05 災いを招く者
「何って、話したじゃんか」
戸惑いながらオルフィは答える。
「長老はアバスターやラバンネルのことを知ってるみたいだった。『伝説の英雄』としてって意味じゃなく、実際に。でも具体的なことは何も教えてくれなかった。それどころか、出て行けと言ったって」
「聞きました」
カナトはうなずいた。
「ラバンネルの件はできることなら詳しく聞きたいですが、オルフィの話からすると難しそうだと感じました。少し時間を置いて、僕が素知らぬ顔で訪ねることも考えていますけれど……」
昨日の今日ではオルフィの関係者だと気づかれるだろう。ソシュランもカナトのことを――顔は知らないが、少年が薬師の家で休んでいたことを――知っている。だが何日か空け、ラシアッド国の方からやってきたふりでもすればごまかせるのではないかと、少年はそんなことを言った。
「そうした画策の前に」
シレキが片手を上げた。
「オルフィ、お前いったい何を口走ったんだ」
「へっ?」
「だから。何で長老に出て行けなんて言われるほど嫌われたのかってことさ」
「おっ、俺は何も」
「何もしてないのにそんなふうに言われるか? 田舎村は余所者を嫌うこともあるが、薬師の先生の態度や話しぶりからするとここはそうでもなさそうだ。なのにどうして?」
「別に俺が失言したとかじゃないよ。正確に言うと俺が疎まれた訳じゃなくて」
ちらりとカナトを見た。
「『ルサ』が」
「――成程」
理解してカナトは顔をしかめた。
「ルサ? 北のひとつ星がどうしたんだ」
「ああ、それは」
オルフィはざっと説明し、カナトが足りないところを補足した。
「ふうん、黒騎士がオルフィと勘違いしているらしい『誰か』ねえ……」
シレキはあごを撫でた。
「そんな人物がいるのか?」
「いるはずだよ」
オルフィは鼻を鳴らした。
「俺じゃないんだから」
(そうさ。俺じゃない)
(黒騎士も、エクールの長老も、俺を――だと)
「えっ?」
彼は呟いた。
「はい?」
「ん、何だ?」
「あっ……いや、何でもない」
曖昧な笑いを浮かべてオルフィは手を振った。
(あれ? 何だ、いまの感じ)
(俺はいま、『ルサ』の名前を知っているようなことを……思わなかったか?)
(まさか。知ってる訳がない)
(……の訳がない)
(俺が――であるはずが)
「あいてっ」
激痛を覚えて、オルフィは頭を押さえた。
「オ、オルフィ!?」
「何だ、やっぱりどこか調子が」
「ちがっ、俺」
息が――詰まる。
「違う! そうじゃない、俺は」
「オルフィ、無理をしないで下さい。やっぱり、もう少し先生の家で」
『君は』
声が聞こえる。
忘れていた声が。
『三十年前に〈漆黒の騎士〉ヴィレドーンと呼ばれていた』
「そんなこと、ある訳がない!」
彼は目の前にいる相手の胸ぐらを掴んだ。
「違う!」
「あっ」
小柄なカナトは思わぬ力に引き寄せられ、均衡を崩した。
「よせっ、オルフィ! カナトに何を」
「そうだ! 俺はオルフィだ。アイーグ村のオルフィだ。それ以上ふざけたことを言うと、はっ倒す――」
「落ち着いて下さい、僕は何も言ってません!」
焦った声でカナトは言う。
「ある訳が、ないだろう! 三十年前なんて俺は影も形も」
「おい、よせと言ってるだろう。何を訳の判らんことを」
シレキがオルフィの右腕を掴んだ。その瞬間だった。
「触るな!」
オルフィはカナトを放し、左の拳をシレキの腹にたたき込んだ。
「ぐうっ……」
たまらずシレキも彼から手を離し、腹を押さえてその場にうずくまる。
「駄目です、オルフィ! 気を確かに持って!」
カナトが叫ぶ。
「気は確かだ。俺は俺だ」
呟くように答えた目の色は、奇妙な光を帯びていた。
「やめろ。呼ぶな。その名前は……」
声が震える。
「その名前で俺を呼ぶな! 俺は、違う!」
彼の耳にそのとき、カナトとシレキの声は全く届いていなかった。
『さあ、思い出して』
『――ヴィレドーン』
「違う!」
左腕が、青く光った。包帯越しに、その光が。まるで彼の叫びに呼応するかのように。
「いけない」
少年は顔をしかめた。
「すみません、オルフィ」
さっと彼が手を動かすと、そこに短杖が現れた。
「どうしたのか判りませんが、眠ってもら――」
魔術師は苦汁の即断をして友人に術をかけようとした。
だがそれよりも早かったのは。
「うっ」
どん、と音を立てて彼の首筋に後ろから当たったものがあった。それが本来の役割を果たしていれば彼は深い傷を負ったか、死んでいたかもしれない。しかしそれを投擲した者には彼を殺めるつもりはなかった。
少なくともいまは。
「くそ……何……」
がくりと膝を折って、彼はその場に倒れ込んだ。
「オルフィ!」
カナトは杖を握ったまま叫ぶ。
「大丈夫で――」
「近寄ってはならない」
低く鋭い声が言った。
「いまは気を失ったが、それは災いを招く者だ。近寄ってはならない」
「あなたは……」
「ソシュラン」
エクールの戦士は短く名乗り、力強い足取りでやってくると投げつけた戦輪――保護用の枠が着けられたままだった――を拾い上げた。
「私はこの村と長老と湖神を守る役目に就いている。この地で狼藉を働く者は許さない」
「オルフィは災いを招く者なんかじゃありません」
カナトはまずそう言った。
「確かに、いまは様子がおかしかった。まるで錯乱しているみたいでした」
でも、と少年は男をまっすぐに見つめた。
「彼は決して、悪い存在ではありません」
「錯乱しているみたいと言うか、どこからどう見てもそうだった」
けほ、とシレキはむせた。
「くそう、いい拳持ってやがる。俺様も気を失うかと思った」
「シレキさん、大丈夫ですか」
「お前、遅いよ」
苦笑してシレキは手を振った。
「オルフィが第一だなあ」
「だってこの状況じゃ、オルフィがいちばん心配じゃありませんか」
「まあ、うん、何だ。反論しても仕方なさそうだ」
腹をさすりながらシレキは呟いた。
「ソシュランさん」
「ただのソシュランでいい。敬称は不要」
「ではソシュラン」
カナトは呼び直した。
「改めて訊きます。『災いを招く者』というのはどういう意味ですか?」
「どうって、こいつが暴れてたからだろ」
シレキが口を挟んだ。カナトは首を振った。
「それだけとは思えません。何か秘められた意味があるように感じます」
「秘められた……」
ソシュランは繰り返し、かすかに眉をひそめた。
「私から言うことはできない」
「では誰から聞けますか」
少年は追及した。
「長老ですか」
「――望むのであれば、案内しよう」
ゆっくりと戦士は言った。
「望みます」
すぐにカナトは答えた。
「オルフィにした話を僕にも聞かせてもらいたい。可能ならば」
きゅっと彼は拳を握った。
「それ以上のことも」