02 幼馴染み
彼は常に走り回っていた、と言っても過言ではなかった。
「おーい、オルフィ。すまんが、こいつをマクルート村の姉貴に届けてくれ」
「セントースへ行く用事があったら、ついでにこの手紙を持ってってもらえないかい」
「悪いんだけど、裏の扉ががたつくのを見てもらいたいんだ」
「うちの牛の様子がおかしいんで、町に行ったら薬草を買ってきてほしいんだがね」
「オルフィ、これをあの町に」
「ちょっと頼みが」
「オルフィ」
「オルフィ」
「はーい、はいはいはい、何でもやるよ!」
大きく手を振って、オルフィはたいていのことを引き受けた。
オルフィが成人してはじめたのはもともと荷運びだけだったが、生来の好奇心がいろいろなことを覚えさせ、それを活用することを楽しませた。
南西部に散在する村々は貧しく、町から行商がくることもあまりない。首都付近では発達している配達制度も、この辺りでは恩恵が受けられない。彼は荷運びで賃金――駄賃、という程度だが――をもらうほか、村人が欲する品を代わりに買ってきたり、近くの村に暮らす親戚に手紙を運んだり、ちょっとした大工仕事まで、頼まれれば何でもやった。
決めているのは、きちんと代価をもらうことだ。ただの善意ではなかなか続かないし、単純に、食べていけない。
彼は「アイーグ村の何でも屋」などと呼ばれ、実に忙しくも充実した日々を送っていた。
「オルフィ兄ちゃん!」
「おっ、メリクか。どうした? 遊ぶか?」
「遊ぶ! 遊ぼ!」
七つかそこらの男の子はオルフィの問いかけににこにことした。
「おーし、何して遊ぼうか」
「アバスターごっこ!」
「よしよし。俺は何になろうか?」
「悪い魔法使い!」
「むむ、ちょっと難しいな」
英雄アバスターの名は、誰でも知るところだ。ナイリアンに生まれ育てば、誰でもアバスターに憧れる。オルフィもその例に洩れず、かつては彼も「アバスターごっこ」をしたものだ。同年代の子供たちと、誰がアバスター役になるかを巡って大喧嘩をしたこともある。
十八にもなればさすがに子供と競うことはなく、当然その座はメリク少年のものだ。
「ふはははは、貴様の命運もここまでだ、アバスター!」
「難しい」と言ったことなど忘れて、オルフィは思う存分に「悪い魔法使い」を演じた。さすがにこれは仕事ではない。
「今日という今日は、貴様の息の根を止めてやる!」
「悪い奴め! えい、えい!」
子供もすっかりその気になって、剣に見立てた木の枝を思い切り振るってくる。
「いててて、ちょ、ちょっとメリク、痛い痛い」
「メリクじゃない! アバスター!」
「ご、ごめんごめん」
「まいったか!」
「参りました……アバスター様……」
悪い魔法使いは地に伏して降参した。メリクは満足すると、勝利の雄叫びを上げて辺りを走り回った。
くすくすと笑い声が聞こえる。
「魔術師さん、改心したならお茶はどう?」
見上げれば、赤みがかった茶色の髪を長く伸ばした娘が、明るい茶色の瞳をほころばせて楽しそうに笑っていた。
「リチェリン」
ぱっと魔法使い改めオルフィは立ち上がった。
「や、久しぶり」
「全くだわ。たまには顔を見せなさいよ、不義理なんだから」
「ちょくちょくきてたって! でも教会へ行くより早く、次の用事をもらっちまうことが多くって」
「とんぼ返りする前に挨拶くらいできるでしょ」
リチェリンはオルフィより少し年上の娘だ。幼い頃は一緒にアイーグ村で育ったが、身よりのない彼女は神女を志し、教会のある村へと移っていた。
「ん、何つーか、邪魔しちゃ悪いかなって」
ぼそりと彼が言えば、リチェリンは片眉を上げた。
「ムーン・ルーの神女になる勉強、忙しいんだろ。神父様の手伝いだって」
「それなりにね。でも忙しさで言ったらオルフィにはとても敵わない気がするわ」
おどけたように両手を拡げてリチェリンは言った。
「きたかと思えば、幼馴染みのお姉さんに挨拶をする時間もなく、飛び出ていくんですもの!」
「悪かったってば」
苦笑いを浮かべてオルフィは謝罪の仕草をした。
リチェリンと彼との関係は、まさしく彼女の言った通り、姉と弟のようなものだった。オルフィに父親はいるが母親は亡く、幼い頃はふたり揃ってアイーグ村の「世話焼き母さん」ことルシェドに面倒を見られていた。ルシェドのところは子だくさんで、ひとりふたり騒がしいのが増えても気にしない、と鷹揚にふたりの子供を引き受けてくれたのだ。
もっとも、いつまでも面倒を見てもらう訳にはいかない。
リチェリンは神女を目指してルシェドとオルフィとアイーグ村を離れ、オルフィも自らの食い扶持は自ら稼ぐべく、成人するとすぐに荷運び屋をはじめた。
彼の父ウォルフットは健在だが、特に親密な親子仲でもない。険悪ということは全くないが、息子が成人すれば責任は果たしたという感じで、ろくに家に帰らなくても何も言われなかった。もとより父も仕事に忙しいのだ。
「そうだ、リチェリン」
教会の一室でクラル茶を飲みながら近況を報告し合っていた彼らだが、話が途切れたところでオルフィはふと言った。
「何かほしいもの、ない?」
「ほしいもの?」
突然の問いかけに、リチェリンは首をかしげた。
「いや、ナイリアールに行く用事ができたからさ。首都ならいろんなものがあるし」
「忙しいわねえ、本当に」
リチェリンは感心するような呆れるような声を出した。
「身体は大事にするのよ。若いからって無茶をしていると、とんでもないしっぺ返しを食らうこともあるんですからね」
「ちぇ、ルシェド母さんみたいなことを言うなあ」
「心配してるから言うのよ。私も、ルシェド母さんも」
ぴしゃりとリチェリンは言った。
「オルフィが頑張り屋さんなのはよく知ってるわ。ちょっと疲れてても、頼まれたら頑張っちゃうでしょ」
「料金はちゃんともらうんだし、別に」
「無償も有償も関係ありません。疲労は判断力も低下させるのよ。驢馬のクートントだって年寄りなんだから、無茶させないように」
「判ってるよ。クートントがいなかったら俺はちっとも商売にならない。俺が無茶をしてもクートントにはさせません」
「オルフィも無茶しちゃ駄目って言ってるの!」
リチェリンは完全に「お姉さん」調で言った。判ったよ、とオルフィは苦笑いで答えるほかない。
「それで?」
「それでって?」
「だから。何かないの? ほしいもの」
「うーん。特にないわね、せっかくだけど」
「何でもいいんだぜ。首都なんだから。あ、この前、気に入りの髪留めをなくしたとか言ってなかったか?」
「いつの話よ。もうとっくに代わりを用意したわ」
「でも、いくつか持ってたっていいもんだろ。腐る訳じゃなし」
「そりゃあ、腐らないけど」
くすくすとリチェリンは笑った。
「私は神女になるのよ。身を飾るようなことは避けて、慎ましくしなきゃならないの」
「そんなの、なってからでもいいじゃないか」
「駄目よ。そういうことを覚えちゃったら、きっと捨てるときに残念に思うわ。最初から知らない方がいいの」
「そういう、もん?」
ぴんとこなくてオルフィは顔をしかめた。
「たぶんね」
肩をすくめて神女見習いは言った。
「そっか。要らないか」
「ごめんね、仕事させてあげられなくて」
「あ? ああ、いや、別に」
かまわないよとオルフィはもごもご言った。
「そうだわ、神父様にお聞きしてみようか? 何かご入り用なものがあるかもしれないわ」
ぱんと手を合わせてリチェリンは立ち上がった。
「神父様から、金は取れないなあ」
口の端を上げてオルフィは言った。
「あら、駄目よそんなの。きちんと代価はもらう、っていうのがオルフィの決めごとでしょ」
「それはそうだけどさ、神父様は特別だよ。あ、もちろん、必要なものがあるなら仕事抜きで買ってくるけど」
「オルフィはそれを仕事にしているんだから、ちゃんとお金は受け取らなくちゃ駄目よ」
リチェリンは叱るように言った。
「たとえば貧しくてどうしようもないという人は別だけれど、そうした場合を除いて、誰からでも公正に過不足なく代価をもらうことは、やがてきちんと評価につながるのよ」
まるで教師のような口調でリチェリンは続ける。
「友だちからお金を取ったりするのは気が引けるでしょうけど、そうすることによって信頼も得られるわ。頼む方では、友情の延長ではなく玄人に仕事を依頼するんだと思うようになる。請ける方でも責任感が芽生えるわね」
彼女は肩をすくめた。
「もしそれで友情が破綻するなら、それだけの関係だったのよ」
そこまで言ってから、リチェリンは小さくあっと言って口を押さえた。
「最後は言いすぎだったわ。こうしたことは神父様から教わったのだけれど、こんな言い方しか出てこないんじゃまだまだね」
「見習いなんだし、まだまだでいいんじゃねえの」
オルフィは少し笑った。
「とにかく、代価はちゃんとね」
神に祈る仕草をして、リチェリンはきっぱりと言った。
「待ってて、伺ってくるわ」
「おい、いいよ。用聞きなら俺が自分で」
「少しくらい手伝わせてちょうだい」
にっこり笑ってリチェリンは言い、仕方ないなとオルフィは手を振った。