02 盗っ人なんかじゃ
〈はじまりの湖〉エクール湖。
ナイリアン国の北東に位置し、そこから流れる川は東の隣国ラシアッドとの境界にもなっている。
オルフィはこの湖についてほとんど知らなかった。大まかな場所と名称くらいは耳にしていたが、湖神エク=ヴーを崇めるであるとか古い民族であるとか王家に助言をもたらしていたとか、そうした話は先日カナトから聞いたばかりだ。
「もう少しですね」
ディセイ大橋でのちょっとした事件から、五日ほどが過ぎようとしていた。
「暗くならない内に、エクール湖畔にたどり着けるんじゃないでしょうか」
「聞いた話から推測すると、そんなところだな」
シレキがうなずいた。
「だが、町とも言えないような小さな集落らしい
な」
「そういうのは、僕たちは慣れてます。カルセンもアイーグも小さな村ですから」
「村と呼べるほどでもないらしいぞ」
「だから集落と言ったのですか。でも人に話を聞くのでしたら、対象となる人数は少ない方が助かりますね」
「長老みたいな人物がいるらしい。そこから話を通すと早いかもしれんな」
「いいですね。僕がこう言うのも何ですが、やはり田舎には少々閉鎖的なところがありますし、ましてや文献で読むような古い民族なら誇りもありますでしょうから、通りすがりの旅人にぺらぺらと話してはくれないかもしれませんし」
ふたりが話を続けている間、オルフィは無言だった。
「あの」
カナトが振り返った。
「大丈夫ですか?」
「ああ、平気だ」
オルフィは笑みを浮かべた。浮かべて見せた。
「気を遣うなってば」
「でも……」
「ごめん、ちょっと考えごとをしてただけだよ」
――つい先ほどのことだ。
彼らは街道にあった休憩所で旅の行商人と行き合い、少し話をした。
そこで耳にしたのは、特にオルフィにとってとても衝撃的な出来事だった。
「やれやれ、とんでもない話になったな」
南の町から北へ向かうという行商人は、そんなふうに言った。
「とんでもない話?」
そのほのめかしでぴんとこなかったオルフィは繰り返して首をかしげた。
「例の〈白光の騎士〉様のこったよ」
「え」
彼はぎくりとした。まさか、その死が公表されたのかと。
「ジョ、ジョリス様が、どうしたって……?」
素知らぬふりで――あまり巧くはなかったが――尋ねれば、商人は口の端を上げた。
「そんなふうに言うってことは、本当に知らなさそうだな」
「え?」
「ジョリス・オードナーに騎士の資格なし。何でもあいつは、王家の宝を盗んで逃げたそうだぞ」
「な――」
オルフィは絶句した。
「何だって! 誰がそんなことを言ってるんだ!」
「誰がって、おめえさん」
行商人はにやにやした。
「王様さ」
「王……」
オルフィはもとより、カナトもシレキも驚いた顔をした。
「何でも主だった街町に急遽、触れが回されたらしいぞ。ジョリス・オードナーは咎人であり、国王レスダールの名においてその位を剥奪」
「は、剥奪だって!?」
「その通り。前代未聞だなあ、ナイリアンの騎士様が……ああ、いや、古くには『裏切りの騎士』の話もあったか。ははっ、さしずめ第二の『裏切りの騎士』だな」
「な、何てことを言うんだっ」
オルフィはかっとなった。シレキがその肩を押さえた。
「落ち着け」
「お、おお落ち着いていられるかよ! ジョリス様が『裏切りの騎士』だなんて!」
「兄ちゃん、〈白光の騎士〉に憧れてんのか。まあ仕方ないな。そういう連中もいるよ。ジョリス様がそんなことをなさるはずがないってな。だが噂じゃない、正式な触れだ。気の毒だが、兄ちゃんの憧れは幻想だったのさ」
忘れるんだなと行商人は言葉の通りに気の毒そうな顔を見せた。
「んな……そんな馬鹿な」
「王家の宝を盗んだと言いますが」
カナトが慎重に声を出した。
「いったい、どのようなものが盗まれたんでしょう?」
「そんなことまでは立て札に書かれてなかったなあ。宝石でも宝剣でも、たとえ石ころみたいなもんだとしたって王家の宝は王家の宝。何だって同じだろうよ」
「〈白光の騎士〉が盗んだってのはまじなのか?」
シレキも問う。
「何かの間違いじゃないのか」
「確信もないのに国中に触れは飛ばさんだろうな」
うんうんと行商人はうなずいた。
「逃げたということは捕まっていないんですか?」
素知らぬ顔で――こちらは上手だった――カナトは首をかしげた。
「もしかしたらジョリス様は、盗人を追っているというようなことは?」
「そんな調査はとっくに終えてるんだろ。何しろ国中に触れを」
行商人は繰り返した。
「いやあ、驚きだね。国の英雄が、一転して罪人だ。しばらくはどこもかしこもこの話題で持ちきりだろう。ま、わしの商売には関係ないがね」
カナトはそれからいくつか質問をしたが、当然のことながら行商人が知っているのは触れに書かれたことだけだった。即ち、ジョリスが王家の宝を盗んで逃亡中だということと、王が正式に騎士の位を解いたこと。
オルフィの身体は震え、カナトとシレキはそんな彼を慮って――何か口走らない内に、ということもあったかもしれない――休憩もそこそこにその場を離れた。
「いったいどういうことなんでしょうね」
東への道を採りながらカナトは言った。
「どうもこうも、事情はともかく事実なんだろうよ」
ジョリスの話を伏せられたままのシレキはそう言って肩をすくめた。
「事実じゃない」
オルフィは呟いた。
「出鱈目じゃないか!」
「ですが、ジョリス様が『王家の宝』を持ち出したことは事実じゃありませんか?」
「そ、それは……」
「『王家の宝』」
シレキが繰り返した。
「察するに、お前の籠手のことか?」
ずばりと調教師は事実を言い当ててきた。短い間に二度も「王家の宝」の話を聞けば、同一のものと疑うのも不自然ではないだろう。
「……ああ」
オルフィは認めた。
「黙っててごめん。俺はこれを……ジョリス様から預かったんだ」
こうなっては言わざるを得ない。うつむいてオルフィは告白した。
「つまり、お前も盗っ人の仲間か」
「違う!」
彼は叫んだ。
「ジョリス様は断じて、盗っ人なんかじゃない!」
「……お前自身のことは否定せんのか」
思わず呆れたようにシレキは言った。
「お、俺だった盗んだ訳じゃないけど、俺のことなんかどうでもよくて」
「どうでもよくはないでしょう」
カナトが首を振った。
「シレキさん。オルフィがジョリス様から預かったというのは本当です。もっとも彼も最初は中身については知らなかったですし、そもそもどうしてジョリス様がオルフィに預けたのか、それはよく判らないんですが」
「それは俺が荷運び屋だからだよ」
「でもそれだけじゃないような気がするんですよね」
「また運命とか言うのか?」
「そうですよ」
悪びれずカナトは言った。
「この場合、オルフィの運命ではなくジョリス様の運命だったかもしれませんけれどね」
その言葉にオルフィは少し黙った。