12 神の描いた紋様
「何でも正直に言えば正直な答えが返ってくるものでもない。神官、神女としてはそうした態度が理想でもあるが、現実には、ただ正面からぶつけるばかりでは解決しないことも多い」
「そ、それは判っていますけれど」
タルーも彼女に正直にあるよう教育したが、何でもかんでも開けっぴろげならいいというものではないとも言った。正論すら、疲れ傷ついている者は直球を受け取ることができないこともある。
「でも……秘密を持つ相手には全て正直にさらけ出してこそ、語ってもらえるものと」
「それは相手が秘密を重く感じ、誰かに話して楽になりたいと感じているときだ。秘密を守ることが自らの益になると考える人物に手の内を晒しても、向こうは同じようにはしない。祭司長殿がそうだと言うのではなく、普遍的な話としてだが」
イゼフは若い神官に教えるように言った。実際、そのような気持ちであったかもしれない。
「でも」
父のような年代の男が言うことは判った。何も反抗するつもりもなかった。しかしリチェリンは言わずにいられなかった。
「もし祭司長様が本当のことを仰らないとしても、判ることはあります」
リチェリンはまっすぐにイゼフを見た。
「どのようなことが判る?」
イゼフはやはり教師のように尋ねた。
「祭司長様が本当のことを仰らないことが判ります」
真剣に彼女は答えた。何も言葉遊びのつもりはなかった。
「それが判れば、満足か?」
「いいえ」
彼女は首を振った。
「騎士様にも宮廷魔術師様にも、王子殿下にも王陛下にも同じことをお話ししたいです」
「嘘をつくかどうか確認を?」
「ええ」
こくりとリチェリンがうなずけば、イゼフは少し面白がるような表情を見せた。
「私は、遠くから叫ぶばかりなのは嫌なんです」
彼女はそっと拳を握った。
「声を枯らして届かない言葉を叫ぶ……それしかできないときもあるでしょう。でももし、もう少し近くで伝えることができるなら」
たとえそれが、届かなくても。
「噂でも伝聞でもない。当事者たちから話を聞きたいんです」
イゼフはじっと彼女の、稚拙とも言える熱弁を聞いていた。彼女が言葉を切ってからも神官は黙っており、小部屋には沈黙が降りる。
リチェリンはいたたまれくなった。
だが顔は伏せなかった。正面からイゼフの目を見返した。
「覚悟が足りぬ」
やってきたのはそうした言葉であった。
「いったい何の覚悟が必要と仰るのですか?」
素直にリチェリンは尋ねた。
「王家の宝、ジョリス・オードナー、そしてオルフィ青年を取り巻くこの出来事に、権力者たちが闘争の契機を見ているのであれば、リチェリン殿もまた彼らの駒になり得る」
「駒ですって?」
「何者かが何かを企んでいる……そのような曖昧な言い方しかできぬが、仮にそれが事実であれば、その何者かは真実を知るリチェリン殿を黙って放っておくだろうかということだ」
「捕らわれる、と?」
ヒューデアが問うた。
「可能性はある」
こくりとイゼフはうなずいた。
「そんな。私は何も悪いことをしていません」
「メジーディスやラ・ザインの力及ばず、罪なき者が罰された例は過去に幾つもある」
神官は神界七大神に共通する聖印を切った。
「誤解に基づく不幸もあろう。だが権力者の思惑に呑まれ、犠牲となった者も」
「そんな……」
リチェリンは口に手を当てた。
「そ、そのようなことが、許されるのですか!」
「許されはしない。だがまかり通る」
イゼフの答えはそれだった。
「捕らわれ、場合によってはそのまま闇に葬られる覚悟を持って王城に乗り込むのか。いや、そうは思えぬな」
「そんなこと、考えてもみませんでした」
やはり正直にリチェリンは返した。
「で、ですが、そうした覚悟が必要だと仰るのでしたら」
「待ちなさい」
イゼフは制した。
「いまここであなたが『その覚悟ができた』と口にしたとしても、私はうなずくことをしない。しかしもし、本当に祭司長に、祭司長にこそ話をしなければならないと判断できる出来事があったなら、私は共に王城に赴いてもよい」
「神官様……」
彼女は驚き、胸に手を当てた。
「協力をする意思はある、ということだ」
肩をすくめてイゼフは言った。
「――いまナイリアン国は揺れようとしている。未来を見る力などない我が身にもそれは明らかだ。どういう意図であろうと、神の描いた紋様には存在する。黒騎士、〈白光の騎士〉、英雄の籠手、そして」
イゼフは静かに続けた。
「オルフィが」
発された名にリチェリンはどきりとする。
もちろん彼女はオルフィのためにここにいる。もちろん忘れてはいない。だが彼は巻き込まれたのだと思っている。
しかしイゼフは言った。オルフィもまた、神の紋様に組み込まれた存在なのだと。
(まるで、知らない人の話のよう)
以前にも感じた思いが再び頭をもたげた。
(ねえ、オルフィ。いまどこにいるの)
(どこで何を思ってるの)
(不思議な籠手を身につけて、思わぬ容疑に首都を逃げ出して)
(ねえ……オルフィ)
(帰ってくるわよね? きっと。私たちの暮らすあの村々へ)
ほんの半月前には当たり前だった日々が、何だか懐かしい。リチェリンは胸がきゅっと痛むのを覚えた。
自分はカルセン村を離れ、首都ナイリアールにいる。オルフィはその首都も離れ、どこか遠くにいる。気ままな旅などではない。逃亡の道行きだ。
どんなにか怖ろしいだろう。どんなにか心細いだろう。なのに彼女は彼の隣にいて大丈夫だと慰めることもできないでいる。
そのことが、とてもつらい。
(おかしな疑いが、みんな晴れますように)
リチェリンは祈った。
(フィディアルよ、ムーン・ルーよ。どうか、誤ったことがこれ以上まかり通りませんよう)
真剣な気持ちだった。だが、祈るだけではいけないとも思った。
自ら道を進まずして、どうして人に道を示すことができようか。
(籠手のこと。ジョリス様のこと)
(何とかして、「本当」を見つけるのよ、リチェリン)
手段は判らない。ジョリスがいたなら、という思いも繰り言に過ぎない。
いまの彼女に浮かぶのは、願いだけだった。
(――どうかオルフィに)
(笑顔のオルフィに、また会えるよう)
(第4章へつづく)