11 目的
沈黙が降りた。それは重く、部屋にはただレヴラールの荒い息づかいだけが響いた。
息の詰まるような静寂を破ったのは、扉を叩く音だった。
「――レヴラール殿下。大変、申し訳ありません」
聞こえてきたのは使用人の遠慮がちな声だった。彼らのやり取りは扉の外まで聞こえてはいなかっただろうが、王子の怒鳴るような声音は伝わっていたはずだ。割り込むのは勇気の要ることだっただろう。
「何ごとだ」
不機嫌そうに王子は返した。
「コルシェント術師がお見えです」
「何? コルシェントだと?」
意外そうに王子は目をしばたたいた。
「わたくしは、外しましょうか」
サレーヒは立ち上がった。
「何の用事かによるな」
王子はそう答えると入室の許可を出した。
「レヴラール様、ご機嫌麗しゅう」
黒ローブ姿の男は扉をくぐると丁重に礼をした。
「サレーヒ殿もご一緒でしたか。もう、お話は終わられたかと思いましたが」
「ちょうどご報告が済んだところです」
騎士はそうとだけ答えると、王子と宮廷魔術師の間に入らぬよう、横に移動した。
「左様でしたか」
ちらりとコルシェントの目が卓上の杯に向いた。絨毯の上のそれにも。
「用向きは? ウーリナ殿の件か」
「それもございます。ですがそのことだけではなく」
コルシェントはすっと歩を進めると、声をひそめた。
「黒騎士のことで」
「また被害があったのか?」
レヴラールは眉をひそめた。
「いえ、そうではありません」
「では何ごとだ」
「新たな事実が判明しましたので、そのご報告に」
思わせぶりに魔術師は言った。
「新たな事実だと? 俺に話す必要があるのか?」
「王陛下にはもとより、キンロップ殿にもお話しいたします。ですが王子殿下が最もご興味をお持ちかと」
「……告げよ」
短く王子は命じた。
「は。被害にあった子供らですが、彼らは服を切り裂かれていただけではありませんでした」
そう言ってからコルシェントは、子供の背中に印のようなものが刻みつけられていた話をした。
「何と不気味な」
「残虐なことを」
王子と騎士は眉をひそめた。
「目的はいったい何なのだ」
苛ついたようにレヴラールは言った。
「それが判ったやもしれぬのです」
コルシェントは真剣な顔を見せた。
「何?」
「その印は〈湖の民〉が使うものでした」
「湖の……エクール湖の民か?」
「はい。間違いありません」
「どういうことだ? まさか黒騎士が〈湖の民〉だとでも言うのか」
「それは判りませんが、わざわざ犯罪に署名をするのも奇妙な話かと」
「ならば何のためにそのような印を残す」
顔をしかめて王子はもっともな疑問を口にした。
「考えられるのは、知らせ……主張、喧伝ではないかと」
「誰に何を知らせる」
「この場合、相手は〈湖の民〉ということになるのでしょうか?」
サレーヒが尋ねた。コルシェントは騎士を見て小さくうなずいた。
「黒騎士が〈湖の民〉でないのなら、その印は〈湖の民〉に何かを知らしめようとしている証ではないかと」
「それが何かは判らぬ、と言うのだな?」
「ええ。生憎なことに」
魔術師は嘆息した。
「〈湖の民〉か……」
レヴラールは両腕を組んだ。その視線は一度ちらりとサレーヒに向いたが、何ごともなかったように逸らされた。
「確かピニアがエクール湖の出身ではなかったか?」
「ええ。ピニア殿には既にお話を伺ってあります」
コルシェントは顔色ひとつ変えずにうなずいた。
「件の印がかの民のものであるという確認は彼女から取りました。それから、子供、背中、印という符号で思い出されることも」
魔術師は間を置いた。
「続けろ」
まるで効果的な時間を取ろうとするコルシェントに、レヴラールは少し苛立ちを見せた。
「十年ほど前、民たちの間から『神子』と呼ばれる幼子が姿を消したそうです。大火の際の混乱でさらわれたのではないかという話でして、民たちはもちろん子供を探しているのですが……」
コルシェントはかすかに息を吐いた。
「神子の背中には、問題の印があるそうです」
「それは、刻まれるのか?」
「いいえ。子供は『神の子』、神秘的な存在で、生まれながらに印を持つのだとか。しるしを持って生まれたからこそ神子と言う訳ですね」
「それがどうした」
興味なさそうにレヴラールは問うた。
「その大火と拐かしは同じ人物、と言って悪ければ同じ一派の仕業であるようなのです」
「ほう?」
火事も事故や失火ではなく意図的なものだ、という話に王子は少し興味を示した。
「〈湖の民〉は、かつて我が王家の怒りをも買ったようだが、いまでも誰だかから余程の恨みを持たれているのだな」
「恨みつらみではないようです。その連中は神子の力を欲したらしく」
「神子というのは何なのだ。何ができる」
「湖神エク=ヴーの声を聞き、人々を導くのですとか」
「北の民キエヴの精霊アミツを見る者の話に似ているな」
「よくご存知で」
コルシェントは少し驚いたようだった。
「何かで読んだような気がする。うろ覚えだ」
王子は手を振った。
「それで? 何故黒騎士が神子を探し、子供を殺して回る必要があるのか。そしてそれを〈湖の民〉に知らしめるとは?」
顔をしかめて王子は列挙した。
「コルシェント。お前の話はさっぱり判らんぞ」
「……この先はいささか憶測も混じります故、あまり明確には申し上げられないのですが」
「かまわん。言え」
「これは〈湖の民〉と、その神子を狙った一派の争いであると見ることができます」
「根拠は」
「ピニア殿の話によれば、以前にもそうしたことはあったようです。エクール湖とは全く関わりのない狂信的な存在がエクールの神子の神秘性を知り、自分たちの象徴にしてしまおうと狙う、というような」
「異端者どもの争いということか」
ふんとレヴラールは唇を歪めた。
「キンロップがと言おうか、八大神殿が手こずっている集団があるな。何と言ったか」
「〈ドミナエ会〉ですね」
「それだ。それとは関わりがないのか?」
「有り得ます。現状でははっきりしませんが」
「事実であれば馬鹿馬鹿しい」
王子は首を振った。
「我々は異端の連中に翻弄され、〈白光の騎士〉を失ったのか」
乾いた笑いがレヴラールの口から洩れた。
「殿下。畏れながら」
じっと黙っていたサレーヒが声を出した。
「独特の信仰を持っていようと、〈湖の民〉は間違いなくナイリアンの民であります」
「だから何だ。守れとでも?」
「国民を守ることこそ王家の務め……民あっての国です」
「無論、守るとも。俺は黒騎士征伐のことも父上より真剣に考えている。だが〈湖の民〉、奴らは望んで外れ者の道を歩んでいるのだろう。手を差し伸べてやる必要がどこにある?」
「彼らがラゲンドと見られるのはエク=ヴー信仰による一点だけでありましょう。ナイリアンの法をきちんと守り、納税もしている。白眼視する理由などないはずです」
「俺が差別をしたと言うのか? 向こうが差別を望んでいると言ったのだぞ、あのときのことも――」
レヴラールはそこで口をつぐんだ。
「ええい。過去のことはどうでもいい。コルシェント、続きを」
「は」
魔術師は頭を下げた。
「〈湖の民〉の神子は行方知れず。民たちはずっとそれを探していますが、その探索に加わったのが例の『会』であるとすれば、黒騎士は彼らの手の者ということになりましょう」
「失礼だが、魔術師殿。早計ではないのか」
慎重にサレーヒは言った。
「何も決めつけてはおりませんよ、騎士殿。たとえ話、考え方のひとつとしてということです」
「む……」
「黒騎士の正体はともかく、湖神の神子を探していると考えることができます。そこで殿下、私はエクール湖のほとりに出向き、彼らの神子について尋ねてきたいと思うのです」
「好きにしたらいい」
簡単にレヴラールは返した。
「黒騎士騒動についてはお前とキンロップに任されているはずだ」
「ええ、私と祭司長に、ですね」
コルシェントは繰り返した。
「こう申し上げては何ですが、私が単独で行動すればキンロップ祭司長のお気に召しません。ましてや例の会に関わる可能性があれば」
「は。俺が命令した形にしろということか?」
「そうしていただければ助かります、と」
「成程。俺のところに話を持ってきた理由が判った。父上には言いづらいものな」
王子は少し笑った。
「いいだろう、コルシェント術師。命じよう。ただし俺には顛末を全て報告するように」
「承りました」
宮廷魔術師は深く頭を下げた。
「……コルシェント術師、少しよろしいか」
〈赤銅の騎士〉は静かに声を発した。
「何でしょう、騎士殿?」
顔を上げてコルシェントは尋ねた。
「そのように積極的になられた理由をお伺いしても?」
「これは、異なことを仰る」
魔術師は目をしばたたいた。
「私がこれまで怠けていたとでもお思いか」
「それは」
宮廷魔術師と祭司長の対応の悪さをジョリスが嘆いていた――などという話をしても仕方がない。サレーヒは口をつぐんだ。
「失礼なことを申し上げたようだ。お忘れいただきたい」
「いえ、何も気にしてはおりませんよ」
にっこりとコルシェントは笑みを浮かべた。
「では早々に、エクール湖の方へ出向きましょう」
魔術師は北東の方角に目を向けた。
「黒騎士、〈湖の民〉、その神子に……〈ドミナエ会〉。いったいどう関わるのでしょうね」
(第3章へつづく)