07 挑発には乗れない
「黙れ!」
レヴラールは立ち上がった。両の碧眼には怒りが燃えていた。
「いいえ」
キンロップは座ったままで王子を見上げた。
「はっきり申し上げましょう。あなたの決断は衝動的な怒りによって成されたものだ。何故コルシェント殿が突然あのようなことを言い出したものか理解しかねますが、彼とてオードナーを立てるようなことを言っていたのに」
肩をすくめて祭司長は続けた。
「あれではまるで私怨だ」
「――成程」
レヴラールは口の端を上げた。
「何かお心当たりでも?」
「ああ、判った」
満足げに白金髪の王子は言う。
「お前の魂胆が、な」
「何ですと?」
「お前は俺に説教などするふりで、競争相手を蹴落としにきた。コルシェントの判断が誤りであったとしたいのだろう」
「殿下」
「俺がコルシェントの案を採用したから焦っているのか。さもあろうな。ウーリナのことを提案したのもコルシェントだという話だ」
「ウーリナ様のことは決定事項ではありません」
「評判だけではなく実物を見物して、余程の醜女であるとか跳ねっ返りであるとか、そうしたことがなければ決定なのだろう? 俺はかまわん、妃など誰でもな。父上とお前たちが最良だと判断したならそれを娶る。それが務めだ」
「冷静なご判断で結構なことです」
「皮肉か?」
「本心です。何故皮肉と?」
「……サレーヒが」
ぽそりと呟いてレヴラールは首を振った。
「何でもない」
キンロップは片眉を上げたが、追及はしなかった。
「生憎だが、キンロップ。俺はお前に与してやるつもりはない。かと言ってコルシェントにも特に手を貸してやる気はない故、安心するといい」
「そのようなことを申し上げているのでは」
「建前に戻ったか」
ふんと王子は鼻を鳴らす。
「俺はお前たちのどちらを立てる気もなければ、どちらにつく気もない。かと言って、恨みや反感も特にない。いままでと同じように、よい意味で競い合って我がナイリアンを盛り立てよ。さすれば俺の代になってもお前たち自身か、お前たちの息のかかった後継者を使ってやる」
「そのようにお考えなのでしたら、今宵のお話はこれまでといたしましょう」
キンロップはそこで立ち上がった。
「これ以上は、お話ししたところで要らぬ誤解を生むだけになりそうですから」
「聞こうではないか」
レヴラールは寛容に、またはそれを装って両手を拡げた。
「言ってみよ」
「やめておきましょう」
「言え。命令だ」
「……コルシェント術師の動向が気にかかります」
渋々とキンロップは口を開いた。
「オードナーの死への対応と言い、〈ドミナエ会〉への対応と言い」
「〈ドミナエ会〉? あれはお前が担当していたのではないのか」
「ええ、そうです。と言っても、神殿に何ができるでもありません。せいぜい自衛を心がけるくらいだ」
神殿には僧兵と呼ばれる者たちもいくらかはいたが、ほとんど儀式のための存在で実際に戦えるかと言うと難しかった。もとより、街町のなかでの「戦い」に制限があるのは神に仕える者とて同じ。たとえ白装束の〈ドミナエ会〉を見かけても、神官や僧兵たちが「退治」に向かう訳にはいかない。
「連中の標的が我々自身であるのがまだしもです。救いを求めてやってきた信者たちに何かあってはなりませんからね」
「応戦できぬのであれば、具体的には何をしているのだ」
「町憲兵隊に頑張ってもらうしかありません」
息を吐いて祭司長は首を振った。
「それにしても以前は、首都から離れた町村が狙われた。先日から続く、ナイリアールでの火つけは……」
キンロップは顔をしかめた。
「あれはこれまでの事例と甚だ違います。我々は、〈ドミナエ会〉内部で何か起きていると考えている。もともと過激なことをやる連中ですが、更にそのなかでも過激派と言いますか……暴走する者が出た」
「火つけが暴走だと?」
「ナイリアールで行ったことが暴走です」
祭司長は訂正した。
「連中は、神をも畏れぬ行為に走り、大仰なことを書いて寄越したりしますが、自らが卑小であることは理解していた。だからこそ田舎町で幅を利かせていたのです。それが首都で狼藉を働いた」
「ふむ、判らなくはない」
王子はうなずいた。
「それでもお前の対応は『町憲兵隊に頑張ってもらうしかない』なのか?」
「私が頭に血を上らせ、王陛下に特例でもお求めして、僧兵団を動かしでもすれば……どうなります?」
「首都のなかで戦か。神のための戦いだとして神官が法に背くようなことがあれば、大混乱だな」
「その通りです。我々は挑発には乗れない」
毅然とキンロップは言った。
「成程。そこをコルシェントに叩かれたか? 腰抜けだとでも」
「術師はそうは仰いませんでしたが。その代わり」
「その代わり?」
「魔術師協会が協力してもよい、と」
「ほう」
面白がるようにレヴラールは口の端を上げた。
「お前たちの仲は最悪だと思っていたが、そうでもないのか」
「とんでもない。神殿の事情に魔術師協会の助けはどうかなど、侮辱以外の何ものでもありませんね」
「それはお前が意固地になっているだけではないのか?」
「殿下は神殿と協会の長きに渡る軋轢をご存知ない」
「知っているぞ。お前たちを見ていればそれだけで判ることだ」
「それは表面的なものにすぎません」
「表面で判るなら深奥まで知る必要もない」
さらりと返して王子は手を振った。
「それで? 協会の手を貸そうと言ってきたのが侮辱なり挑発なりであればどうなのだ。お前と彼の間では珍しくもなかろうに」
「お言葉ですがそうしょっちゅう口喧嘩をしている訳でもありません。それに、そのような提案を受けて私が腹を立てたと言うのでもない」
「ではお前の許可も得ずにそれを実行したことについて?」
レヴラールは推測して尋ねた。
「その通りです」
むっつりと祭司長は認めた。
「それの何が悪い。お前の自尊心が傷つくこと以外でだ」
「――もしや、ご存知でいらしたのですか?」
「ああ」
口の端を上げてレヴラールは答えた。
「コルシェントが言ってきた。黒騎士と〈ドミナエ会〉に関係があるのではないかと」
「何ですって」
キンロップは驚いた。
「馬鹿な。何の根拠もなくふたつの騒動を結びつけるなど、無理がある。確かに、同じ根であれば楽でしょうが」
「ほう。ではコルシェントは楽をするためにそのようなことを言った、というのがお前の意見か」
「楽をしたいからと夢のような解決法を提示しても、現実とそぐわなければ何の意味もないどころか愚策、いやそれすら越えて正しき解決の足を引っ張ることになりましょうぞ」
顔をしかめて彼は説教めいたことを言った。
「いえ、しかし、術師がそうした愚かしいことを考えたとは思いません。何か根拠があるのか……」
「いがみ合っていても相手の能力は認めるか。公正なことだ」
王子は少し笑った。
「それにしてもお前の言う『正しき解決』とは何だ。町憲兵隊や各駐留部隊に『頑張ってもら』って〈ドミナエ会〉も黒騎士も片付けるということか?」
「揶揄なさりたいならお好きなだけどうぞ。しかしほかにどうするのです? 騎士とは言え、オードナーのような『有能なひとり』に託せる事態でも、時代でもありますまい」
「あれはもう騎士ではない」
まずレヴラールはそこを正した。
「では仮に、ジョリス・オードナーではない別の〈白光の騎士〉がいるとしましょうか。いや、たとえ話ならばアバスターだっていい。アバスターが颯爽と現れて黒騎士を退治した、〈ドミナエ会〉を根絶した、それはその場の解決にはなりましょう。ですが次につながらない。お判りになりますか」
「言いたいことは判る。次に何かあったとき、また『英雄』の登場を待たざるを得ない。そのような将来は俺とてご免だ」
「しかし、そのこととオードナーを公的に殺すこととは違います。オードナーが受けていた尊敬は、むしろ利用するべきであった」
「ジョリスの話は、もうよい」
むっとした顔でレヴラールは制した。
「では誤解を怖れず、ひとつだけ」
キンロップは正面からレヴラールに視線を合わせた。
「コルシェント術師の動向には以前よりも注意をお払い下さい。私に言えるのはそれだけです」
「……ふん」
王子も計るように相手を眺めた。
「お前の言葉として覚えておこう」
それは王子の返答だった。キンロップはしばしレヴラールを見て、それから立ち上がると深く礼をし、もう何も言わずに踵を返した。