13 どうかいつものように
「全ておひとりで抱えようとなさらないでくださいまし」
彼女は訴えた。
「ジョリス様には……あの……」
衝動的に言いかけた言葉があったが、彼女はそれを飲み込んだ。
「お仲間の、騎士様たちもいらっしゃいます」
「そうだな」
彼は左手をきゅっと握った。
「サレーヒ殿にならば、あとを任せられる」
「あとを……?」
繰り返して、ピニアは緑の目を見開いた。不意に彼女の瞳に飛び込んできたものがあった。
それは彼の星。
彼の運命。
ジョリス・オードナーの、選ぶもの。
「――ジョリス様! まさか」
「しっ、どうかお静かに」
素早く彼は言ったが、ピニアはまるで聞こえないように続けた。
「ナイリアールを出ようと仰るのですか!? 戻らぬ――覚悟で……」
「……占い師殿には、隠せぬな」
穏やかな声音でジョリスは認めた。
「レスダール陛下にはお話をした。だがご許可はいただけなかった。迷わなかった訳ではない。だが、私にいまできることは、これなのだと」
「何の、お話なんです」
ピニアは不思議に思った。〈白光の騎士〉が帰らぬ旅に出ることなど、王が認めるはずはない。ジョリスが王に許可を求めようとしたのはそのことではないはずだ。
「私は」
ジョリスはのろのろと、ローブの内側に手を入れた。ゆっくりと、その手が再び外気に触れたとき、そこには何かがあった。
幅二十ファイン弱、長さ三十ファイン強の、銀色をした――箱。
「ジョリス様」
ピニアの声はかすれた。
「それは、もしや」
「この箱の封印を解くことができるのは、封じた当の魔術師ラバンネルだけだ。だが彼の行方もアバスター同様、知れぬまま。タルー神父が手がかりを知ると言う」
淡々とジョリスは、それがピニアの口から発された言葉ではないかのように告げた。
「私はアバスターの箱の封印を解くため、魔術師ラバンネルを探しに行くつもりだ」
その宣言は、いくつもの意味を伴った。
騎士には様々な権限があるが、これは明らかに越権行為だということ。
王の許可なく、王家の宝とされるアバスターの箱を持ち出したということ。
騎士位を解かれ、追われる覚悟であるということ。
「ジョリス様……何と……」
ピニアは言葉を失った。
愚かしいとも、大それたとも、どんな言葉も彼女の唇には上らなかった。
何という決意をしたのか。そして、何という旅をしようとしているのか。
反対だ、と言うのは簡単だった。ほかにも方法はあるのではないかと。〈白光〉位を、騎士位を賭ける前に、できることはまだあるのではないかと。
だが、ピニアは何も言わなかった。
決断し、行動するまでに、ジョリスが何も考えなかったはずはない。彼の頭にはいくつもの手段が浮かんで、だがそれらのどれひとつ採らず、最も無謀と言えるやり方を選んだ。
もう、ジョリスが旅に出ることは決まっている。彼が決めていると言うのではない。決まっている。占い師にはそのことが判っていた。
「無論、最上だとは言えない」
判っているとジョリスは言った。
「だが、時間がないのだ」
「時間が」
繰り返し、ピニアは両腕で自らの身体を抱いた。
「時間がない」。その言葉に、占い師は奇妙な寒気を覚えた。
「私は騎士の座を追われることになるだろう。騎士の鎧は脱ぎ捨ててゆくべきと考えている」
「いいえ、いいえジョリス様」
ピニアは首を振った。
「〈白光の騎士〉様が黒騎士の退治に乗り出しているとなれば、人々は勇気づけられますわ。ジョリス様を知る者もいます。〈白光の騎士〉が白い鎧やマントを身につけていなければ、むしろ不安に思う者も多いはずです」
占い師は真摯に言った。
「どうか、騎士様。たとえ陛下のお怒りを買おうとも、あなたがナイリアンの騎士であることに変わりはありません」
ピニアは訴えた。
「どうかいつものように、白い衣を身にまとったお姿で」
「しかし」
ジョリスは躊躇った。
「あなたは」
占い師はそっと瞳を閉じた。
「あなたは〈白光の騎士〉でいなければならない。そうであることが、運命を動かす」
「――ピニア殿?」
「ウィラン峠の四つ辻を目指しなさい」
ピニアは告げた。彼に手を差し伸べ、その未来を視て。
「そこで行き合う若者に、光の運命を託すのです」
少しでも、彼の道を照らせるよう。
助けになるよう、星の言葉を。
それが彼女にできる、唯一のことだった。
「ピニア殿」
ジョリスは占い師に向かって、貴族の姫君に対して行う最上級の礼をした。
「私は、裏切りの騎士ではない」
託宣を心に刻み込んだジョリスは、それから呟くように言った。
「仰る通りだ、ピニア殿。この旅には、ナイリアンの騎士として、ナイリアンの紋章を掲げる必要があるだろう」
「ええ、そうですとも」
ほっとしたように彼女はうなずいた。
「どうか、ジョリス様」
予言者からひとりの女に戻ると、ピニアは切なく彼を呼んだ。
「必ず、お戻りになって下さい」
ナイリアールへ。
彼女のもとへ。
「誓いたいが、難しい」
騎士はかすかに笑みを浮かべると――それは寂しげなものだった――そうとだけ言って、踵を返した。
「ジョリス様……!」
月の女神と夜の女神だけが、その最後の邂逅を見ていた。
(第1話「託されし運命」第1章へつづく)