08 待とう
若者の言っていた通り、神殿付近には祭りか何かのように人が集まっていた。
確かに彼らは「野次馬」と言えただろうが、事情が事情であるだけに、興味津々という様子を面に出している者は――あまり――いない。不安そうな顔つきをし、しかしどこか興奮して、それぞれが耳にした情報または噂を語り合っていた。
食堂で聞いたように、火をつけられたのは三神殿。ほぼ同時刻に出火したようだという話だった。もちろん偶然とは思えず、〈ドミナエ会〉が計画的に行ったのだという結論が――証拠のない推測だろうが――既に出回っていた。
負傷者が出たという話もあり、リチェリンはやきもきした。彼女が長く話をしたのはイゼフだけだが、たとえすれ違いすらしていない神官であっても、そのようなことに巻き込まれて怪我をした人物がいると思えば胸が痛んだ。
「失礼。ちょっと行かせてくれ。すまないね、お嬢さん」
ラスピーが積極的に人垣をかき分けた。と言うのも、ヒューデアに任せていたら要らぬ悶着が起きそうだったからだ。
「何だ。いまは調査中だ。野次馬は入れられんし、参拝もあとにしてもらおう」
神殿の前で消火隊と町憲兵隊の男たちが彼らをとどめようとした。
「コズディム神官の家族なんだ。心配でやってきた」
と、さらりと嘘をついたのは無論と言おうかラスピーである。
「家族だと?……お前たちは血縁には見えんが」
彼ら三人に似通ったところなどない。町憲兵は胡乱そうに彼らを見た。
「ああ、確かに私たちに血のつながりはない。身内なのはこちらの彼で」
ラスピーはヒューデアを指した。
「私たちは身よりなく、彼の父に助けられた過去を持つんだ」
さらさらと出鱈目を述べ、ラスピーは真剣な顔つきをした。
「こんな怖ろしい騒動に耳にして、彼女は」
次はリチェリンを示す。
「気を失わんばかりになってしまった。重篤な負傷者はいないと聞いたものの、この目で確かめて安心したいというので付き添ってやってきたんだ」
「あ、あの」
神女見習いはその嘘に困惑したが、ヒューデアが肩に手を置き、黙っているようそっと囁いた。
「……その神官の名は?」
まだいささか疑わしげに町憲兵は尋ねた。
「イゼフ」
ヒューデアが答え、リチェリンは目をしばたたいた。
「何と。あの立派な神官殿か。息子がいたとは」
神官が結婚をすることはあまりない。皆無ではないが珍しいとされる。
神殿にもよるが、コズディムでは神官の婚姻に問題はない。神女は結婚できないが神官には許されていることがあるのだ。
姦淫には厳しいものの、きちんと神の前で誓い合った相手とならば子を持ってもかまわない。しかしながら、なかにはそうした神官を「清廉でない」とする向きもいくらかはあった。
「ああ、父と言っても養父なんだね。実際には彼の弟さんの子供で、いろいろ事情があってイゼフ殿が引き取った。さあ、もっと根ほり葉ほり家庭の事情を聞きたいかな?」
そこでラスピーはイゼフの名誉も保った嘘を続け、町憲兵をうならせた。
「仕方ない。通ってよろしい。だがまだ内部は混乱しているからな、迷惑をかけないようにすぐ戻ってくるんだぞ」
「有難う、町憲兵さん。あなたはいい人だ!」
ラスピーはにこやかに町憲兵の手を取って、ぶんぶんと振った。うっとうしそうに町憲兵はその手を離し、早く行けと促した。
「……ラスピーさん」
「何だね、リチェリン嬢。『嘘はよくない』とでも?」
「確かに、よくないです」
神女見習いは顔をしかめた。
「でも……有難うございます」
ヒューデアの「知人」、彼女の「世話になった相手」くらいの説明では通してもらえなかっただろう。
「あの、嘘のことは私から謝っておきますので」
「それはもしや、神様に?」
ラスピーは面白そうな顔をしたが、神女見習いは真剣にうなずいた。
「はい。ラスピーさんは何も悪くないからとお祈りします」
「ははは、それは楽しみだ」
「楽しみですって?」
「いや、神様がどんな反応をするかと思ってね」
「ラスピーさん。私は本気で」
「判っているとも、神女様」
「見習いです」
これもまた判って言っているのだろう。リチェリンは控えめに訂正して嘆息した。
「神殿の正面にわざわざ燃えるものを用意して火を放ったのか。予断はできないが、〈ドミナエ会〉の仕業というのは信憑性があるな」
どんな動機であるにせよ、神の膝元に火を放つなどと大胆な真似をするのは怖ろしいに違いない。だが深夜に行ったようだとは言え、計画的に正面を「穢す」というのは〈ドミナエ会〉の示威に思えると、ヒューデアはそうしたことを言った。
「十二分に有り得ることだね」
うんうんとラスピーもうなずいた。
「ここは焼け跡の臭いが酷い。さあ、早くイゼフ神官という人に会いに行こう。リチェリン嬢のお知り合いは?」
「イゼフさん、なんです」
そこで彼女はヒューデアを見ながら言った。白銀髪の剣士もまた驚いた顔をした。リチェリンは手短に、村の神父の弔いについて相談したことを説明した。
「それから、オルフィたちもイゼフ神官に会いにきたのよ」
「何だと」
「――ああっ!」
彼女は目を見開いた。
「そう……そうだわ。どうして私、気づかなかったのかしら」
「どうしたんだい、リチェリン嬢。そんな声を出して」
ラスピーも目をぱちくりとさせた。
「ヒューデア・クロセニー」
いきなり完名を呼ばれて剣士も彼女を見た。
「あっ、ご、ごめんなさい」
彼女は口に手を当てた。
「ちょっと思い出したことがあって」
「何を思い出した」
青年剣士は当然の問いを発した。
「それは……」
彼女は言い淀んだ。
(オルフィは、ヒューデアさんのことを訊きにイゼフ神官を訪れたんだわ)
(でもヒューデアさんがそれを知ったらどう思うかしら……)
彼がオルフィに悪感情を抱くのではないかとリチェリンは危惧した。もっともヒューデアを怒らせることを怖れたのではなく、「弟」の評判を気にしたのだ。
「正直に言うといい」
ラスピーが促した。
「ヒューデア君は味方だ。そうだろう?」
「……ああ」
少しの間ののちに剣士はうなずいた。
「アミツがお前を指している」
「そのことはよく判らないけれど」
精霊アミツについての説明は聞いたものの、本当の意味では理解しかねるというのが正直なところだ。
「はは、素直でいいんじゃないかな」
ラスピーが笑った。
「ではリチェリン嬢、何を思い出したのかな? 同志である以上、情報の共有は大切だ。是非とも話してくれたまえ」
「そんなに大したことではないのよ。……たぶん」
前置きをしてからリチェリンはそっと深呼吸をした。
「私、ヒューデアさんの名前をお会いする前に聞いていたの」
「イゼフ殿からか?」
「いえ、違います。オルフィから」
「何?」
「あの、どうか悪く思わないで下さい。きっとあの子、あなたにまた会って話をしたかったのだと思うの。それでイゼフ神官にあなたのことを尋ねに」
リチェリンの言葉は想像だったが、正しくもあった。
「成程」
ヒューデアは肩をすくめた。
「ジョリスのことをコズディム神官から聞いたという話をしたかと思う。そのこともあって彼がここを訪れるのは何も奇妙なことではないし、俺が気を悪くすることはない」
彼女の心配に反して、剣士は簡単にそう答えた。リチェリンはほっと胸を撫で下ろした。
「神官様がいらっしゃるわ。尋ねてみましょう」
内部に足を踏み入れると、外にいた町憲兵の言っていた通り、まだ混乱しているようだった。ほかにも町憲兵が数名いて神官から話を聞いており、遠巻きに見ている者も不安そうな顔をしている。
「失礼いたします」
丁重にリチェリンは声をかけた。
「えっ? あ、ああ。どうなさいました」
若い神官は彼女の姿に驚いて一瞬目をぱちくりとさせたが、すぐに普段の務めを思い出したように尋ねた。
「私たち、イゼフ神官にお会いしにきたんです。お怪我などなさっていらっしゃらないかと心配で」
「ああ、そうでしたか。大丈夫、こちらの神殿に大きな負傷者はおりませんし、イゼフ神官ももちろんご無事です。いまは神殿長とお話しになっているはずですから、面会には少々お待ちいただかなければなりませんが」
「そうですか」
相槌を打ってリチェリンはヒューデアを見た。
「待とう」
剣士は即答した。
「彼に聞きたい話もある」
「判ったわ」
リチェリンはうなずいた。
「では奥でお待ちを。ご案内します」