07 守りを司る者
疲労でしょう、と三十代前半ほどの薬師は簡単に言った。
「未成年のようじゃないですか。いくら若いと言ってもまだ身体が完成していない時期なのだから、大人がきちんと気遣わなくては駄目ですよ」
「す、すみません」
オルフィは恐縮して頭を下げた。
「君よりも。そちらのあなたです」
薬師はシレキを睨んだ。
「親御さんですか?」
「あ? い、いやいや、違う違う」
慌てて調教師はぶんぶん手を振る。
「そうでないとしても、父親ほどの年齢でしょう。あなたが彼らを見ていなくてどうするんです」
びしびしと薬師はシレキを叱った。面目ない、とシレキはしゅんとした。
「あの、先生」
説教が一段落したところで口を挟む隙を見つけると、オルフィは挙手などした。
「本当に、ただの疲労ですか」
「少なくとも熱はありませんね。脈拍も正常。病の精霊に憑かれたときのよくある諸症状は見当たりません。重い病であれば判りませんが」
「ちょ、ちょっと」
不吉な言葉にオルフィは焦った。薬師は首を振る。
「顔色の悪いところを少し眺めたくらいで何でも判ると思われては困ります。彼が目を覚ましたら問診をして、もし自覚症状があるようならそれから判ることもあるでしょうが、おそらくは心配しなくてもいいでしょう」
「何だ」
「その可能性はあるが低い」という訳だ。オルフィは息を吐いた。
「なあ先生」
こほん、とオルフィは咳払いをした。
「おかしなことを訊くと思われるだろうけど」
「何です?」
若者の前置きに薬師は片眉を上げた。
「この村に魔術師はいるかな」
「魔術師ですって」
彼の予想通り、薬師は目をぱちくりとさせた。
「いませんよ、そんなもの。あなたたちはどちらからきたんですか?」
「えっと、あっち」
オルフィは西の道の方を指した。
「でしたら坂を下って右へ折れてしばらく行くと町がありますから、そこで協会でも訪ねるといいです。或いはラシアッドへ行くのでしたらそのまま関所を越えて進めばやはり協会のある町に着くんじゃないでしょうかね」
「いや、別に魔術師を探してる訳じゃなくて」
探してるけど、と内心でオルフィは呟いた。
「こいつが倒れたのに何か関係してるかもって」
「どうしてそんなことを」
「それが……」
どう言ったものか、オルフィは迷った。
「あんたたちの長老って人にはどうやったら会える?」
すっとシレキが口を挟んだ。
「どうもこうも、常識と礼儀を持って訪問すれば会えますが」
「そりゃよかった。どっちもたんと持ってる。な?」
「まあ、それなりには」
それほど自信たっぷりには答えられないが、人並みには持っていると思った。
「ところであの湖の真ん中にあるのはここの神様の祠なのか?」
「ええ、エク=ヴーの祠ですね」
「見に行けるもんか?」
「……あなた方は」
薬師は少々胡乱そうな顔つきを見せた。
「そうは見えませんが、学者か何かですか? それとも紀行家」
「紀行家だって?」
オルフィは思わず聞き返した。あまり思い出したくない人物の姿が脳裏に蘇る。
「知りませんか。何でも旅をして各地の文化などを著すのだとか」
「き、聞いたことはある、かな」
「少なくとも紀行家ではないようですね。では研究者?」
「どっちでもないよ。その……人探しをしてるんだ」
「人探し? 祠には誰も隠れていませんよ?」
隠れられるような大きさでもありませんし、と続いた。
「この畔の村の人たちには、いろいろ訊いてみたいことがあるんだ。でも最初は長老にお話しするのがすじってもんかなって思ってる」
「成程」
薬師はうなずいた。
「確かに常識と礼儀をお持ちのようですね。判りました。取り次いで差し上げましょう」
正直なところを言うのなら、カナトの知識と口がほしいところだった。だが少年は眠ったままだし、目を覚ましたとしてもすぐに頭と気を使うことなどさせられるはずがない。
オルフィは考えた末、拙かろうと自分で話してみることにした。
「おっさんは、カナトについててくれ」
「お前ひとりで行くのか?」
「ああ。どんなことをどんなふうに話せばいいかは道々考えてきたし」
これは少々大口というものだった。触れの話に動揺した彼が考えていたのはジョリスのことばかりだったからだ。
「ふん、まあいいだろ。お前さんの事情だ」
シレキは彼のはったりをどう思ったにせよ、好きにしろと手を振った。
「カナト少年のことは任せておけ。と言っても、ついてるだけだがな」
「充分だ。頼むよ」
薬師は手伝いの子供に伝言を託すと、オルフィに外で待っているように告げた。何も迎えになどきてもらわなくても自分で行けると彼は思ったが、何かしきたりがあるんじゃないかとシレキに言われ、大人しく薬師の家を出て待つことにした。
もっとも、時間はそれほどかからなかった。
玄関の脇にある花壇――薬草を育てていると見えた――を眺めている内に、オルフィは、薬師の家を目指して誰かがやってくるのに気づいた。
「お前が長老に会いたいと言う旅人か」
現れた男は四十前ほどだろうか、どこか品のある風情で、もし着飾って口髭でも整えたら貴族の旦那様と見えるかもしれなかった。
だがそれは「いかめしい」だとか「頑固そうだ」とかいう印象も伴った。
もっともオルフィが感じ取った第一印象は、また違った。
(戦士)
とっさに感じたのは何故だったか。男は剣を佩いている訳でもない。
(あ……戦輪)
それから男の腰にあるものとカナトの話を思い出す。エクールの民は戦輪を使って戦ったと。薄暗くなってきてよく見えないが、確かに男は円形の何かを左腰にぶら下げているようだった。
(この村の、護衛みたいな役割を持ってる人なのかな?)
(或いは長老の)
彼らが戦う民だったのは昔のことだという話だ。だが古くから戦輪を使っていたなら、その継承者がいても何もおかしくない。
「私はソシュラン」
まず男は名乗った。
「〈湖の民〉の守りを司る者だ」
案の定と言うのか、男はそう続けた。
「オ、オルフィです」
彼が名乗り返すと、ソシュランはうなずいた。
「我らが長は、客人があれば喜んでお会いになる。だが今日は珍客が続くな」
「珍客だって?」
オルフィは目をしばたたいた。
「ほかにも客が?」
それがいささか意外だったのだ。こう言っては何だが、畔の村はこれまで耳にしていた話から予想できる通りの寂れた場所で、旅人など滅多にやってきそうにない。ラシアッドとの国境はすぐそこで関所もあるようだが、湖畔でも自分たち以外の人物を見かけず、オルフィは南西部の雰囲気を思い出していたのだ。
(アイーグやカルセンに、旅人も客もこないもんなあ)
定期的に訪れる商人などはいるがその程度だ。
「確かに珍しい」
ソシュランはオルフィの心を読んだかのように言った。
(もしかして珍客って言うのは)
(客自体が珍しいってことかな?)
そう思ってはみたものの、何だかぴんとこなかった。