04 頼むから
橋を渡るだけならば、ゆっくり露店を覗きながら行ったところで半刻もかからなかっただろう。だが思わぬ出来事が彼らの足取りをとめてしまった。
オルフィはあてどもなく子供の姿を探したが、この人だかりのなかで容易に見つかるはずもない。露天商たちに尋ねてみたものの、彼らは毎日この場所に陣取っているのでもなく、芳しい返答は得られなかった。
「気の毒だが諦めた方がいいだろう」
シレキは言った。
「大事なものだってのは判ったが、こういうのはあれだ、モノにも役割というのがあってだな。失われるときはその役目を果たして」
「何にも、果たされてないっ」
とオルフィは勢い込んで返した。
「あれは、ジョリス様の……」
「はいはい判ってる判ってる。何だか知らんがお守りなんだろ? だが考えてみろ、それがすられたおかげでお前の財布は無事」
「財布がすられる方がましだっ。ラルはまた稼げる!」
「たかが五十ラルだろ?」
「金額じゃないんだ、何も判っちゃいないじゃないか!」
オルフィはシレキを睨んで、だが息を吐くと肩を落とし、謝罪の仕草をした。
「ごめん。あんたが悪い訳じゃないのにな」
「判ってもらえて結構だ」
ふんと男は鼻を鳴らした。
「何がどう〈白光の騎士〉様と関わるのか、それは俺は知らんよ」
聞いてないからな、とシレキは肩をすくめた。
「しかしお前、いつまでも探してはいられないだろうが。それとも見つかるまで探すのか。無理だな。守り符か何かならまだしも銀貨じゃ」
仮にオルフィの言っている子供が本当に犯人だったとしても、使われたらおしまいだ。ほかの銀貨と違う特徴があるでもないのなら。
シレキがそうしたことを言っているのは判った。
「気の毒だが諦めろ」
男は繰り返した。
「……一日だけ」
言ったのはカナトだった。
「ひと晩だけ、この橋の傍で宿泊してはどうでしょう。もしもオルフィの見た子供が常習の掏摸であるなら、同じ時間帯に『仕事』をするようなこともあるかもしれません」
「カナト」
オルフィはほっとして少年を見た。
「そうか、そういうことも有り得るな。有難う」
「いえ、実際に明日も現れるかは判りませんし」
「やれやれ。お前さんたちがそうするってんなら俺はかまわんがな」
「一日だけ、探してみる。それで駄目なら……」
諦める、とは言いたくなかった。オルフィは唇を噛む。
そのときだった。
「あっ」
「え?」
「いた! あいつだ!」
オルフィは指を差すのももどかしく、地面を蹴った。
「おいっ、お前!」
「へっ?」
子供は突進してくる人影に気づいて振り返り、はっとしたように逃げ出した。
「逃がすかっ」
これでもかとオルフィは速度を上げた。幸い、それほど人の多くない場所だ。彼でも人とぶつかることはなかったと言おうか、人の方で驚いたように避けた。
「待てえっ」
子供は建物を右に曲がった。追いかけて彼も曲がる。するとその向こうで左に曲がる影が見える。
(くそっ、すばしっこいな!)
彼も足なら速い方だ。子供の頃、遊び仲間たちとかけっこをすればいつも一位か二位だった。
(負けるか!)
荷運び仕事に就いてからは全力疾走など滅多にやらなかったが、首都でやらざるを得なかった複数回の逃走のおかげ――とはあまり言いたくないが――で勘は取り戻している。オルフィは次の角も走り抜け、標的に迫った。
子供は土地勘があると見えたものの、まだ追われているかと振り返り振り返り逃げていく。その動作が子供の速度を落とし、オルフィには幸い、ふたりの距離を縮めることとなった。
(おしっ、いまだ!)
彼はひときわ強く土を蹴って子供に飛びかかった。
「うりゃああっ」
「わわわっ」
それぞれ奇声を上げて、ふたりは地面に倒れ込んだ。
「いってぇ! 何すんだよ!」
「何すんだよじゃない! 返せ、俺の五十ラル銀貨!」
「なっ、何のことだよ」
「橋の上で俺とぶつかったときにすっただろ、判ってんだぞ!」
「ふざけんなっ、オレがそんなことするかよっ」
子供はオルフィの下で憤然と叫んだ。
「オレがやったって証拠はあんのか!?」
「しょ、証拠はないけど」
オルフィは言い淀んだ。
「でも、あんとき、お前」
「ないならどけよっ、コドモ押し倒して変態かお前っ」
「ちょ」
思いがけない糾弾に彼は慌てた。
「そういうんじゃ、なくてっ」
「ばか、どくな!」
追いついてきたシレキが背後から言った。
「へへっ、隙あり」
子供は橋の上で見せたにやり笑いをしてオルフィの下からすり抜けた。
「あっ、待て!」
「待つか、ばーか」
減らず口をたたいて子供は走り出そうとした。だがそうはさせじとオルフィは腕を伸ばした。
左腕を。
ぐんっと、まるで左腕が本来の長さより長くなったように感じた。だがそんなことはなかった。ただ彼は素早く踏み込んで子供を捕まえたというだけだ。
左手で。
「うわっ、くそっ」
「暴れるな!」
鋭くオルフィは警告した。
「――どうなっても、知らないぞ」
「な、なな、何だよ。こ、怖い声出しても怖くないからなっ」
「脅してる訳じゃない。抵抗されると俺がどうするか、俺でも判らないんだ」
「なにっ、何を訳の判らないこ」
「暴れるなってば!」
そう、彼は案じていた。またあの夜のように身体が動き出してしまったら。
(黒騎士に対抗したほどの力だ)
(こんな子供なんか、どうなっちゃうか)
脅していたのではない。彼は怖れていたのだ。
「大人しくしろ!……頼むから」
懇願するようにオルフィは言った。
「オルフィ、でかした」
シレキが息を切らせながらやってきた。カナトも続く。
「もう静かにして下さい、そうでないと」
少年はさっと子供の目に入るところに入った。
「どうなっても知りませんよ?」
それはオルフィと同じ台詞だったが、違う効果をもたらした。
「あ……」
カナトが持っていたのは、魔術師の短杖だった。はめ込まれた赤い石はぼんやりと光っている。カナトが効果的にしたのだろうとオルフィは気づき、子供は完全に硬直した。
「ま、ままま魔法使い……!」
「ええ、そうです」
少年はにっこりを笑みを浮かべた。
「大人しくしてくれないと、何があるか判りませんよ?」