12 神子の行方
「ナイリアンに直接関わる話なら東のラシアッド。あちらは小国で、向こうから仕掛けてくるということはないけれど、その代わりいつナイリアンが牙を剥くか戦々兢々としている。実際に武力闘争がなくとも、強国の隣にいれば刃を突きつけられている気持ちだろうね」
「そ、それはでも、戦じゃないだろ」
「まあね。いまはまだ」
青年――の姿をしたもの――は肩をすくめた。
「それに、だから何なんだよ。あんたは西の出身なのか?」
「少し話がずれたね。西という訳じゃない。ただ、戦場のような熱気と恐怖、痛みと苦しみ、嘆きと狂気が混在する場所からやってきたと言おうか」
「意味が……」
「僕の『やってきた場所』に、君が思うような名前はないんだ」
「地名がない? 国じゃないってことか?」
「まあね」
(何だよ)
(結局、答える気なんかないんじゃないか?)
彼にはそうとしか思えなかった。
「まあ、出身なんかはどうでもいいと言えばいいさ。次だ」
オルフィはニイロドスを見据えた。
「黒騎士を知っているのか」
ここにもまたごまかすようならもう見切ってやろう。そういう気持ちでいた。
「そりゃ知っているさ。評判だ」
ニイロドスはにこやかに答えた。
「ごまかすな。噂を知ってるかってんじゃない。直接見知っているか、正体を知ってるかっていう意味だ」
「正体だって。彼がお化けか何かだとでも思ってる?」
可笑しそうにニイロドスは問い返した。
「生身なのは判ってるさ。俺はあいつの腕を掴み、向こうも俺の首を絞めようとしたんだからな」
「首を?」
ニイロドスは薄く笑った。
「ああ、あれはちょっと酷かったね。君の反撃に驚いて、少しやりすぎちゃったんだろう。でも安心していい、君がきちんと思い出すまでは、もうあんな真似はさせないから」
「ちょ、ちょっと待て」
「何だいオルフィ。いまの君に、かの黒騎士と戦って勝つ自信があるとでも」
「ある訳ない。ってかそこじゃない」
オルフィはやはり逐一答えながら言った。
(俺が思い出す云々は、戯言として)
「あんな真似はさせないっていうのは何だよ。あんたはあいつと組んでて、しかも」
すうっと血の気が引く思いだった。
「指示をしてる? つまり……」
「あっは。つまり?」
「――あんたがあいつに子供たちを殺させて、そして……ジョリス様を」
かあっと目の前が赤くなった。
「出鱈目野郎」だとか〈嘘つき妖怪〉だとかいう思いが彼に待ったをかけるよりも早く、オルフィの手は――左手はニイロドスに向かって伸び、彼自身の身体もまた、驚くべき俊敏さでそれについていった。
もしそこにいたのがかの〈黒騎士〉であったとしても、この突然の猛攻は相手の虚をつき、最低でも相手の腕を掴んだだろう。
だが――。
「おおっと、危ない危ない」
ニイロドスはあっさりと彼をよけた。
いや。
(なっ、何だいまの)
(消え……)
ほんの一瞬、ニイロドスの姿が消えた。そしてわずか十数ファインほど遠ざかったところにいた。逃げたと言うにはあまりにも短い距離、しかし確実に、彼の手が届かなかったところに。見切っていて、彼をからかうように。
「成程、それがアレスディアか。〈黒の君〉も驚くはずだね。まあ、君たちは本来、ほぼ同等の実力を持つはずなんだから、争えばいい見ものになるはずなんだけれど」
「もう、いい加減に」
「はいはい、質問の答えだったね。僕が黒騎士クンに指示を出しているか。否」
肩をすくめてニイロドスはさらりと言った。
「なに?」
「否、だよ。僕は観察者なんだ。ま、もっと無責任に見物客と言ったっていい。野次馬でも」
くすくすとニイロドスは帽子の羽根を撫でた。
どうにも判らない。この青年が何者なのか。何を知っていて、何を考えているのか。
(全部出鱈目って可能性も、ある)
繰り返し彼は考えた。
(でも、俺にこんな意味の判らない出鱈目を話す必要ってのも、ない気がする)
(どんな「必要」があるのかって言うとやっぱり判らないんだけど)
少なくともオルフィは黒騎士と関わっており、目の前の青年はそのことを知っている。それは事実であるように感じた。
「黒騎士の目的は何だ。何のために子供を殺して回る」
うなるように彼は問うた。
「それだ」
ぱちん、とニイロドスは指を鳴らした。
「はっ?」
何が「それ」なのかとオルフィは間の抜けた声を出した。
「だから、それがここ、〈はじまりの湖〉につながるんだよ」
「……どういう」
「黒騎士が……と言うより、彼を操る人物が求めているのは、エク=ヴーの神子の行方なのさ。もっとも、この村から消えたままの存在で、村の者たちは探すことをしない。生憎と長老を脅したってすかしたって答えが出てくることはないだろうけれど」
「彼を操る人物だって?」
どきりとした。
「それっていうのは、黒騎士を動かしている人物がいるってことか!?」
「君自身が言ったんじゃないの。僕が彼に指示をしているとか何とか。僕じゃないけれどね」
「だ、誰なんだそれは!」
「あはは、そこまでは教えてあげられないな」
とても可笑しそうにニイロドスは笑った。
「君が見つけるといい」
「何だと」
「だって、それが君の望みだろう?〈白光の騎士〉を手にかけたのは〈黒の君〉、でも彼が何者かの指示に従ってそうしたのだとしたら、仇討ちはその人物にも向かうのではないの?」
「仇討ち……」
望まないと言えば嘘になる。だが問題は、彼が黒騎士に太刀打ちできないということだ。アレスディアの力を借りても、せいぜい「一撃で殺されずには済む」という程度。
「誰かが指示をしてるなら、やっぱり目的があるってことだ」
オルフィは呟くように言った。黒騎士は「ただひたすら子供を殺したがる狂人」ではない。そのことは判っていたが、それ以上のことはさっぱりだ。誰かが指示していると言われてもそれは同じだが、そこには何か明確な目的があるはず。
「神子……そうだ、エク=ヴーの神子って言ったな。何のことだ」
「ここの〈湖の民〉が湖神エク=ヴーを崇めることは知っているだろう?」
「何となく聞いた」
「へえ、何となく、ね」
くすりとニイロドスは笑う。
「何だよ」
「いいや」
笑顔のままでそれは首を振った。
「彼らにはエク=ヴーの言葉を聞くことのできる神子がいるはずなんだけれど、いまこの村にはいない。十年以上前から行方不明なんだ」
「行方不明? どこに行ったんだよ」
「それが判っていたら行方不明とは言わないだろうね」
「ま、まあそりゃそうだろうけど」
こほん、とオルフィは咳払いをした。
「村を出たってことか? こう言っちゃ何だけど、こんな寂れた村じゃなくて街で一旗揚げたい、みたいな感じで」
「それは難しいだろうね。何しろ、行方を眩ましたときにはまだ幼子だったから」
「幼子? じゃ、じゃあさらわれたとか?」
「どうなのかな。少なくとも〈湖の民〉は長らく神子を探さなかった。それもまた湖神の導きというところだったのかもしれないね」
「長らく? じゃあいまは探してるのか?」
「さあ、どうだろうね? 僕はこの民の動向を見張っていた訳じゃないから、詳しいところは知らないよ」
ニイロドスは肩をすくめた。
「とにかく、黒騎士が探していることは間違いない。彼の犠牲になった子供たちが何をされたかは知っている?」