01 脅し
その粗末な小屋のなかには、ふたりの人物がいた。
「どうあっても言わぬ、と?」
黒いローブを身にまとった男はゆっくりと問うた。相手は黙っていた。
「賢い態度とも思えませんな、長老殿。私は王宮の権威を振りかざすつもりなどございませんし、神子や湖神といった独特の存在にも敬意を払っております。ですが、ご協力いただけないとあらば……」
リヤン・コルシェントはそこで言葉をとめた。長老と呼ばれた相手はやはり黙っていた。
「〈はじまりの湖〉エクール湖。その神、エク=ヴー。ナイリアン王家が興るよりも古くからこの地に君臨していた一族。それがあなた方の祖先ですね」
「『君臨』などはしていなかった」
長老はまずそう返した。
「我ら〈はじまりの民〉は何者をも支配するようなことはなかった」
「支配する側とされる側では考えに違いがあるものですが、まあ、そのことはいいでしょう」
魔術師は手を振った。
「最初からもう一度話しましょうか? かの『黒騎士』の残虐非道な行為を?」
長老はまた黙った。コルシェントは少し息を吐いて、口を開いた。
「このところ、黒騎士と呼ばれる黒衣の剣士が、国中の子供たちを殺して回っています。殺された子供の背中には、エク=ヴーの紋章によく似たものが刻まれている」
淡々と彼は言った。
「背中のしるし。いなくなった神子を連想させる。そうは思いませんか?」
長老はやはり何も言わなかった。
「私があなたに問いたいことはいろいろありますが、何より最初に尋ねたいのはこれです」
ぱちんとコルシェントは指を弾いた。
「何故、神子を探さないのですか?」
答えはこない。
「ずっと探していたがやがて諦めたと言うのでもない。あなた方は長らく、もしかしたら最初から、神子を探していない」
魔術師は指摘した。
「神子は重要な存在だからと城からの招聘を断ったこともあるようなのに。いったいどうしてそれだけ重視する存在を行方不明のままにしているんです?」
「――役割は、何も湖の傍らにあるとは限るまい」
ここには返答のようなものがあった。コルシェントは肩をすくめた。
「役割ですか。その意味合いは理解できますよ。ただ『神事をこなす役』という意味ではなく、もっと大きな視点で捉えた……言うなれば、生きとし生けるものが世界と運命の輪の中で果たす役割」
言って男はひとつうなずいた。
「魔術の理に近い。神官の考えでも似たようなものはありますね、『神の導き』というやつです」
少し揶揄するように言ってから、魔術師はわざとらしく「おっと」と呟いた。
「エク=ヴーも神でしたね」
長老はまた黙った。
「神子はこの村にとって重要な存在。生まれていないのであればまだしも、生まれ、無事に育っていたのに、いなくなったのも湖神の導きだとするのですか?」
相手が無言でもコルシェントはかまわなかった。
「正直に申し上げて、あなた方のことはよく判らないのですよ。つまり、こちらでの風習や神事について」
彼は肩をすくめた。
「調べられることは少ない。あなた方について触れた文献は過去のものばかりですし、最も新しくて三十年ほど前にその神子が事故死した記録という辺り」
その言葉に長老は顔を上げた。
「何でしょう?」
魔術師は首をかしげた。
「ご不審な点でも?」
「神子は守られるもの」
静かに長老は言う。
「病の精霊は神子に近寄れず、災い星もまた然り。神子が天命を全うせぬとすればそれは、何者かが故意に神子の命を奪ったということ」
「成程、事故ではないと仰る。聖なる存在は守られて然るべき、そうした解釈もうなずけますな。人の悪意、殺意までは防げぬというのは少々興味深くもありますが」
しかし、とコルシェントは首を振った。
「そのことはどうでもいいのですよ。過去のことは」
魔術師は嘆息した。
「いまです長老殿。いま現在生きているはずの、あなた方の神子。それはどこにいます?」
二周目の話は一周目よりも簡潔に済まされた。
そう、コルシェントは神子について尋ねた。そのことだけを。
「知っているのでしょう、その居場所を。だから探さない」
答えはやってこないと知っているかのようにコルシェントは畳みかけた。
「これは推測に過ぎませんが、私はほぼ確信しています。ただ判らない。最初から、そうですね、たとえば信頼できる誰かに預けたのだとか、そうしたことも考えられます。しかしこれは理由が判らない。一方、拐かされたのだったが長老たるあなたがエク=ヴーの加護で、或いはたまに外に出て行く戦士が密かに調査をして、実は居場所を把握しているとも。もっともこれはこれで、連れ戻さない理由が判らない」
列挙しながらコルシェントは長老の様子を見たが、その年老いた顔に表情の変化を見て取ることはできなかった。
「何にせよあなた方は、それともあなたは、知っているのです。神子が無事に、どこかで生きて暮らしていることを」
男は言葉をとめた。
沈黙が降りる。
我慢比べとばかりにコルシェントも黙ったが、これは彼に分が悪すぎた。知りたい者と答えたくない者がいれば、後者の方が断然有利だ。
もっともそれは面と向かって話している「だけ」の状態であればということになる。
そのことをコルシェントは既に警告していた。
「長老殿」
穏やかそうな笑みを浮かべて、魔術師は相手を呼んだ。
「神子の居場所をお知らせ願いたい。そうしていただければ今後、ナイリアン王家は〈湖の民〉に今度とも、いえ、よりいっそうの敬意を払い、何かしらの利を計ることも可能です。この村は作物や薬草を産業にしているようですが、いまのままでは食べていくのが精一杯でしょう? 国の支援があれば助かるのではありませんか?」
まずコルシェントは利についてほのめかした。
「しかし非協力的な態度を取られ続ければ……黒騎士に荷担すると言われても仕方のないところでしょう」
とんでもない言いかがりと言える。コルシェント自身、判っていて口にしていた。
これは脅しだ。だが長老が簡単に屈するとは思っていない。脅しである、と理解させればそれでいい。彼の考えとしてはその辺りだった。
案の定、長老は慌てたりなどしなかった。
〈湖の民〉を統べる者――世が世であれば王とも呼ばれたであろう人物は、じっと宮廷魔術師の視線を受け止め、身じろぎもしなかった。
「……結構」
コルシェントもまた、動じなかった。
「今日はこの辺りにしておきましょうか。ですが神子の居場所が判らない限り、黒騎士は暴虐を続ける。あなたの沈黙が、罪なき子供たちの命を奪うのです」
もちろん、子供を殺すのは黒騎士であって長老ではない。そんな理屈は、しかしいまは必要なかった。
「見知らぬ子供たちのことなど関係ないとお思いですか? そうかもしれませんが……黒騎士もいつまでも、この村を見逃してはいないことでしょう」
より明確な脅し。
そう、ただ、脅せばいい。
いまは。
魔術師はさっと立ち上がると、黒いローブを翻した。
彼が一瞬だけぎくりとした表情を見せたのは、振り返った先にひとりの男がじっと立っていたためだ。
それは彼をこの小屋まで案内したあと、外に出ていたはずの男だった。男が気配すら感じさせず再びやってきていたことにコルシェントは驚かされたが、表情には――その一瞬を除いて――出すことなく、会釈などして見せた。
「では長老殿、戦士殿、ごきげんよう」
彼は言った。
「次には、実りあるお話が聞けることを願っております」