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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第3話 裏切りの騎士 第4章
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05 エクール湖

 〈はじまりの湖〉が近くなる。

 オルフィはどうしてかどきどきしてきた。抱えている問題や懸念はさておいて、首都ナイリアールよりディセイ大橋の橋上市場より、このエクール湖見物を楽しみに思っているかのようだ。

(もちろん物見遊山じゃないけどさ、何もずっと沈痛な面持ちをしていなくてもいいと言うか)

(……脱力感みたいなもんはあるけど、いつまでもそれじゃ、またカナトに心配させちまう)

 無理に笑みを作って見せても、鋭い十三歳はしっかり気づいて危惧を浮かべるようになってきた。状況に似合わぬ好奇心であろうと、湖への興味が気分を上向かせてくれるなら大助かりだった。

 日が陰ってくる。予想通り、暗くなる前に畔の村にたどり着けそうであった。

「宿屋なんてあるのかな?」

「食事処はあるだろうから、その片隅を借りることくらいはできるだろう」

 知ったようにシレキが言った。

「最悪、厩舎とかでも、屋根のあるところがいいな」

 考えながらオルフィが言えばシレキはおおと声を上げた。

「厩舎なら嬉しいじゃないか。(ケルク)も可愛いぞ」

「それは否定しないけどさ、決して『嬉し』くはないかな」

 まずはひと休みして雰囲気を見て取り、長老とやらに挨拶に行けるものか確認する。すぐに可能ならさっさと訪れ、明日の朝にとでも言われたらさっさと眠る。そうした方針とも言い難いことを決めて、彼らは坂を登り切ろうしていた。

 一歩、二歩。

 何だかどきどきする。

 オルフィは知らず早足になり、同行者を少し離してそこに立った。

「うわあ……すげえ」

 視界が開けると、オルフィは呆然とした。

「『でかい池』じゃ済まないじゃないか、こんなの!」

 エクール湖は大きな湖だった。南東にそびえるキレン山脈の岩壁がかすむほど遠い。東にいたっては水平線が見えるほどだ。

「想像以上です」

 追いついてきたカナトも驚いた。

「海、というのはこういう感じなんでしょうか」

「まあ、海に比べりゃ大したことないんじゃないか」

「シレキさんは、海を見たことが」

「無い」

 きっぱりとシレキは答え、カナトの苦笑を誘った。

「すげえなあ……あっ、あれ何だ?」

 オルフィは目にしたものを指差した。

「何か建ってる」

 湖の中央辺りになるのだろうか、小さな島にぽつんと建った何かは陽を浴びて美しく光っていた。

(ほこら)かね」

 シレキが目を細めた。

「湖神を奉ってるんじゃないのか」

「あんなところじゃお参りに行けないじゃんか」

「舟を使えばいいだろう」

「わざわざ?」

「それが習慣になってりゃ、面倒だとかは思わないもんさ」

 知ったようにシレキは言った。

「ほら、向こうに小舟が停泊されてる」

「ほんとだ」

 道は少し下り、湖の水際は砂浜のようになっていた。さざ波が寄せては打ち返す様を見たオルフィはまた口を開け、世界の神秘を目にしたような気持ちになっていた。

(不思議と、落ち着くような気持ちになるな)

 爽やかな風が辺りを吹き抜ける。オルフィは乱れた前髪をかき上げた。

「きれいだなあ。静かで、何つうか、心穏やかになるって言うの?」

 ため息をつきながらオルフィは振り返った。

「何だか……懐かしいみたいな感じもする」

 初めてなのに変だよな、とオルフィは笑った。

「オルフィもですか? 実は僕もなんです」

 しかし意外にも少年から同意がきた。

「原風景、と言うのかもしれませんね」

「げん、何?」

 また聞き慣れない言葉だ、と彼は目をしばたたく。

「誰もが心に抱く心象風景……母親のお腹にいるとき、赤ん坊は水のなかにいるんだそうです。だから人は、水に包まれると安心するというような……」

「へえ?……でも赤ん坊が水のなかなんて、溺れないか?」

「平気なんだそうですよ」

「ふうん」

 ぴんとこないが、賢いカナトが言うのだからそうなのだろう、とオルフィは気軽に信じた。

「俺は特に何も感じないな」

 首をかしげてシレキが言った。

「おっさんは赤ん坊時代なんて遠すぎて忘れてんじゃないか?」

 にやりとしてオルフィは言った。シレキはうなった。

「なあ? カナト……うん?」

 彼は声をかけたが、少年がしかめ面を見せているので目をしばたたいた。

「どうしたんだ?」

「いえ、何だか」

 カナトはまるで頭痛をこらえるかのようにこめかみに手を当てた。

「妙なものを感じます」

「妙だって?」

「シレキさん、どうですか」

 魔術師は魔力を持つ調教師に尋ねた。

「うん?……うーん」

 言われたシレキはうなって眉をひそめた。

「いや、俺は感じないようだ。魔術の気配なのか?」

「ええ……いえ、違うような気がします」

 カナトは、彼にしては珍しく曖昧に言った。

「どこから感じるんだ? あの祠か?」

「はい」

 この答えは明瞭だった。

「でもそれだけじゃありません。ほかにも……あ」

 少年は目をぱちくりとさせ、それからはにかむような表情を見せた。

「ここでした」

「え?」

 カナトが何を言ったのかオルフィは一(リア)理解できなかったが、次にはカナトの照れ笑いの理由を把握した。少年は隠しから鋳鉄製の守り符を取り出したのだ。

「何だろう。魔力ではないんですが、ほのかな暖かさを感じます。橋上市場の商人さんが言っていたことは事実だったみたいですね」

「じゃあそれは本当に湖神の守り符なのか」

 オルフィはへえっと声を上げた。

「しかもただかたどっただけではなく実際に力あるもののようです。質の違う力なので巧いことは言えませんけれど」

「俺には判らんなあ」

 のぞき込んでシレキが首を振った。

「まあ、呪いが解ければ判ることもあるはずだが」

「何つーか、不思議だな」

 オルフィはシレキの台詞に苦笑いをするよりも、奇妙な感心を覚えていた。

「神父様がミュロン爺さんに預けようとした品が、こうしてやってくることになった湖と関わりがあるなんて」

 橋上市場で聞いたときは「面白い偶然だな」くらいにしか思わなかったのだが、改めてこの場でその話を思い返すと感慨のようなものが湧いてくる。

「あの、オルフィ」

 カナトはきゅっと守り符を握り締めた。

「これはあなたが持っていた方がいいんじゃないでしょうか」

「へっ? 何でそうなるんだ?」

「オルフィが運んだものです。これもあなたが『拾い上げた』もので、僕が持っているべきじゃないのではと」

「またそれか。やめてくれよ」

 苦笑して彼は手を振った。

「ミュロン爺さんがカナトの守りにって持たせたんじゃないか。俺は関係ないよ。だいたい、力なんかも感じない。カナトが何か感じてるなら――」

 それがカナトの持つべきものだということではないか、などとオルフィは笑って続けようとした。

 だがその笑みは凍りつく。

「あ……あつい」

「カナト?」

「おい、どうした少年」

「何だか、急に、めまい、が」

 がくん、とカナトの膝が折れた。

「カナトっ!?」

「お、おいおい!」

 すぐ近くにいたシレキが慌てて少年を支えた。ことん、とその手から守り符が落ちる。

「どっどうしたんだ、大丈夫か!?」

「――気を失ったようだ」

 シレキが渋面で言った。

「なっ、何で。どうして……」

「判らん。守り符の力とやらが関係するのか、それとも単なる疲労かもしれんが」

「医者っ、おっさん、早く村に!」

「お、おう、そうだな」

 うなずくとシレキは少年を抱え直した。

「お前、カナトの荷物を持て。それからその守護符も」

「あ、う、うん」

 土の上に落ちた円盤状の鋳鉄は、何もおかしなところがあるように見えなかった。不思議な光を発することもなければ、色かたちが変わったりするようなことも。

 おそるおそるオルフィは守り符に触れた。びくっとして手を引っ込めたのは反射的なもので、それは熱を持っているようなこともなかった。

(熱い、って言ったよな)

(でも別にこれは熱くない、か)

 オルフィは守護符を握り締めてみた。カナトがずっと懐に入れていたために少々の温みはあったが、それだけだ。

「おしっ」

 彼はそれを大事な五十ラル銀貨と同じ隠しに入れ、カナトの荷を背負った。

「おっさん、俺が先に行って医者を見つけてくるよ!」

 叫ぶとオルフィはカナトを抱いたシレキを追い抜き、畔の村へと駆け出した。


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