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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第一部 序章
12/520

12 託宣であればと

 北の森から、ホウホウと(オファ)の鳴く声が聞こえる。(ヴィリア・ルー)は美しく輝き、眠りにつく人々を天空から優しく見守っているかのようだ。

 時刻は、十二番目の深の刻を迎えていた。

 夜更かしの遊び人たちも帰途についたか、それとも酔い潰れたかという時間帯。街路を歩く者は巡回をする町憲兵(レドキア)か、はたまた盗賊(ガーラ)かというところであった。

 もっとも、その人物はどちらでもなかった。

 警戒するように背後を振り返る姿は不審とも取れたが、もし町憲兵が見咎めて誰何をすれば、その兵こそが困ることになっただろう。

 〈白光の騎士〉ジョリス・オードナーはそのとき、彼の身分を否応なく示す白いマントを外し、ごく普通の旅人が身につけるような茶色いローブを身にまとっていた。

 彼のことはナイリアン国中で知られている。全ての者が彼の顔を知る訳ではないが、昼間に首都ナイリアールを歩けば、白いマントをつけずとも誰かがジョリスだと気づくだろう。だが人気(ひとけ)の少ない夜に目立たぬ格好をして歩けば、少なくとも指を差して騎士様だと騒がれることはない。

 人目を忍ぶように行動するというのは、彼にとって難しいことだった。人目をはばからなくてはならないことなど、これまで何ひとつなかったからだ。

 だが、このときは違った。

 彼は誰にも見られていないことを――誰にも尾けられていないことを確認しながらナイリアールの一角を歩いていた。

 占い師ピニアの館は、首都の西区にある。

 ジョリスは王の命令で彼女を迎えに行ったこともあり、場所は把握していた。

 だがこの時間、やはり占い師は眠りについているはずだ。たとえ何らかの理由で眠れぬ夜を過ごしていたとしても、客人のために扉が開かれる時刻ではない。

 もちろん、ジョリスは判っていた。このような時間に何の約束もなく人を――ご婦人を訪れるなど、礼儀にもとるでは済まない。騎士でなければ、いや、そうであっても不名誉な噂を立てられかねないところだ。

 斯様な噂が不名誉であるのは彼だけではない。ピニアも同様だ。そのこともあれば、ジョリスは決して人に見られる訳にはいかなかった。

 もしも昼間に堂々と訪れれば、おかしな憶測も立たない。〈白光の騎士〉が〈白光の騎士〉としてやってきたなら、誰もが王の迎えや王城の用事だと思う。

 だがそうすることのできない理由があった。

 月の女神(ヴィリア・ルー)夜の女神(ナーネミア・ルー)だけが、身を隠した彼をじっと見ていた。

 いや、女神たちが見ていたのは、ジョリス・オードナーだけではない。館の二階にある露台で、春先のまだ冷たい夜気に身をさらしていたピニアもまた、女神たちの興味をそそった。

 「占い師の館」と言うが、貴族の館のように大げさなものではない。瀟洒な外壁が人目を引きはするが、それは成功した商人(トラオン)の屋敷よりずっと小さなもので、ピニア自身と数名の使用人が暮らしているだけだった。

 彼女はいつものように就寝の支度をし、一刻以上前に寝台に入ったのだったが、どうにも寝付かれなくて夜風に当たろうと考えたところだった。

 或いはそれは、占い師ならではの予感(フェルシー)だったのかもしれない。

 彼ら予言者は通常、自分の未来を視ることはできない。それは本能の歯止めであるとも言われる。たとえば、もし自らの死をあらかじめ知ってしまったら、とても平常心ではいられないからだ。

 死ぬまで行かない事故などであっても、高位の神官以上に悟りきった者でもない限り、何とか避けられないかと躍起になるだろう。だが、自らが視たことは決して避けられないと、それをよく知っているという矛盾(レドウ)に心を病みかねない。

 そうした狂気の闇に陥ちぬよう、彼らは自らの未来を視ることはできないのだと言う。

 ほかにも説はいくつかあったが、何にせよ、どんな優秀な占い師でも自分自身のことに関しては何の力も持たないただ人(・・・)と同じだとされていた。

 だから彼女は、不意に露台の柵を越えて現れたローブ姿の人影に驚愕した。賊だ、と思うのも当然のこと。

「だっ、誰か――」

「しっ……ピニア殿、どうかお静かに」

 侵入者は素早く占い師の口をふさいだ。

「このような無法な訪問をお詫びする。どうか、人を呼ぶのは待ってもらえないだろうか」

「ジョリス様……!?」

 知った声に、やはりピニアは驚愕した。これもまた当然と言えよう。

「い、いったい」

「起きておいでとは幸いだった。寝台からお起こしせねばならなかったかと思うと、さすがに、いささか」

 嘆息混じりに騎士は言った。その状況を考えて、ピニアは目を見開き、顔を真っ赤にした。

「あ、あの、いったい」

「この上なく非礼なことを申し上げているのは判っている。だが、ここでお話をして人目については問題だ。部屋に招いてはもらえぬだろうか」

 もちろん、騎士が不埒な目的でやってきたのではないことは占い師も判っていた。彼女は激しく動じながらもこくりとうなずき、〈白光の騎士〉を寝室に招き入れた。

「いま、灯りを……」

「いや。人目についてはいけない」

 騎士は繰り返した。

「今宵は月明かりがある。十二分だ」

「は、はい」

 ピニアは燭台を諦め、慌てて部屋を見回した。寝室に、客人を座らせる椅子のようなものはない。

「いま、椅子を……」

「ピニア殿」

 ジョリスは片手を上げて制した。

「もう一度、お話を伺いたい。昼間のことだ。貴女は本当に、ご自身の言われたことを覚えていないのか」

「え……は、はい……」

 消え入るような声でピニアは答えた。

「はい。嘘など、申しません」

「申し訳ない。疑うのではないのだが」

 ジョリスは息を吐いた。

「あのとき貴女は、言ったのだ。箱の封印を解けと。そして、カルセン村のタルー神父を訪ねよと」

「箱……タルー神父……?」

 占い師は眉根をひそめた。

「私が、そのようなことを? だからジョリス様はあのとき、箱という言葉を口になさったのですか?」

その通りだ(アレイス)

 騎士はうなずいた。占い師はしばし考えるようにしたが、判らないと首を振った。

「覚えていないのです。本当に、何も」

「ピニア殿。貴女は〈湖の民〉の生まれと聞いている」

「はい、仰る通りです」

 突然の言葉に驚きながらも、彼女はうなずいた。

「王城ではあまり快く思われませんが……幸い、レスダール陛下は、確かな力があるのならば出自は問わぬと」

「私も詳しくはないのだが、〈湖の民〉は託宣を行うということだな」

「はい」

 仰る通りですとピニアは繰り返した。

「かつて〈湖の民〉は、重大な託宣を時の王に伝え、ともにナイリアンを盛り立てていました。しかしやがて煙たく思われるようになり、ナイリアールに声を届けることをしなくなった。そう聞いています」

 ですが、とピニアは続けた。

「私が湖神の声を聞くことはありません。それはしるしを持つ神子(みこ)だけの能力です。私の力はあくまでも魔力。〈はじまりの湖〉エクールとは関わりのないところから生じています」

「そう、か……」

「ジョリス様は、その言葉が湖神エク=ヴーのものだと? 仮にそうであったとしても、何故ジョリス様がエク=ヴーの言葉を気にかけられるのです?」

「湖神のことは判らぬが」

 正直に彼は言った。

「三十年前の反乱に、〈湖の民〉が警告を送っていたという記録がある。そのことが思い出され、よもやと思ったのだ」

「まあ、左様でしたか」

「だが貴女は、神子の血筋ではない、か」

「も、申し訳ありません」

 騎士の声に落胆を感じ取り、占い師は謝った。ジョリスは驚いた顔をした。

「貴女が謝るようなことではない」

「ですが……ジョリス様は託宣であればとお思いだったのではないですか」

「託宣であればと……そうかもしれぬな」

 小さく、ジョリスは呟いた。

「だが、そのことはもう言うまい。名も知らぬ神に頼ろうなどというのは、三十年前の英雄に頼ろうとするより酷かろう」

「何者かに力を借りるということは、必ずしも悪徳ではありませんでしょう」

 ピニアは言った。

「自らの力だけで成し遂げられることもあれば、どうしてもそうはならないこともあります。ジョリス様は騎士として素晴らしい力をお持ちですけれど、神のように万能ではありませんわ」

「時には、万能で在ることができればよいと願うこともあるのだが」

 黒騎士騒動に無力を痛感している騎士は呟くように言った。


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