05 過去を捨ててしまったのか
何より戸惑ったのは、急にふたりの騎士ができたかのようであることだった。
もっとも神女見習いはそんなふうに考えない。毎朝ふたりの男性に出迎えられるのは自分の立場としてどうなのかしらと少々危惧しただけだ。
もちろん彼女はかしずかれているのでもない。「騎士たち」が彼女目当てであるなどと自惚れもしない。ただ、傍から見ればふたりの青年を従えるとんでもない女に見えはしないかと。
「やあ、おはようリチェリン嬢。今日も美しいね」
何しろラスピーはにこにことそんなふうに言うし、ヒューデアは無言で丁重な礼をしたりするのだ。
(ああ女神様)
(私は決して、不埒な気持ちなどございません!)
以前にヒューデアと神殿前で行き合ったとき、なかなか素敵な青年だと思ったことは事実だ。ラスピーも頓狂なことは言い出すが、人目を引く顔立ちの美男だと言っていいだろう。なまじふたりがそうであるから、ただ一緒に歩くだけでも注目を浴びる。平凡な娘としては、訊かれてもいないのに「違います」と説明して回りたい気持ちだった。
そう――あれから、日にちが経っていた。彼女の宿泊する宿のあるじや女将が、客である彼女自身のみならずラスピーやヒューデアにまで常連相手のような口利きをするようになるほど。
(そろそろ一旬になるかしら)
リチェリンは日数を数えてみた。
(オルフィ……無事でいて)
あの調子でラスピーはいつしか町憲兵と仲良くなり――向こうは「面白い奴だ」くらいに思っているのだろう――先日の騒動の裏話などを仕入れてきた。何でも「城のお偉いさん」からの命令だったとのことだ。町憲兵隊にそこから要請があったことなどなく、隊長も迷ったようだが、逆らうことでもない。「城に侵入して盗みを働いた不埒者」などは確かに捕縛すべきだからだ。
ただやはり、重要な件であれば王家そのものや軍隊長、騎士らから命令があるはずだと隊長も訝しんでいたのだとか。
と言っても、町憲兵隊の動きが騒がしかったのはあの当日くらいだった。
翌日にはオルフィを追ったことなどなかったように、町憲兵隊はいつも通りの巡回をしていた。「いつも通り」であることはリチェリンには判らなかったが、これもラスピーが聞き出してきたことだった。
しかし知ることができたのはその程度だった。
「真実」への道は険しかった。
どんなものであれ、明確な情報を握っているのは王城の人間――王子、宮廷魔術師、祭司長、騎士たちだ。のこのこと出向いて会ってもらえる相手ではない。
もっとも、リチェリンは無理を承知で城を訪問してみた。案の定、オルフィが言われたのと同じように――若い娘であるためか、もう少し優しかったが――兵士は彼女を追い払った。あとで話を聞いた青年ふたりは呆れた顔を見せ、それから彼女が無茶をしないように見張ろうとでも言うのか、朝からやってくるようになったのだ。
問題の籠手についても調べを進めたかったが、思うようにはいかなかった。やはり彼らも魔術師協会を訪ねたのだが、何しろ「現物」がない状態では判りようがないと一蹴され、生憎とオルフィたちの相談した導師サクレンに行き合うことはなかった。
「不思議なこと」に詳しいのは魔術師たちだけではない。旅の吟遊詩人なども様々な話を知っている。それは「作り話」であることも多いが、きちんとした「伝承」も歌われている。アバスターが去ってから三十年、細かい点は変化し、装飾されているだろうが、「魔法の籠手」などは詩人の好みそうな話だ。
しかし残念ながら、詩人たちは「魔法の籠手」というだけで満足してしまっているらしい。彼らの内の数人は「英雄アバスターが身につけていた籠手には不思議な魔法がかかっていました」と歌うものの、それがどんな魔法だとか、どんな魔術師が関わっただとか、そうした話は幾人に聞いてもちっとも出てこなかった。
結果として彼女は以前よりもアバスターについて詳しくなったものの、望んでいた情報は何も得られいままだったということになる。
「今日はもう一度、王子殿下にご面会をお願いするわ」
唇を結んでリチェリンは言った。
「この前はちっとも相手にされなかったのに?」
目をしばたたいて、ラスピーが言う。
「最初からすぐにお会いできるなんて思わないわ。でも足繁く通えば噂になるかもしれないし、誰かが殿下のお耳に入れるかもしれない。もしそのとき殿下にお時間がおありで、とても暇でいらしたら、お会いくださるかもしれないもの」
「その可能性は皆無じゃないだろうけれど」
「限りなく皆無に近かろう」
ラスピーに続けてヒューデアが言えば、一番目の回答者は片眉を上げる。
「君ならもう少し、リチェリン嬢の役に立てるんじゃないかと、そんなことを思っているのだけれど?」
「どういう意味だ」
ヒューデアは胡乱そうにラスピーを見た。
「だから言っているだろう。アミツを見る者はキエヴ族の上位に相当するはず」
「ナイリアンの王子が『北の蛮族』を重視するとでも?」
「少なくとも君自身はキエヴ族を蛮族なんて思っていないに決まっているし、アミツを見る者の地位についてはよく知っているはずだ」
「俺がどう思おうとレヴラールの考えを曲げさせることはできない。当たり前のことではないか」
「どうかな」
ラスピーは口の端を上げた。
「レヴラール王子の考えを変えさせられる人物がひとりいる。私はそう睨んでいるのだよ」
「それは、王様というようなことかしら?」
首をかしげてリチェリンは問うた。
「国王は王子に命令することはできるだろうし、王子も命令されれば従うだろうね。でもそれは心を変えるということじゃない」
ちちち、とラスピーは立てた指を振った。
「じゃあ誰のこと?」
「私の見たところ」
リチェリンの疑問に答えることなく、ラスピーは再びヒューデアを見た。
「君は王子殿下と仲良くお話しすることはなかったとしても、騎士たちとは親密だったりするのではないか」
「……何故、そのような?」
「なぁに、私は〈湖の民〉について調べたことがあるのだが、そのときに知ったのだよ」
エクールの民はナイリアン王家と関わりを持ち、やがて疎まれた。それに近いことがキエヴ族にも起きた。
彼らキエヴ族は騎士たちと親しく交わり時に警告をしていた。騎士たちが彼らを煙たく思うことはなかったが、王家はエクールの民を拒絶したときにキエヴ族にも同じようにしたのだとラスピーは語った。
「エクールとキエヴがもとは同じであることを知ってなのか、それとも『似たような蛮族』扱いだったのかは判らないが――」
「またそのようなことを」
「やれやれ、本当にキエヴ族は過去を捨ててしまったのかねえ」
嘆息して紀行家は呟く。
「君がかの〈白光の騎士〉を呼ぶとき、実に自然に『ジョリス』と呼ぶ。人は相手が遠いときも近いときも名を呼び捨てにすることがあるが、君からは以前から騎士殿と親しく交流していた様子が窺える。だがそれはたまたま君とオードナー氏が親しかったと言うんじゃない、キエヴ族が首都を避けるようになってからは騎士たちがキエヴ族を訪れていたから」
とうとうとラスピーは語り、ヒューデアは黙っていた。どうやらこの剣士の沈黙は肯定であるとリチェリンは気づいた。
(何だかよく判らないけれど)
彼女は考えた。
(ヒューデアさんの一族は昔から騎士様方と仲がよくて、それでジョリス様とも仲がいいって話なのかしら?)