03 少々、気にはなる
かたかた、と風が窓を叩いた。
シレキはちらりとそちらを見て、外がすっかり暗くなっていることに気づいた。
「……ん……オル、フィ……」
寝台の上から、かすかな声がする。
「お、目覚めたかカナト」
書物を閉じてシレキは少年を見た。が、生憎とカナトの瞳は閉ざされたままだった。
「何だ、夢でも見てんのか」
男は苦笑した。
「どんだけオルフィが心配なんだ、お前は」
「おかしなことですか?」
隣の部屋から薬師が尋ねた。
「友人を案じることは、何も不思議ではないでしょう」
「だが、こいつらはずっと親友だったって訳でもないしなあ」
「親愛の深さに時間が比例するとは限りませんよ」
「それはそうなんだが」
シレキはあごをかいた。
「こいつらはな、先生」
魔力を持つ男は薬師の方に視線を移した。
「出会ったのは、三年前だ。だがそのときは『出会った』だけで、再会はほんの数月前。ふたりは一緒に旅に出たが、それはオルフィにとって必要な旅であり、カナトには不要なものだった」
「それが、何か?」
「『友人だから』同行すると言うにゃ、ちょっとけったいってことさ」
「別にいいじゃありませんか」
「いいともさ。もちろんな。俺は悪いなんて一言も言ってない」
シレキは口の端を上げた。
「純粋なる友情。美しき青春の証。うん、大いに結構。おっと、茶化してるんじゃないぞ。本当に思ってる」
薬師の胡乱そうな視線に気づいて、シレキは両手を上げた。
「ただ少々、気にはなる。カナトがオルフィにこれだけ懐くどんな理由があるのか。母の形見を届けてくれたと言ったって、こいつが感謝するべきは荷運び屋より母親からそれを預かって彼に届けようと考えた人物じゃないのか?」
ぶつぶつとシレキの言葉は独り言となり、薬師の耳には伝わらなかった。
「これは正直、不自然に思うところだ。生真面目な気質のカナト少年らしくない。まさかとは思うが――が関わっているのか?」
彼の声はますます低くなった。
「それならそれで判らなくもないが……何かもうちょっと、目印みたいなもんがあっても……」
「どうかしましたか?」
不審そうに薬師が尋ねた。シレキははっと顔を上げた。
「ああ、いや、何でもない」
手を振ってから男はまた窓の外を見た。
「しかし少々、遅いな」
オルフィが戻らないことについて触れる。
「長老と話が弾んでいるんじゃないですか」
「弾むような話はしとらんと思うが」
黒騎士絡みの話題だ。和気あいあいとはいかないはずである。
「まさか迷ってるんじゃなかろうな」
「迷うような大きな町じゃありませんよ」
「だが慣れない夜道は判りづらいだろう」
「そうかもしれませんが、だったら誰の家の戸でも叩いて尋ねればいいじゃありませんか」
薬師は言い、シレキは冗談だろうかと青年を見た。
「何か?」
「……いや。習慣っていうのは場所によるもんだがな。たいていの町村では、見知らぬ他人の家をいきなり訪れて道を教えて下さいとは言わんもんだ」
「別にここでだって習慣じゃありませんよ。だいたい、地元の人間なら迷わないでしょう。ただ、迷ったらそうしたっていいんじゃありませんか」
「それももっともだが、街の人間はなかなか……いや、オルフィは田舎住まいだったか」
「田舎も都会もないでしょう。道に迷ったら、誰か知っている人に尋ねるのがいちばんいい。通りかかる人々がいないなら家の戸を叩いて『すみません』とやればいい。何かおかしいですか?」
「いや、何もおかしくないが、そうする前にもう少し迷うだろうな」
彼は「知らぬ家の戸を叩くか迷う」というのと「知っている道に行き合わないかうろつき続ける」の両方を込めて言った。
「角灯を貸してくれんか。ちょっと見てくるとしよう」
そう言ってシレキが立ち上がると、薬師はくすっと笑った。
「うん?」
「あなたは、彼と長いつき合いで、とても親しいんですか?」
「何だって?」
「ですから。あなたの持論で行くと、長いつき合いの大親友でなければ心配するのはおかしいのではないですか?」
「そこまでは言っとらん、が」
シレキは苦笑した。
「俺がオルフィといるのには、まあ、理由があるんだ。あいつが何をするのか、ちゃんと見届けなけりゃ」
「はい?」
「いや、独り言だ」
男は手を振った。
「少しひと回りしてくる。カナトを頼むな」
「はい」
薬師はうなずいて棚から角灯と火口を取ってきた。シレキは礼を言ってそれに火を入れると、夜の村へと出た。
「おーい、オールフィー」
長老の家の方角だと教わった方へふらふら歩きながら、シレキは――静かな村で大声になりすぎない程度に――オルフィを呼んでみた。
「まあ、こういうのは、あれだ。探しに出てみると入れ違いで帰ってきてたりするもんだ」
ぼそぼそと彼は呟いた。
「夜に鍵をかける習慣もなさそうな田舎村、何もあるはずがないが」
ちんぴらどころか不良少年のひとりもいなさそうだ。夜道でのいちばんの心配は転ぶことくらいではなかろうかとシレキは思った。
「ならどうして俺様は出てきたのかって言うと、どうしてだろうな」
辺りを見回しながら彼は独り言を続ける。
「なぁんか、引っかかったんかね? 予感なんてもんはあんまり感じない方なんだが」
畔の村は静かだ。
まだ宵の口もいいところだと言うのに、出歩いている人影は見当たらない。みなお行儀よく自宅にいるのだろうな、とシレキは思った。
「おーい、オルフィー。迷ってないかぁー」
あまり緊迫感のない声を出しながら男はひょいと角を曲がって、びくりと身をすくませた。
「あ……?」
目をぱちくりとさせ、それから口を開ける。
「おっ、おいおい! 何だよ、何があった!?」
シレキは慌てて駆け寄った。
「おいっ、オルフィ! どうした!」
道ばたでうずくまっているのは、間違いなくオルフィと見えた。肩に手を置かれて、オルフィもまたびくっとした。
「お前まで気分が悪くなったのか? もしかして、カナトともども伝染する病にかかってるんじゃなかろうな。だとすると俺様もやばいが」
最初に体力のないカナトが倒れ、続いてオルフィが、というような連想をシレキがしたのは当然でもある。
「あ……おっさん、か」
オルフィは目の焦点を合わせようとするかのようにまばたきを繰り返した。
「どうし、たんだ?」
「阿呆、そりゃこっちの台詞だ。遅いと思って様子を見に出てくれば……立っていられないほど気分が悪いのか? 仕方ない、手を貸して」
「あ、いや、大丈夫」
ゆっくりと若者は立ち上がった。
「あれ?」
それから彼は額に手を当てる。
「俺、何してた?」
「おいおい」
シレキは苦笑いを浮かべた。
「酷い目眩でも起こしたみたいにうずくまってたんだよ。道に迷って心細くなって泣いてた訳でもないだろうが」
「なっ、泣いてなんかねえよ」
慌ててオルフィは手を振った。
「あれ、でも、何だか……」
彼は辺りを見回した。
「ほかに、いなかったか?」
「ああ?」
「誰かいなかったか? 俺、誰かと話してたような、気がするんだけど」
「……いないぞ、誰も」
念のため同じように見回してからシレキは答えた。
「『話してたような気がする』だあ? やっぱり熱でもあるんじゃないか?」
胡乱そうにシレキはオルフィの額に手を当てた。
「ないよ」
オルフィは顔をしかめてそれを振り払う。
「ふむ。確かに、熱いって感じはないな」
ひらひらと手を振りながら、シレキ。
「疲れたのかもしれんな。薬師の先生んとこにはまだ寝台もあったし、お前もカナトの隣で休ませてもらうといい」
「いや、俺は……あっ、カナトは!?」
はっとしてオルフィは尋ねた。
「まだ眠ってる。お前のこと心配してたぞ」
「眠ってるのに?」
「寝言で『オルフィ、オルフィ』ってな」
「はは」
彼は乾いた笑いを浮かべた。
「判った、とにかく戻ろう。えっと」
オルフィはまたきょろきょろした。
「どっちだっけ?」
「ははっ、やっぱり迷ってたんじゃないか」
シレキは指摘した。
「こんなちっちゃな村で迷うなんてなあ」
「迷ってなんかないよ。俺は向こうからきて、あっちに戻るとこだろ?」
「外れ。そっちだ」
にやにやとシレキは違う方を指した。オルフィは苦いものを食べたような顔をした。
(何だか、変な気分だ)
シレキについていく前に、オルフィは背後を振り返った。
(誰かと、何か大事な話をしていたような気がするんだけど……?)
判らない、と首を振って彼はシレキを追いかけた。
彼らのいなくなった小道を夜風が静かに吹き抜けたあと、闇のなかで悪魔がくすくすと笑った。