10 名誉を汚しても
「アミツが指したか?」
「ああ。ふたりともを。殊に彼女は、あなたと同様に」
「え……」
リチェリンはどきりとして胸に手を当てた。
(アミツ。ヒューデアさんは最初からその話をしているけれど)
(イゼフ神官と同様に、ということは)
占い師の館で出会ったとき、キエヴの剣士は「これまでアミツが指したのはふたりだ」と言った。ひとりはジョリスではないかと推測できたが、もうひとりがイゼフ。そういうことになる。
(「精霊が指す」というのがどういうことなのか私には判らないけれど、ヒューデアさんにはとても大事なこと)
(キエヴ族にとって大事な人物ということかしら)
(……でも私がそうだというのは、何だかおかしいわね)
精霊が何故彼女を指したのか。ヒューデアにも明確でないことがリチェリンに判るはずもなかった。
イゼフは少し黙り、計るように彼ら――リチェリンとラスピーを見た。彼女は緊張して視線を返し、ラスピーはかすかに笑みを浮かべていた。
「レヴラール王子のことだ」
果たしてどう思ったものか、神官は口を開いた。
「彼はジョリス殿の騎士位を剥奪するつもりでいる」
「何だと!」
ヒューデアは顔を険しくして叫んだ。イゼフは片手を上げ、落ち着けと言うようだった。
「どういう名目にするつもりか、詳しくは知らない。黒騎士に敗れたとするのは民の不安を誘うだけであろうが」
「ふうむ。ならこういうのはどうかな」
ラスピーも片手を上げたが、それは発言の許可を求めるかのようだった。
「『ジョリス・オードナーは王家の宝を盗んだ』」
「何だと」
「睨まないでくれたまえ。私がそう言い立てている訳ではない。それが目論見だったならオルフィ君の腕にあるものが町憲兵たちに明らかにされなかった理由にもなると言っているだけだ」
「ジョリスが盗んで逃亡中であることにするとでも?」
相変わらず険しい表情でヒューデアは言った。
「その辺りは判らないさ」
ラスピーは当然のことを返した。
「まあ、〈白光の騎士〉の名誉を汚さないため、先に位を剥奪してしまおうという辺りかな?」
巻き毛の青年はどうにも気軽に、まるで天気の話でもするように言った。
「そのようなことはさせぬ」
やはりヒューデアは、ラスピーが仇であるかのように睨んだ。
「気持ちは判るが、君には何もできないだろう? 王子殿下の発言であれば、それを覆すことができるのは王陛下くらいだ。そしてイゼフ殿のご様子からすれば、気まぐれな一言というのでもない。限りなく決定に近いんだろう」
「どうすればとめられる」
ヒューデアはイゼフに視線を移した。神官はしばらくそれを受け止めてからそっと首を振った。
「イゼフ殿!」
「ラスピー殿の言われたように、これはほぼ決定だ。私のような一神官はもとより、祭司長であってもどうしようもない」
「だが……もはや反論のできない死者を貶めるなど……!」
「殿下は、と言うより王家はと言うべきなのかもしれないが、個人『ジョリス・オードナー』の名誉を汚しても〈白光の騎士〉の銘を守ることを選んだのだ」
静かにイゼフは説明した。
「黒騎士に敗れたのはジョリス・オードナーであってナイリアンの騎士ではない、と」
「馬鹿な。理屈になっていない」
「屁理屈というやつだね」
怒るヒューデアに、少し笑ってラスピー。
「ジョリスが騎士位に就いて以来、どれだけの任をこなしてきたか。王子も国王もよく知っているはずではないか」
「それらは全て〈白光の騎士〉の手柄であり、騎士位をなくしたオードナー氏とは関わりがないということにするんじゃないか。言ったように屁理屈だが、最高権力者が『そうだ』と言えばそういうことになるものさ」
またしてもラスピーはヒューデアに睨まれるようなことを言った。
「お前には先に知らせておいた方がいいだろうと思った」
嘆息混じりにイゼフは言った。
「そうして激高し、城に乗り込みかねないだろうからな」
「――乗り込んでも何にもならぬ、か」
ヒューデアは唇を噛んだ。
「何もそんなに落胆することはないだろう、ヒューデア君」
あくまでも陽気に、ラスピーは彼の肩を叩いた。
「私たちのやることを続ければ、彼の名誉も保たれるかもしれないだろう」
「何だと」
「宝のこと、ですか?」
考えながらリチェリンは言った。
「もし本当に、ジョリス様が宝を盗んだという咎められるのであれば、ですけれど」
「その通り」
ぱちん、とラスピーは指を弾いた。
「問題の籠手をオルフィ君の腕から取り戻すことが、騎士殿の名誉を保つことにもつながるのではないか?」
「お前の前提によれば、ということだな?」
「だからそんなに睨まないでくれたまえよ。私は何もオードナー氏に恨みを持っている訳ではない。可能性のひとつとして考えられることを説明しているだけなのだから」
「判っている」
そう答えながらも剣士の表情は緩まなかった。
「だが、限定的に語りすぎている」
「やれやれ」
ふう、とラスピーは息を吐いた。
「君とのつき合いはまだ浅いが、ジョリス・オードナー氏に傾倒していることはよく判る。君自身隠していないようだが」
ヒューデアは黙っていた。
「どうやらつき合いが長いらしいイゼフ神官殿も私と同じ判断をして、君が不意打ちで知ってしまう前に、あらかじめ教えたんじゃないのかな。そして私は更に、君がやるべきことを提案している。怒りの矛先を向けられるようにね」
もちろん、と彼は続けた。
「私の想定は大間違いである可能性もある。だがオードナー氏が籠手を持ち出したことが事実であれば、それは彼にとって必要なことであったという証明が必要だとは思わないか?」
「――ジョリスは、黒騎士を倒すために籠手を必要とした」
ゆっくりとヒューデアは言った。
「しかし籠手のないまま、彼は黒騎士と対峙した。それが、この結果だ」
「成程。不思議な籠手の不思議な力を手にしなければ不思議な黒騎士は倒せない……待てよ?」
ラスピーは首をかしげた。
「『黒騎士』というのはつまり、ただの腕のいい剣士ではなく、魔力のようなものを持っているということかな? だとすれば、どうしてオードナー氏はそのことを知ったのか」
「事実は判らない。ジョリスも知っていた訳ではないだろう。前にも話した通り、キエヴの長の言葉によれば〈閃光〉が必須だと」
「そういう話だったな。つまり、そういうことだ」
「何?」
「変わらない」
両手を拡げてラスピーは言った。
「不思議な籠手をオルフィ君から外さなければならないことには変わりない。彼が黒騎士と戦えると言うなら別だけれどね」
「オルフィは、戦うなんて無理だわ」
幼なじみは言った。
「剣なんて使えないのよ」
「だろうね。第一の候補は現状、ヒューデア君ということになるだろう」
「正直に言うのなら、そう在ればいいと思っている」
ぼそりと剣士は呟いた。
「だが判らない。俺はジョリスの仇を討ちたいと思っているが、俺にその力があるかどうかは」
「おやおや、ずいぶん弱気なことを言うんだね。アミツがオルフィ君やリチェリン嬢を指したのは、君を籠手に導くため……私にはそんなふうに思えるんだが」
「何だと?」
「アミツは、君を導くんだろう? 彼らを指したのはその」
「だがお前やカナトという少年のことも指した」
思い返すようにヒューデアは呟いた。
「別に不思議だとは思わない。カナト君はオルフィ君の、私はリチェリン嬢の協力者だ。敵ではないという示唆だよ」
さらさらとラスピーは理由を見つけ出した。
「アミツのことを何も知らぬくせに、よく言うものだ」
「少しは知っているさ」
「聞きかじりの知識だけではないか」
「そう言われてしまったら、アミツを見ることのできる君以外には判らないということになる。自分自身で答えを探すしかないね」
「――そのつもりだ」