03 見えてくるものはある
真実を探す。
そんなふうに言ったものの、どこで何をどうすればいいのかはさっぱり判らないままだ。
ただ、決意だけはある。幼なじみにかかった嫌疑は必ず晴らすと。
「ここでいいだろう」とヒューデアがリチェリンたちを案内したのは、一見したところ店を営業しているとは見えない建物の奥だった。それは「知る人ぞ知る」場所であると言う。いささか利用料金はかかるものの個室を使え、密談をしたい者たちがやってくるのだとか。
そうした場所がいいのではないかと提案したのはラスピーだったが、リチェリンはそんな仕組みがあることに驚いた。世の中、確かに人に聞かれたくない話というものはあるが、そういう場を用意する商売が存在するということに驚いたのだ。
だがこの仕組みが使われるのは、純情なリチェリンが思うような軽い「内緒話」のためではない。
表立っては逢い引きのできない関係の男女――などはまだ可愛いもので、違法ぎりぎりと言える灰色の企みや、時には真っ黒な陰謀が進められることもある。
しかし店側としては「そんなことは知らない」ということになっている。確かに話の内容までは知らないとしても、後ろ暗い理由で使われることは前提のようなもののはずだが。
もっとも彼ら三人の場合、黒い密談をする予定はない。ただ、町憲兵隊に追われる人物の話や、ヒューデアの知る「まだ公表されていない話」をするには、人の耳のないところである必要があったのだ。
案内された一室に入った彼ら三人は向かい合うように座った。リチェリンとラスピーが隣に座り、向かいにヒューデアという形だ。
「オルフィが王家の宝を持って逃げていることは事実だ」
簡単に話を確認し合ったあと、続けて口を開いたのはヒューデアだった。
「そんな馬鹿な!」
リチェリンは憤然と叫んだ。
「間違いに決まってます!」
「生憎だが、俺はこの目で見た。オルフィが王城から盗んだというのは誤りだが、いま現在あの男が所持し、そして逃亡していることは間違いない」
「どうしてかそんな高価なものを手に入れたと言うのであれば、あの子が逃げたりするはずがないわ」
「いやしかし、逃げずにのこのこと出向けば捕まるだけだ。そういう話をしたろう? オルフィ君の判断は正しいよ」
呑気にラスピーが口を挟んだ。
「でもどうして君がそんなことを知っているのかな? どうやらオルフィ君とも面識があるようだが」
「ああ。話をした」
「いったいどんな話を?」
リチェリンは尋ねた。
「……ジョリス・オードナーから、その宝を預かったと」
「ジョリス様」
彼女ははっとした。
「言っていたわ、ジョリス様にお会いしたと。でも何かを預かったなんて一言も」
「ジョリスはそれを持ってタルーという神父に会いに行くはずだった。だがその人物は死んだと聞く」
「あ……」
「知っているのか」
「ええ。私の暮らす村カルセンの神父様でした。私も大変、お世話に……」
そこで彼女は言葉を切った。嗚咽がこみ上げて、続けられなかったのだ。
「そうか」
判った、とうなずいてヒューデアは追悼の仕草をした。リチェリンは目頭を拭って返礼をした。
「ジョリスはその神父殿の知る人物を探していた。だがそれを尋ねに行く前に黒騎士出現の報を聞き、それを追って」
剣士は少し間を置いた。
「死んだ」
「――え?」
「何だって?」
リチェリンはもとよりラスピーも聞き返した。
「ジョリス・オードナーは死んだ。まだ公表はされていないが、いつまでもは隠せないだろう」
はっきりとヒューデアは、誤解しようのないように言った。
「ま、まさか」
彼女は顔を引きつらせた。
「俺とて信じたくはない。だがルタイからそろそろ遺体も届くはずだ。オードナー家では内々に弔いの支度をしているだろう」
「なん、何てこと……」
リチェリンは青ざめた。
「黒騎士が? 噂に聞くその人物がジョリス様を?」
「そうらしい」
淡々と、またはそれを装って、ヒューデアは答えた。
「ふむ。これは驚いた」
ラスピーは両腕を組んだ。
「〈白光の騎士〉ジョリス・オードナーと言えば、近隣諸国にもその名が知れ渡るほどの名剣士だ。彼ほどの人物が子供殺しの狼藉者に敗れるとは」
ううむ、と彼はうなった。
「実は私は、占い師殿に彼のことを尋ねようと思っていたんだ。噂に聞くだけの大人であるのなら、オルフィ君の冤罪を由々しきことと考えてくれそうだからね」
だが、とラスピーは首を振った。
「亡くなったのか。それもオルフィ君と出会ったあとで」
「それじゃオルフィは」
彼女ははっとした。
「オルフィがその宝をジョリス様から預かったのであれば」
「その通り。そう証言できる人物がいない、ということになる」
「成程。オルフィ君はそれを知って逃げているのかもしれないな」
知ったように、ラスピー。
「現状では最善で、彼が〈白光の騎士〉から盗んだとしか思われまい」
「でも……それじゃ」
リチェリンは口に手を当てた。
「どこまで逃げればいいの」
「ナイリアン国の外まで、ということになりそうだ」
さらりとラスピーが言う。
「そんな!」
「一生この国から離れるか、最悪でもほとぼりが冷めるまで国外に身を隠す。最も現実的な案だろう。オルフィ君がどう思うかは知らないが」
「確かにそうだろうな」
ヒューデアも同意した。
「王家の宝を盗まれたなど、王に恥じ入る心があれば、他国に援助など要請できまい。恥も外聞もなくして、ということもあるかもしれないが……」
「いや、それはないだろう。ナイリアンは強国を気取ってるからな」
口の端を上げてラスピーが言った。
「なかなか強烈な皮肉だ」
ヒューデアは鼻を鳴らした。
「その実態は、魔術師と祭司長に実権を奪われた王のおわす国だがな」
「ほう? ヒューデア君もなかなか言うものだな」
「ええっ?」
驚いたのはリチェリンだった。
「どういうこと?」
「普通の国民にはあまり知られていないようだがね。レスダール王はいま、何をするにも宮廷魔術師と祭司長の顔色を読んでからという有様だ。いまにお伺いを立てるようにすらなるんじゃないかと思うね」
「お前こそ、よく知っているようだ」
ヒューデアは目を細めた。
「何者だ」
「旅の紀行家を馬鹿にしたもんじゃない。あちこちで聞く噂話をつなぎ合わせれば、自ずと見えてくるものはある」
ふふん、とラスピーは勝ち誇るようにした。
「……まあいいだろう」
ヒューデアは引いた。
「解せないのは、こんなに素早く、かつ雑にオルフィの捜索が行われたことだ」
続けてヒューデアは考えるように眉をひそめながら言った。
「雑、ですって?」
「ふむ。オルフィ君が逃げおおせているのは彼が巧妙に立ち回ったからではなく、町憲兵隊が雑だったからだ、と?」
「そうだ」
ヒューデアはうなずいた。
「王子……王の命令とは思えない」
「たとえ力を失いつつあっても、王は王。勅命となればもっと捜索も封鎖も厳重だったはずだと言うんだね」
ラスピーの言葉にヒューデアはまたうなずく。
「俺は、コルシェントかキンロップの命令ではないかと思う」
「それは確か、宮廷魔術師殿と」
「祭司長のことね」
仮にも神女見習いだ、ナイリアンの神官たちの頂点に立つ人物の名前くらいは把握していた。
「しかしどうして彼らがオルフィ君という哀れな迷い羊の存在を知るかな?」
「オルフィは城を訪れ、レヴラールと言葉を交わしている」
「レヴラール……王子殿下と!?」
リチェリンには驚くことばかりだ。
(ジョリス様に王子殿下だなんて……まるでオルフィが偉くなったみたいに思えちゃうわ)
(ううん、そうじゃなくて)
(まるで知らない人の話のよう)
幼なじみと会って話したのは昨日のことだ。もちろん彼はいつも通りであり、カルセン村と何もかもが違う首都のなかでよく知るオルフィに遭遇できたことはリチェリンをほっとさせた。
なのに、出てくる話は彼のことでありながらそうではないかのようだ。
(オルフィ、いったい何があったの?)
(どうして私に話してくれなかったの)
彼女は少し哀しい気持ちになった。
(私はちっとも「頼れるお姉さん」なんかじゃないってことかしら)
(ああ、そうなのかもしれないわ。だってオルフィは、ひとりでずっと立派に仕事をしていて……)
もう「弟」には自分の手など必要ないのだろうかと思うことは、リチェリンの胸を痛くした。
「リチェリン嬢?」
ラスピーが声をかけた。
「そんなに心配しなくてもいい。とにかくいま、オルフィ君は逃げられているのだし」
「ええ、はい」
有難うございますとリチェリンはラスピーの慰めに礼を言い、気持ちを切り替えた。いまはそんなことで気を落としている場合ではない。