08 噂話とかじゃなく
「思わぬ客の訪問で長老は疲れておいでだ。用件は短く済ますように」
「は、はい。なるべくそうします」
ほかの客のことなんか知るか――などとは言わず、オルフィは素直に答えた。
(ええと、話をまとめなきゃな)
(まずは黒騎士の話からすればいいか?)
「あの」
踵を返して歩き出したソシュランに続きながら、オルフィはその背中に話しかけた。
「黒騎士の噂は、知ってますか」
南西部にまで届いてきた噂だったが、アイーグとてここまで「ナイリアンの端っこ」ではない。もし知られていなければそこから話す必要があると思ったオルフィは確認の意味で尋ねた。
「耳にしている」
振り返りもせずにソシュランは答えた。
「非道な輩だ。もしその人物が〈はじまりの湖〉に近寄ることあらば、湖神の名において我が戦輪の錆にしてくれよう」
頼もしいような怖ろしいような台詞がやってきた。
(愛想はないけど、話にはつき合ってくれる感じだな)
そう判定するとオルフィは、もう少し尋ねてみることにした。狭い村であるから長老の家までもすぐだろうが、簡単な質問ならできる。
(ジョリス様とかアバスターのことは、普通、知ってるよな)
ここは確認しなくてもいいだろうと思った。それにジョリスの話をして、触れの話になったら嫌だという気持ちもあった。さすがにここまで触れは出回っていないかもしれないが。
(まあ、駄目でもともとで)
「じゃあ、大導師ラバンネルって知ってますか」
思いついて尋ねた。否定の言葉が返ってくるだろうと思った。
「何」
ソシュランは足をぴたりととめ、今度は振り向いた。
「ラバンネルだと」
「え」
「彼が黒騎士と何か関わるのか」
「し、知ってるんですか!?」
驚愕してオルフィは声を裏返らせた。
「ままままさか、この村に住んでいたりとか」
「いや」
これは簡単に否定された。
「彼がいまどこでどうしているのかは知らない。しかしラバンネルは」
ソシュランはそこで言葉を切った。
「……いや。私が話すべきことではない。長老に尋ねるといい」
「え……」
オルフィは動悸が激しくなるのを感じた。
(な、何だろう。や、やっぱりカナトが目覚めて回復するのを待った方がよかったかな)
大導師のことについて、彼は何も知らないも同然だ。
(でも)
(まさかここで、手がかりが!?)
期待が湧いて出た。ソシュランは居場所を知らないと言うが、長老は何か知っているかもしれない。
(わあ、どうしよう。何をどう話したら)
若者の頭のなかはわやくちゃになった。尋ねたいと思っていたのは黒騎士がオルフィと取り違えた誰か――仮称「ルサ」――のことであったのに、ふっと口をついて出たラバンネルのことが判るかもしれない。
「オルフィ」
「え」
「私からは話せぬが、どうか答えてくれないか」
「答えてって、何を……」
「ラバンネルが黒騎士と関わるのか」
ソシュランは繰り返した。
「え、いや、その」
オルフィはまばたきをした。
「違う。いやその、少なくとも俺の知る限りでは別に」
黒騎士は正体不明で――疑っていることはあるが――その目的もよく判らない。一方で彼がラバンネルを探すのは。
(籠手の件)
(……待てよ?)
黒騎士は籠手アレスディアを気にかけている。アレスディアはかつて英雄アバスターが使用した籠手ということだが、それに術を施したのはラバンネル。ジョリスが箱の開封、つまりアレスディアを求めたのであれば、その理由は黒騎士討伐のため。
(って、ことは)
(全く関わりないってことも、ないのか)
「彼が非道な咎人に与するとは思えぬが……」
声に懸念が混じった。
「あっ、いや、そういうことなら間違いなく違います!」
誤解に気づいたオルフィは慌てて言った。
「ラバンネルはどっちかって言うと、黒騎士の敵なんじゃないかな」
黒騎士はアバスターとラバンネルの籠手を警戒している。そう取ることは不自然ではない。
「――そうか」
ソシュランの表情が緩んだ。
「それならばよかった」
(この人)
オルフィははっとした。
(ラバンネルを知ってるんだ。噂話とかじゃなく、当人を)
そして、よい感情を抱いている。親愛、という感じとも違う。そこまで近しいものではなく、もう少しかしこまった感じがした。
(言うとしたら……恩義、とか)
彼はそんな言葉を思いついた。
「あっ、あのさ」
「あとは長老に」
畔の村の守り人は若者の言を遮り、再び踵を返した。
「そこだ」
男が指し示したのは小さな一軒家だった。
地味な造りは村のほかの建物と共通していたが、一箇所だけ目立つ点がある。
入り口の扉の上に描かれた紋章のようなもの。
(あっ、あれは!)
オルフィはどきっとした。
見覚えがある。
(カナトが渡された守り符と同じ)
そっとオルフィは隠しの上からそれに触れた。
蛇のようにも見えるそれをカナトの師匠ミュロンは〈空飛ぶ蛇〉と呼ばれる竜の眷属だと言った。橋上市場の商人は、湖神をかたどったものだと。
(湖神、〈はじまりの湖〉、〈湖の民〉……その長老)
ごくり、とオルフィはのどを鳴らした。
(どんな人なんだろう)
にわかに緊張を覚える。彼は能天気にもアイーグの村長のような気のいい老人を想定していたが、間違いなのかもしれない。
(昔とは言え、戦う民の長なんだろ)
(以前、ルタイの詰め所に短気で怒鳴り散らしてばっかの隊長がいたことがあったけど、まさかあんな感じだったりとか)
あの頃は、父ウォルフットのところに遊びに行ってもつまみ出されたものだ。オルフィはまた違う意味でどきどきしてきた。
ソシュランが扉を叩き、オルフィを連れた旨を伝えた。なかから返事があったと見え、男はうなずいて若者を振り向くと、入るよう促した。
「えっ、ひ、ひとりで?」
こうなるといかめしい印象のソシュランでも、傍らにいなくなるのが不安に思える。
「無論だ」
守り人はうなずいた。
「先ほどは手短にと言ったが、訂正しよう。ラバンネルの話ならば長老もお聞きになりたいはずだからな」
何も「ラバンネルの話」ではなかったのだが、尋ねたいことの上位にきたことは確かだ。オルフィは深呼吸をすると扉に近づき、取っ手を握ってそっと押した。
「し、失礼します」
薬師に「常識と礼儀」と言われたことを思い出す。彼が持つのは田舎者の常識と礼儀にすぎないが大丈夫だろうか、などと益体もないことを考えた。
キイ、と木の扉は小さく返事をして彼を迎え入れる。
「お邪魔、します」
固い声でオルフィは呟くように言い、屋内にそっと進んだ。
窓の向こうはもう薄闇が訪れ出していたが、燭台に火が入れられていて、部屋の移動に問題はなかった。長老の家と言っても贅沢なところは見られない。村の雰囲気と違わず質素な感じがした。
「こちらへ」
しわがれた声がした。オルフィはびくりと身をすくませた。
「は、はい」




