11 言っても判らないよ
(変わり者、なんて段階じゃない)
(頭がおかしいのか)
(いや、それにしても)
「――黒騎士を知ってるのか」
彼はもう一度問うた。
「あんた、俺がさっき黒騎士なんて口走っても当然のように返事を寄越したよな。それに、そうだ、あんたと会ったあとだ。あの町で黒騎士が俺の前に現れたのは」
「あは、そうだったね」
さらりと青年は答えた。
「やっぱり! 知ってるんだな! あのときも見ていたのか。いったい何のために」
「君に思い出してもらうためだよ」
やってきた答えはそれだった。
「面白いねえ。君の封印は実に厳重だ。〈閃光〉アレスディアが鍵の役割も果たしているのかな? ラバンネルというのも面白い奴だったけど、彼やアバスターには隙がなくてねえ」
「な」
またしても飛び出した二英雄の名。
(こいつもアバスターやラバンネルを知ってるのか?)
(い、いやいや、まさか)
(〈嘘つき妖怪〉ぶりが発揮されてるだけ……)
しかし青年の言を疑うのなら、オルフィと黒騎士のやり取りを知っているかのような発言も嘘かもしれないと思うべきだ。
(くそっ、何なんだこいつ!)
「僕は嘘なんてついていないよ」
彼の心を見透かしたかのように青年は言った。
「何なら、僕の神にかけて誓ってもいい」
「あんたの神?」
それは少々変わった言い方だった。神官たちでもあれば、自らの仕える神を「我が神」などと言うこともあるが、普通の人々は「自分の」というような言い方はしない。ただ「神に誓って」或いは状況に応じて適切な神の名を用い、「何々神に誓って」と言う。
「神官、には見えないけど」
「あっはっは」
たまらずという風情で、青年は手を叩いて笑った。
「僕が神官! それは最高の冗談だ」
「だから、見えないって言ってるだろ」
むすっとしてオルフィは呟いた。
「――僕の神の名を知りたい?」
「え……?」
不意に青年の調子が変わった。
開けっぴろげで陽気な雰囲気であった笑顔は、一瞬でどこか酷薄な感じのするものになった。紫がかった不思議な色の瞳はその濃さを増し、奇妙な冷たさを思わせた。
「教えてあげようか、オルフィ。でもそのときには知るだろう。それは君の神でもあることを」
まるで託宣のようにゆっくりと青年は告げた。オルフィは顔をしかめた。
「俺はどの神様にも特別な祈りなんか捧げてない」
つき合わなければいいと思ったにもかかわらず、ついついオルフィはまともに返事をしてしまう。
「フィディアルやヘルサラクなんかには祈ることが多いかな。でも『俺の神』なんて思わないし、あとはどの神様もとんとんって感じだし」
「ふふっ」
雰囲気が戻った。
「その神様たちが君の祈りを聞いてくれたことはあるかい?」
「神様なんて気まぐれなもんだろ。聞いてくれたら超幸運ってとこだ」
「聞いてくれなかった、と」
「別に、俺は」
願いを聞いてくれない神様なんてケチだとか、そんなふうに思ったことは――ただの一度もないとは言わないが、それはちょっとした愚痴みたいなもので、本気で恨んだりしたことはない。
そうしたことを言おうとしたオルフィだったが、青年が先に話した。
「僕たちの神なら、願いを聞いてくれる。君はそのことを知っているはずだよ」
「……何だか、胡散臭くなってきたな。いや、最初からだけど」
ぶつぶつとオルフィは呟いた。
「詐欺師じゃなくて、神官でも魔術師でもないけど、何か新しい信仰に人を誘おうとかって……いや、それはやっぱり神官か……?」
「あはは、少なくとも新しくはないね」
青年は答えた。
「まさか、湖神ってやつ」
「違う違う。エク=ヴーは願いを叶えるみたいな神様じゃないよ。ああいうのは守り神って言うんだ」
ちちち、と青年は一本立てた指を左右に振った。
「そんなことを教えてもらいたい訳じゃない」
いつまでも相手の調子に乗っていては駄目だ、とようやくオルフィは気づいた。
「さっきからあんたは思わせぶりなことを言うばかりで、何ひとつ俺の質問に答えてない。そろそろ俺は、あんたの暇つぶしにつき合わされているだけだと気づいた方がいいのかもしれない」
これが何者であれ、親切な友人などでは決してない。いまのところは〈嘘つき妖怪〉かとしか思えない。
「本当に答えてほしいなら、答えるけれど?」
青年はさっと羽根のついた帽子を取ると優雅に礼などした。
「ただし覚悟は、決めてもらうよ?」
そして再び帽子をかぶりながら笑みを見せる。
「それが思わせぶりって言うんじゃないか」
オルフィは渋面を作った。
「でもようやく話す気になったってんなら、そうだな、まずは名前だ」
鼻を鳴らして彼は両腕を組んだ。
「俺はアイーグのオルフィ。あんたは?」
「思い出せない?」
「いい加減にしろって」
「ニイロドス」
そこで、それは名乗った。
「僕はニイロドスと呼ばれている。かつて君もそう呼んだ」
「ニイロ……ドス」
やはり覚えはない。
だが彼はその名にぞくりとするようなものを感じた。
「あんた、いったい」
「ふふ、記憶のかけらくらいは残っているのかな。それともニンゲンの本能?」
くすくすとニイロドスは笑った。
「さあ、最初の手がかりだよオルフィ。僕の名前に、君は何を思い出す?」
(何を言ってるんだ、こいつ)
(薄気味悪い感じはするけど、やっぱり知らない名前だし)
(やっぱり、出鱈目野郎だ)
彼はその確信を新たにした。
もちろん、オルフィは知らなかった。ニイロドスと名乗る存在が、宮廷魔術師コルシェントとどんな話をしているか。コルシェントがニイロドスを悪魔と呼んだことも。
何も。
「訳判んない話はしないでくれ。次だ」
オルフィはニイロドスを睨むようにした。
「あんたはこの村の人間か?」
「いいや」
「それじゃ、どこの」
「君の知らないところだよ」
「ナイリアンじゃないのか?」
「ああ、違う」
「じゃあどこだよ」
「言っても判らないよ」
「隠さなきゃならないようなところなのか」
「そんなに知りたいの?」
それは肩をすくめた。
「ねえ……君は戦場を知っているかい?」
「戦場だって?」
「知らないだろうね。南の隣国カーセスタはたまにナイリアンにちょっかいをかけてくるけれど、南の境界線付近でたまに小競り合いがある程度だ。騎士が出向くようなこともない。街道での魔物との戦いも、戦争とは言わないだろう」
「どっかで戦をやってたってのか?」
オルフィは判らずに眉をひそめた。ナイリアンの歴史は大まかに神父タルーから教わっていたが、戦の話はずいぶんと古いものを少し聞いた程度だ。先日カナトから聞いた話の方が詳しいくらいだし、ましてや他国のものまでは知らない。
「『やっていた』じゃない、『やっている』よ、いまも」
青年は答えた。
「西のお隣ヴァンディルガは、ナイリアンにこそ手を出さないものの、間にある小国のことはしょっちゅう脅かしている。下手に武力統合すればナイリアンもうるさいと思ってだろう、大げさなことはしないが、何かと難癖をつけてね」
「そんなこと……」
「自分には関係ない?」
「そうは言ってないだろ。知らなかっただけで、その……」
ヴァンディルガとの間には高い山脈がある。ナイリアンの南西部は、距離でいけば首都ナイリアールよりヴァンディルガの東端が近いくらいだったが、険しい山があるためにほとんど意識されないのだ。