05 香りがします
「か、返す! 返すから助けてくれ! い、命だけは」
あたふたと子供は隠しに手を入れた。
「ご、五十ラルだな? 確かそれくらいは、あったはず……」
「金額じゃない、俺から盗った銀貨そのものを返せ!」
素早くオルフィは言った。
「へっ?」
これは子供には通じかねた。
「な、何だって?」
「実はですね」
カナトは杖をもてあそびながら言った。
「あなたが彼から盗んだ五十ラル銀貨には、魔法がかけてあるんです。そのものを返さないと何があるか……」
「う、うええっ!?」
捕まえているオルフィが気の毒に思うくらい、子供は泡を食った。
「そっ、そのものだな? たた、確かあれは」
ええと、と子供は考えるようだった。
「言っておきますが、もし嘘をつけば」
「つ、つかないつかないっ。本当のことを」
「あの」
「ええと、確か」
「すみません」
「確かあのあと、一旦家に戻って」
「そちらの方々」
「家? 家ってのはどこだ」
「小さな子を苛めるのはよろしくないと思いますわ」
「いや、苛めてる訳じゃ」
オルフィは振り返って、口をぽかんと開けた。
合間合間に挟まれた声に、いまになってようやく気づいたというのもある。的外れな指摘に呆れるより驚いた気持ちもある。
だがそれよりも。
(わ……何だ? この子)
そこに立っていたのは彼より少し年下と見える少女だった。肩よりも長い波立った黒髪は艶やかで、頭につけた銀色の髪飾りが控えめながら印象的だ。明るい茶色の瞳は大きく見開かれ、彼を見つめている。
(か)
(可愛い)
(いや、そんなことじゃ、なくて!)
「あんた誰だ」
尋ねたのはシレキだった。
「まあ、失礼いたしましたわ。わたくしはウーリナと申しますの」
ふんわりとした笑みを浮かべて少女は名乗った。
「いや、名前を知りたい訳じゃなくてな……」
シレキは頭をかいた。
「このガキんちょの姉貴か何かか?」
「あねき……?」
少女ウーリナは首をかしげた。
「似ているようには見えませんね」
カナトが顔をしかめた。
「ともあれ、誤解です。僕たちはこの子を苛めている訳ではなく」
「そう、苛めてなんかない。こいつは盗っ人で」
「た、助けてくれ、姉ちゃん!」
子供は叫んだ。
「こいつら酷いんだ。オレは何もしてないのに!」
「まあ」
「なっ、てめっ、盗んだことを認めたじゃないかっ」
「いけませんわ。大人がよってたかってそのような」
「違う違うっ」
何だかややこしくなってきた。オルフィはどうしたらいいものかと迷った。
「俺は大事なものを盗まれて困ってんの!」
「まあ」
「嘘だよ嘘っ。子供を苛める酷い奴らなんだ」
「まあ」
少女はぱちぱちと目をしばたたかせた。
「てめっ、この、よくも出鱈目を」
怒るように言ってから、オルフィはあれっと思った。
(……何もこんな、通りすがりの子の誤解を正そうと焦ることもないんじゃないか?)
たとえ通りすがりの相手にでも弱い者苛めをしているなどと思われれば腹立たしいと言おうか不名誉だと言おうか、そうした気持ちは浮かぶ。だが必死になって言い訳をしなくてもいいのではないかと。
「まあ……」
三度呟いて、少女は気遣わしげな表情を浮かべた。
「――嘘はいけませんわ」
少女は眉をひそめた。だがそれはもはやオルフィらを糾弾するものではなかった。
その視線はまっすぐ、子供の瞳に向いていた。
「嘘はよいものを遠ざけ、悪いものを呼びますのよ」
「な、何だよ、オレが嘘ついてるって」
「ええ、ついていますわね」
にっこりとウーリナが進み出ると、ついという様子でカナトは一歩引いた。
「わっ、何だよよせよ、今度は女の変態かよっ」
子供が慌てたのは、少女が子供の上衣を掴んで軽く引っ張り、そのなかに細い手を入れたからだ。
「えっ、ちょっ、何で」
「ほら」
あくまでもにっこりとウーリナは言った。
「問題になっているのはこれですわね?」
「あっ、その袋――」
オルフィは驚いた。それは彼がジョリスの五十ラル銀貨を入れていた布袋によく似ていた。
「何で、判った?」
盗まれたものの話は少女の前ではしていないし、第一、子供がどこに隠し持っていたかなど子供当人以外に判るはずがない。
「何故、と言われましても」
ウーリナは首を傾げた。
「判りますのよ。はい、どうぞ」
にこっと少女は袋を差し出した。
「あ、ども……」
思わずオルフィは手を差し出した。
(魔術師……?)
そうは見えないが、そうとしか思えない。
(「見えない」ならカナトだって似たようなもんだし)
少女が魔力で盗難品を探し出したのではないかという推測は、オルフィには自然なものだった。
「そちらのあなたも。もう嘘をついてはいけませんわよ。それも、人を貶める目的で」
「説教すんな! お前、神官かよっ」
子供は顔を真っ赤にした。
「さあ、殿。その子を放しておやりなさいな」
丁重すぎる呼びかけと笑顔にオルフィも顔を赤くした。
「あんまり悪さすんなよ。ほら行け」
彼は左手から子供を解放した。子供は〈尻を蹴られた馬のごとく〉逃げ出し、あっという間に見えなくなった。
「取り戻せましたか。よかったですね、オルフィ」
「ああ。有難う、カナト」
「本当に『そのもの』なのか?」
少し疑うように、シレキ。
「うーん……」
オルフィは袋から銀貨を取り出した。
「正直、袋は確かにこれだけど、銀貨自体には何の変哲もないから絶対とは言えないかもしれない。でもわざわざあのガキが一枚の五十ラル銀貨を入れ替えたってこともないだろうし」
オルフィは銀貨を取り出すとためつすがめつした。
見て判る特徴的な、たとえば傷などはなかった。特別にきれいだというのでもなかった。ごく普通で何の変哲もない、ほかの銀貨に紛れてしまえば判らない一枚。
「間違いありませんわ」
笑みを浮かべてウーリナは断言した。
「その銀貨には、あなたの香りがします」
「は?」
オルフィは口を開けた。
「あ、魔術? カナト、んなことって判るの?」
「いえ」
少年魔術師は首を振った。
「ああ、どうでしょう、魔術で判るかどうかということでしたら、何とも言えません。僕は知りませんが、そうしたことが判別できる術や特性もあるのかもしれません。どうですか? シレキさん」
「まあ、あるっちゃある。俺も聞きかじりにすぎんがな。だが」
「ん?」
では少年は何を否定し、男は何を言おうとしているのか。魔力を持たないオルフィは首をひねった。
「このご婦人に魔力はありません、ということです」