01 困っていた
オルフィが城に侵入して宝を盗み、追われている。
その容疑は彼の「姉」にとって「有り得ない」の一言で一蹴できるものだった。
だがそれはリチェリンがオルフィのことを幼い頃からよく――最も古い記憶がオルフィとアイーグ村で遊んでいたことであるくらい――知っているからだ。彼のことを何も知らない者に彼を信じろと言っても無理であることもまた、よく判る。
それはオルフィがナイリアールを出て行った翌日のことだった。リチェリンがラスピーと出会って三日目ということにもなる。
正直なところを言うのであれば、リチェリンは困っていた。
ラスピーが彼女に同行する――或いは彼女がラスピーに同行する――ことについてではない。奇妙なことになったとは思っているが、自分ひとりでは右も左も判らないことが多すぎる。一方でラスピーは変わっているが、彼女の知らないことをたくさん知っているようだし、旅慣れてもいる。
いかに箱入りの神女見習いとは言え、男と女のことも知識の上では把握しており、若い女がひとりでいることへの危険についても判っている。しかし、ラスピーがそういう意味で危険な人物だとは思わなかった。
その判断は何もお人好しな考えから出たものばかりではなく、カナトの話が思い出されたからだ。
「金持ちの道楽」。
カナトの判断は的を射ているように感じられた。
ラスピーがリチェリンを手伝って――或いはその逆でもいいが――得るものは、本の題材になりそうな面白いこと、それだけだ。
それはラスピー自身の言でもあるが、信じられると思っていた。
もっとも、所詮、それは印象にすぎない。彼が上手な演者で、リチェリンを騙していることがないとは言えない。
しかし何のために騙す?
ここで彼女を騙し、彼は何を手に入れる?
題材以外であれば彼女の貞操くらいだが、たまたま行き合った田舎娘をそんな手間をかけて籠絡せずとも、金持ちにはいろいろな手段があるはずだ。
とリチェリンが冷静に分析した訳ではなかったが、彼女はこう考えて――感じていた。
(この人の目的は私じゃない)
そのことには確信があった。
よって、ラスピーの同行自体には困っていない。
リチェリンがこのとき、困っていたのは。
「だからかまわないと言っている」
「ですから、その、お客人がかまうかどうかではなく……」
「判っている。体調が悪いと言うのであろう? ならばよい薬師を紹介しよう。何の、気にすることはない。それで占い師殿が快復なさって私の話を聞いて下さるなら安いものだ」
「いえ、その」
「いやいや、紹介料を取ろうという気もない。案ずるな」
朝一番で彼女は神殿に連絡を入れ、ニクール宛てにしたためた手紙をメジーディス神官に渡して、くれぐれも葬儀をよろしく頼むと頭を下げた。リチェリンが戻らないということを神官はどう思ったにせよ、何も咎めるようなことは言わず、ただ了承して聖印を切った。
そのあと、どうやってか彼女の居場所を嗅ぎつけたラスピーが現れて、ろくに説明もせずにここまで連れてきたのだ。
「あの、ラスピーさん」
遠慮がちにリチェリンは声を出した。
「もうやめましょう。占い師の方は、お会いになれないと言っているんですから」
ラスピーが彼女を引っ張ってやってきたのは、高名な占い師ピニアの館であった。青年が何を占ってもらおうと言うのかは教えてもらえないまま――オルフィの行方、などという単純な話でもないらしい――ふたりは館へやってきたが、館の使用人は主人の体調不良を伝えて占いはできないと言ったのだ。
しかしそれで引っ込むラスピー青年ではなく、治ればそれでいいはずだ、治すために協力をすると言い張って使用人と同行者を困らせていたのである。
「リチェリン嬢。ピニア殿が病で苦しんでいるのであれば、助けてさし上げるのが人の道というものではないか?」
「えっ? そ、それは仰る通りなんですけれど」
無知な田舎者だって気づくことはある。即ち、体調不良は嘘、と言って悪ければ口実であると。もしも本当に寝込んでいてどうしようもないというのであれば、使用人の態度はもっと違いそうなものだ。
だが使用人の前でそうは言いにくい。もとよりリチェリンとしては、使用人がいなくても言いづらい。
(ラスピーさんが気づいていないとも思わないのだけれど)
判っていながら押しているのではないか、と思わざるを得ない。
「そう。仰る通りだ」
得たりとラスピーはうなずいた。
「あっ、いえ、全面的に同意したのではなく……」
「とにかくピニア殿に会わせてもらえれば済むことだ。いつまで玄関で問答していなくてはならない?」
「ですから、その……」
気の毒に、使用人はすっかり困ってしまっていた。今日は占いはできませんと言えばほとんどの客は帰るものだ。渋る者にも、主人の体調が思わしくないと告げればそれ以上は押してこない。せいぜい、占いが再開したら連絡をくれという要請があるくらいだ。
是が非でも会わせるようにと言ってきた人物はラスピーの前にひとりだけいたが――。
「何ごとだ」
奥から声がした。はっとして使用人は振り返り、ラスピーはのぞき込んだ。
「無茶を言う者がいるのか」
「おお、これは」
青年はにっこりとした。
「あっ……」
(この人は)
リチェリンには見覚えがあった。コズディム神殿の前ですれ違った少し怖い雰囲気の、しかし整った顔立ちをした、白銀髪の剣士。
「美しい白銀の髪。きりっとした表情が、うむ、これはなかなか」
「ヒューデア殿」
使用人はほっとしていいのか更に困っていいのか判らないというような複雑な顔をした。ヒューデアは結果的にピニアの知己と判ったものの、訪問したときはいま彼自身が言ったような「無茶を言う者」であったからだ。
「ピニア殿の客人か。彼女は休みを取っている。占いの用ならば日を改めよ」
彼は館の人間であるかのように言った。もっともそれを気取っている訳でもなく、使用人への助け船というところだ。
「調子が悪いのであれば最良の薬師を紹介する、というところまで話したのだが」
だがラスピーは少しも怯まなかった。
「お引き取り願おう」
ヒューデアの方でも相手にする気がないようだった。
「医師ならばナイリアール一の腕利きを手配できる」
「できる」
ラスピーは首をかしげた。
「つまり、まだ手配していない」
素知らぬ顔でラスピーが言えば、ヒューデアは顔をしかめた。
「お前には関係のないことだ」
「果たして……本当にそうかな?」
紀行家はかすかに口の端を上げた。
「何だと?」
「関係ないなどとは言えまいよ、剣士殿」
「どういう意味だ」
「それはいずれ判る」
どこまで本気か、それとも単なるはったりか、ラスピーは笑みを浮かべたままだった。ヒューデアはしかめ面のままでじっとそれを見て――きゅっと唇を結んだ。
「アミツが」
彼は呟いた。
「いったい、どういうことだ。このようなことはこれまでなかった」
「何だと?」
「お前と――そこの娘」
「は、はいっ」
思わずリチェリンは姿勢を正した。
「わずか数日で、四人? これまでアミツが指したことがあるのは、ただふたりであったのだが……」
「アミツ」
繰り返してラスピーはぱちりと指を鳴らした。
「北の民族か!」