13 裏切りの騎士
「何って……」
オルフィは噂を思い返した。
「服を切り裂かれるんだとか」
「その通り。でも彼らは子供を辱めるのが目的じゃない。まずは確認」
「確認?」
「それから、知らせ」
「知らせ?」
馬鹿みたいにオルフィは繰り返した。
「――年若い少年少女の柔肌に、短刀でしるしを刻む。ふふ、いささか倒錯的だね。そこだけ僕が代行してもよかったな」
ニイロドスは微笑みながらぞっとするようなことを言った。
「しるしを、刻む」
死体の、肌に。
オルフィは吐き気がこみ上げるのを感じた。顔色を青くして口を押さえた若者を見ると、ニイロドスは目をしばたたいた。
「繊細になったものだねえ、君ともあろう者が」
「な、何を言って」
「それくらい、本当は全然平気のはずなのに」
「ばっ、馬鹿言うんじゃねえ!」
「ふふっ、そんなふうに怒らないでくれよ」
冗談だとでも言うように――性質が悪いと感じた――ニイロドスは手を振った。
「しるしってのは、何なんだ。神子のしるし?」
「その通り」
ニイロドスはまた言った。
「神子は生まれつき、背中にこういう」
指を宙に滑らせ、ニイロドスは模様を描いた。それはひとつの点と蛇行する曲線から成り立つ簡単な記号のように見えた。
(あの、紋章?)
その記号は例の守り符、そして長老の家にあったしるしに似ているように思えた。
「あざみたいなものを持つんだそうだ。だから、それがあるかどうか、『確認』」
「そして、なければ」
「殺す。そして『知らせ』として刻む」
「誰に何を知らせるってんだよ」
「〈湖の民〉に、神子が狙われていると知らせるため、というのは?」
「そんなの」
ごくり、と彼は生唾を飲み込んだ。どうにも怖ろしい話だ。
「おかしいじゃないか。どうしてわざわざ知らせる必要があるんだ」
「神子だよ。彼らにとって大事な存在だ。探し出して保護するべきと考えるんじゃない?」
「民にも探させようってのか」
「その通り」
三度言ってから、それはにいっと笑った。
「……だと思う?」
「な、何だよ」
オルフィががくっとした。
「違うのか」
「そうさせたいなら、もっと簡単なやり方があるからね」
「簡単だって」
「たとえば、殺してしるしを刻んだ子供の遺体をこの村に投げ込むとか」
「うげえっ」
何という悪趣味な。オルフィはこれ以上ないほど顔をしかめた。
「もちろんこの村の子供から狙ったっていい。まあ、あんまりいないようだけれど」
「そ、それで、違うって言うなら何なんだ」
おぞましい話を続けられまいと、オルフィは急いで尋ねた。
「違うとは言っていないよ。それだけじゃないってところさ」
「なら、ほかの理由は」
段々と苛々してきて、彼はぞんざいに問うた。
「別に難しいことじゃない。これは『ナイリアンで異常が起きている』という知らせになる」
「だから、誰に知らせるんだよ」
「君も知ったね」
「……国中の人間に?」
ぴんとこない。オルフィはしかめ面のままだった。
「それもある。他国にも」
「え?」
「ナイリアンのことに興味を持っているのはナイリアンの人間だけじゃないんだよ」
「……意味が」
「判らないかあ。ちょっと難しいかな?」
くすくすと笑う様子は彼を馬鹿にしているとしか思えなかった。
「さっきも言っただろう。カーセスタもヴァンディルガも、ナイリアンの国力が弱ったら好機と見るだろうね」
「戦? まさか。起きるはずがないじゃないか」
「どうして?」
「あんたも言っただろう。このところずっと、あっても小競り合いだって」
「長いこと起きなかったというのが、今後永遠に起こらないという理由にはならないよ」
諭すようにニイロドスは言った。
「でも、確かにナイリアンは長いこと大きな戦に関わっていない。どうしてか判るかい」
「大きな国で、強いからだろ」
「あはは、真理だ」
ぱちぱちと手を叩いてそれは笑った。
「また馬鹿にするのか」
顔をしかめて、オルフィ。
「していないよ。正しいと言ってるんだ。三十年前の反乱のときでさえ、ナイリアンの国力はびくともしなかった。それは何故?」
「何故って……」
「ナイリアンの騎士。頼れる存在が王家以外にもあったから、というのが大きいね」
ニイロドスは講義を続けた。
「実際彼らはあのとき、〈白光〉〈漆黒〉の上位二位を失っても動じることなく、混乱する王家と人々を守った。これは、ただ能力のある人間がいたってだけじゃない。民の信頼が厚かったからこそ、国の崩壊を起こさずに済んだんだ」
「――〈漆黒〉?」
再び、胸がどきりとした。
「何だ、それ?」
「〈白光〉と〈青銀〉の間には〈漆黒〉という位があったんだよ。ヴィレドーンが最後の〈漆黒の騎士〉ということになるね」
ゆっくりと、ニイロドスは言った。
「ヴィレドーン」
ずきん、と痛むほど鼓動が跳ね上がる。
どうしてかとても怖ろしく思える、その名前。
「裏切りの騎士」
「闇に堕ちた漆黒位。抹消されても当然だろうね」
「〈漆黒の騎士〉……」
呟くように繰り返す。
動悸が激しくなる。
「――黒騎士」
「うん?」
「黒騎士っていうのは、そのヴィレドーンじゃ、ないのか」
睨むようにニイロドスを見ながら、オルフィは低く言った。
それだって、まさかと思う。だがもしかしたらと感じていたこと。
「あっはっは!」
ニイロドスは大笑いをした。
「まさか君が、そんなことを言うなんて!」
「なっ、何だよ。そりゃあ、三十年前に死んだはずの裏切り者だけどさ。悪魔と取り引きをしてたって言うんだろ」
厄除けの印を切りながら彼は話した。
「蘇るなんてことも、あるのかもって……」
「残念だけど、冥界に行ってしまったら悪魔だって魂も身体も引っ張ってくることはできないね。獄界にきたらきたで、死 神 たちが舌なめずりして待っている悪党の魂を地上に戻すなんてことはまずない」
「うええ」
獄界の忌まわしくも怖ろしい存在の名を口にされ、オルフィは慌てて厄除けの印を繰り返した。
「どうして、黒騎士がヴィレドーンだなんて思ったの?」
「アバスターを知ってるみたいなことを言ったからさ」
「それだけ?」
「そ、それに、変に共通するじゃんか。騎士なんて呼称も、漆黒位って話も」
「でも漆黒位については、覚えていなかったんだよね?」
「『覚えて』じゃない、知らなかった」
むすっとオルフィは返した。
「それに……」
「それに?」
「いや、何でもない」
(その名前がすごく怖いなんて)
(言いづらいし、言うことでもないよな)
「まあ、黒騎士の『正体』なんて何だって関係ないけどな」
蘇ったヴィレドーンであろうと、名なき剣士であろうと。
「何者であろうと、ジョリス様の仇だ」
「ふふ」
その名にニイロドスは笑う。
「君はずいぶん、〈白光の騎士〉にこだわってるようだね」
「別に。普通だろ。ナイリアンの人間なら」
少しむっとしてオルフィは返した。
「そうかな?」
ニイロドスは首をかしげた。
「君の場合は、罪の意識からなのかもしれないね」
「そ、そんなんじゃねえよ」
確かに例の箱を開け、籠手を装着したことに対しては強い罪悪感のようなものを抱いている。だがそのこととジョリスへの敬意は全く関係ない。
「ああ、違う違う」
くすくすとそれは耳障りな笑い声を立てる。
「アレスディアとジョリス・オードナーの話なんかしていないよ。僕が言うのはね、オルフィ」
楽しそうにニイロドスは続けた。
「あまりにも有名だよね?『裏切りの騎士』ヴィレドーンが当時の〈白光の騎士〉ファローを斬り殺したのは」
ヴィレドーン。どうにも不吉な、いや、怖ろしい気持ちを抱かせる名前。
それはいったい何故なのか。
どうしてオルフィは「裏切りの騎士の話」ではなく、その名前に、これほど。
「だからじゃないの?……オルフィ」
その笑みは、妖しく見えた。
「ヴィレドーンはファローを憎んでいた訳じゃなかった。立ちはだかる障害だったから仕方なく殺したんだ。ファローさえいなければ、彼の復讐は果たせたからね」
「復……讐?」
何だろう、とオルフィは額を押さえた。
どうしてか、彼はこの話を知っているような。
「やっぱり君は、どこかで覚えているんじゃないの?」
楽しげに、満足げにさえ見える笑み。
「――君が三十年前まで〈漆黒の騎士〉ヴィレドーンと呼ばれていたことを、ね」
(第4話「悪魔の導き」第1章へつづく)