06 弟みたいに
「君が剣技に秀でているからか、それともアミツを見る者であるからか、オードナー氏は君を贔屓にした。違うかい」
「――贔屓など」
「気を悪くしたなら、『目にかけていた』とでも言い直そうか」
ラスピーは悪びれなかった。
「とにかく、君とオードナー氏には縁があった。何もそれがいいとか悪いとかじゃない。ただジョリス・オードナーというのはたいそうな人物だというのが明らかになるばかりだ。君にもオルフィ君にも彼はきっかけであり動機であるんだから」
ふふっと紀行家は笑った。
「少々羨ましい感じだね」
「ジョリスのことをお前と話したいとは思わない」
「おやおや、つれないことだ」
目をぱちくりとさせてラスピーは、がっかりしたような表情を見せた。
「いいさ、君に……君たちにとって〈白光の騎士〉の話題はまるで神聖なものだ。結構。だがヒューデア君、少々考え直さなければいけないところがあると思う」
「何だと?」
剣士は顔をしかめた。
「さっきの話の続きさ。騎士殿と親しい君は、〈赤銅の騎士〉に話を通すくらいのことは可能であるはずだ。どうしてそうしない? リチェリンに力を貸すというのは出鱈目か?」
「――サレーヒ殿は、この件に手を出さぬよう、仰った」
「この件?」
リチェリンは聞き咎めた。
「どの?」
「王家の宝。ジョリス・オードナー。オルフィ君」
ラスピーは数え上げた。
「どれかな?」
「いまの場合において言うのならば、根は同じだ」
「全てだと?」
「王家の宝に端を発する話だろう」
「そうなのね」
リチェリンは呟いた。
「ジョリス様と籠手、ジョリス様とオルフィ、オルフィと籠手……」
それは一連の流れだ。〈白光の騎士〉はもちろん、オルフィのことを知らなかったはず。南西部でたまたま行き合い、彼に籠手を託し――。
(……ジョリス様)
(ご立派な方だということは判っているし、オルフィが尊敬しているのも判るわ)
現在の英雄として、アバスターに憧れるようにジョリスに憧れていた。誰でもすることだ。実際に会って、彼が舞い上がっただろうことも容易に推測できる。
(でも私、何だかあなたを恨んでしまいそうです)
(あなたがオルフィに籠手を渡さなければ、こんなことには)
ふっとそんなことを考えて、リチェリンははっとした。
(いけないわ、リチェリン。……亡くなった方のことをそんなふうに)
(ムーン・ルーよ、コズディムよ。不埒な考えをどうかお許し下さい)
「リチェリン嬢?」
「あっ、いえ、何でもないわ」
彼女は手を振った。
「王家の宝。確かに大ごとだとは思うけれど、騎士様が手を出すなと仰るというのはいったい」
それからリチェリンは、ぴんとこない点について口にした。
「あの籠手はアバスターの籠手。だが英雄の単なる遺物ではない。魔術の品だ」
ヒューデアは顔をしかめた。
「もっとも俺も詳しくは知らない。族長の話によれば、ということだが」
「キエヴ族長の話か。聞いてみたいね」
ラスピーが食指を動かした。
「興味本位で書き立てられては困る」
「何の興味も抱かず、どうしてここに立っていられる?」
ふふんと紀行家は笑った。
「私にあるのは大いなる純粋な興味だ、ヒューデア君。私はそれを否定しないし、恥じもしない。いいかね、世の中に存在するのは崇高な使命だけではないのだよ」
「俗悪な好奇心か」
「好奇心が俗悪なものか! 好奇心がなければ何の成長もない。君にだって、たとえば剣に対する興味と好奇心があっただろう。そして学ぶことをはじめたはずだ」
「話が違う」
うんざりしたようにヒューデアは言った。
「すり替えるな」
「おやおや。反論できないからと言って私が誤っていると決めつけるのは早計だな。賢い君らしくもない」
「アバスターの籠手は」
ヒューデアは少し息を吐いた。
「〈閃光〉と呼ばれるそれはジョリスが使うべきものだった。そうであってこそ、悲劇は防げるはずだった」
「――それは、ジョリス様の、その……」
ジョリスが黒騎士に敗れて死んだことを言っているのか。リチェリンはそうしたことを尋ねようと言葉を探した。
「いや」
白銀髪の剣士は娘の言いたいことに気づくと首を振った。
「そのことではない。この男の前ではあまり話したくないが」
「つれないことばかり言うねえ。それもまた魅力だが」
「簡単に説明すると、キエヴの族長は予言に似た力を持つ。その彼が告げたのだ。黒騎士の討伐には〈閃光〉アレスディアが必須であるとな」
「ほう」
ラスピーはまばたきをした。
「『昔の星が蘇るとき、この国は大きく揺らぐ。崩壊をとめるには閃光が目覚めなければならない』」
ヒューデアはゆっくりと言った。
「それがその言葉だ。騒動は黒騎士のことだけで終わらぬとも取れる」
「これは、面白い」
ラスピーはにやりとした。
「籠手の力に、何やら期待できそうだな」
「崩壊」
不吉なコトバにリチェリンはそっと厄除けの仕草をした。
「だからジョリス様は籠手を?」
「……詳しいことは俺も聞けぬままだったが」
少し、ヒューデアはうつむいた。
「その可能性は大きいだろう。彼は、自ら使うつもりでいたのかどうかは判らないが、とにかくアレスディアを使えるようにしておくべく封印を解こうと考えた。その前に……」
そこで若い剣士は言葉をとめる。オルフィがもしこの場にいたなら、ヒューデアが自分と全く同じ気持ちを抱いていることが推測できただろう。
判っているが、言いたくない。
もっとも、リチェリンも気づいた。彼女はそっと哀悼の仕草をした。
(これだけ慕われている……ジョリス様は噂だけじゃなく、やっぱり本当に立派な方だったんだわ)
先ほどの恨み言について彼女はもう一度心で謝罪した。
「しかし残念なことに彼は亡くなった」
彼――彼らが言いたがらないことをラスピーはさらりと告げた。
「予言が必ず当たるものであるという考えに基づけば、籠手を使う人物は彼以外だということにならないかな?」
「何だと」
「おおっと、そんな怖い顔をしないでくれ。君自身、考えているんだろう? 彼の代わりに籠手を身に着け、騎士殿の仇を討つことを。だからオルフィ君の腕を切り落とすなんて物騒な発言も出てくる」
「そ、それはやめて下さいね、何があろうと」
リチェリンは両の拳を握り締めた。
「オルフィに酷いことをするようなら、私、黙っていませんから」
「ああ、リチェリン嬢にそれだけ思われるオルフィ君も羨ましいねえ」
大げさに息を吐いてからラスピーはにやりとした。
「それともこれは『妬ましい』と言うのかな?」
「彼は家族同然なんです」
ラスピーの言葉に込められたからかいに気づくことなく、彼女は真面目に答えた。
「私には両親がなく、母のないオルフィと一緒に、村の子だくさんの母さんに育てられました。成人してからは別々になりましたけど、時々は会いにきてくれましたし、本当の弟みたいに思っているんです」
「弟」
紀行家は目をぱちくりとさせた。
「それは、何と言うか」
「少々オルフィが気の毒なようだな」
ぼそりとヒューデアが呟いた。
「おや。ヒューデア君も気づいたのかい」
「何だその意外そうな顔は」
「意外なのさ。武道に生きる人間は、朴念仁であることが多いからねえ。でも神女見習いには敵わない訳だ。はは」
「あの……?」
リチェリンは首をかしげた。
「私、何かおかしなことを言ったかしら?」
「いいや、何にも」
にっこりとラスピーは返した。そしてそっとヒューデアに耳打ちする。
「黙っておこう。こういうのはこじれた方が面白い」
「その趣味は理解しかねるが、本人が黙っているものを告げる気はない」
眉をひそめて剣士はそう返した。