてった、のかもしれないんだ」
「かもしれない?」
曖昧な言い方にバジャサは首をひねった。
「あんた、〈夢歩き病〉にでもかかってんのか?」
「そうじゃない……はずだけど」
昨日――ではないかもしれない――のはっきりしない記憶。いや、それ以上にディセイ大橋にたどり着くまでの、完全に欠けた記憶。
オルフィはぞっとした。
(俺、どうしちまったんだろう)
(この状況はおかしいだろ、どう考えても)
先ほどまでは呆然としていたが、茶など飲んで落ち着いてみるととんでもない状況だとよく判る。
「まあ、疲れてんだろ。よくあることだ」
バジャサは気軽に言った。
「よくある、か?」
「いや、ない、かな」
「……おい」
「あんまり深く考えんなよ。思い出せないことはいまに思い出すさ」
他人事のように――事実、他人事であるが――少年は言い放った。
「それならいいけどな」
わずかに息を吐いてオルフィは呟いた。
「で、探してる魔術師がどこにいるかは判ってんのか? あ、ナイリアールか」
ぽんとバジャサは手を叩いた。
「へ? 何でナイリアール?」
「あんたが言ったんじゃん。ナイリアールへ行くところだって」
「俺、そんなこと言ったっけ?」
「言ったじゃんか。大事な人がいるから心配なんだって。あ、ってことは魔術師は関係ないのか」
「ええっと?」
オルフィは首をかしげた。
「大事な……」
ふっとリチェリンの姿が浮かぶ。
(いや、確かにリチェリンのことは大事だけど)
(もうとっくに、カルセンに戻ってるんじゃないか?)
彼女はタルーの弔いをする神官を連れるために首都へきていたのだ。とうに帰郷しているはず。
「あ、そう言えば」
ふっと彼は思い出した。
「君こそ、何か言ってたな。首都で大変なことが起きてるとか、何とか」
「あれっ。知らないのかよ? 知ってて急いでるんだとばっかり」
「ジョリス様の……ことなら、聞いた、けど」
「ああ、白光位剥奪の話か」
少年は両腕を組んだ。
「あれもすごい話だよな。驚きだよ、〈白光の騎士〉ともあろう者が罪を犯して逃亡だなんて――」
「ジョリス様はそんなこと!」
オルフィは両の拳を握った。
「したんだよ、がっかりだけどさ」
バジャサは頬をふくらませた。
「そんな人だったんだ。〈白光の騎士〉なんて言われててもさ。すごくがっかりだ」
「あんなのは、何かの間違いだ!」
「間違い? 城の触れが間違いだなんてことあるかよ」
「でも間違いだ! ジョリス様が罪人なんかであるはずがない!」
「城が罪人だって言うんだから罪人だろ。まあ、信じたくない気持ちも判るけどな。もうあんまりジョリス様ジョリス様って言わない方がいいぜ」
「出鱈目の触れなんか知ったことかよっ」
がたんと立ち上がってオルフィは言い切った。
「落ち着けよ。いい話だって、あるんだからさ」
「いい話?」
「まあ座れって」
バジャサはにやりとした。渋々とオルフィは腰を下ろした。
「すごいんだぜ。この付近には今朝方、旅の商人が話を持ってきてさ。俺は情報屋としていち早くそれを入手したんだけど」
こほん、と少年情報屋は咳払いをした。
「その話でどこもかしこも持ちきりだから、ラルを取る訳にはいかないな」
「教えてくれよ」
見当はつかないものの、ほのめかされれば気になる。オルフィは促した。
「ハサレック様だ」
「え?」
「生きてたんだよ!〈青銀の騎士〉様が! そいでもって、城に侵入してきた黒騎士を退治しちまったんだって! すげえよな!」
一気にバジャサは大人びた様子をなくし、子供のようにはしゃいだ。