03 おかしいじゃんか
有名な名を耳にした近くの旅人たちが少し振り向いたが、田舎者が調子のいい商人から何か騎士に関わる記念品でも買わされたのだろうとでも思うのか、失笑してすれ違うだけだった。
「どっ、どこに、どうしたんだろう」
もう一度、隠しに手を入れて確かめる。
この銀貨は取っておこうと決め、財布に入れることなく小袋にしまって上着の隠しに入れていた。
そのことは間違いない。そして、間違いなく、無い。
「落ち着いて下さい、オルフィ」
カナトはクートントでもなだめるかのようにオルフィの腕をさすった。
「五十ラルというのは?」
「俺っ、あの人から代金、釣り銭がなくて、五十ラル銀貨、取っとこうと思って、ああもう」
言いながら支離滅裂であることが自分でも判る。彼は黒髪がぐしゃぐしゃになるほど頭をかきむしった。
「大切な! お守りなんだ! 落としたのか、でもどこで。朝は絶対、あったんだ!」
「まあまあ、落ち着けと言ってるだろう」
シレキも動物をあやすようにオルフィの前に立つと両手の平を下に向けゆっくりと上下に動かした。
「財布は?」
「えっ?」
「この人混みだ、すられたんじゃないかって言ってるんだ」
「だ、大丈夫だ。財布はある。これは、気をつけてたし」
田舎ではそんな警戒は必要ないが、初めて首都を訪れるとき都会は怖いと言い聞かせられ、懐中にはくれぐれも用心するよう何度も何度も言われたものだ。おかげで財布は厳重にしまうようになった。使うときは少々不便だが、盗まれて失ってしまうよりはずっといい。
「カナトは?」
少年を振り返ってシレキが尋ねる。
「僕も大丈夫です」
こくりとカナトはうなずいた。
「そうか。そりゃよかった」
「よくない! 俺の、大事な」
「判った判った」
またしてもシレキは手を上下させる。
「落とした場所に心当たりはないのか?」
「落としたりするもんか。ここに入れてたんだ」
オルフィは右腰を叩いた。
「成程、深そうだな。うっかり落ちそうには思えない」
「落としたのでなければ、やはり」
「……すられた、のか?」
彼はますます血の気をなくした。
「くそっ、どこのどいつが!」
「だから落ち着けと」
どうどう、とシレキの態度は完全に調教師のようになった。
「橋のたもとに警備兵がいたな。戻って話を聞いてみるか」
「いいですね、そうしましょう」
「そうか」
ぽん、とオルフィは手を叩いた。
「常習ならここの兵士は知ってるかもしれない!」
「そういうこった」
「おっし、行こうっ」
焦ったオルフィは転びそうになりながら橋を駆け戻り――また何人かにぶつかった――警備兵の姿を求めてきょろきょろした。
(いた!)
ナイリアン中で共通している赤茶色の制帽を見つけると急ぎ走り寄る。
「あのっ、すんませ――」
「それでも公の警備隊か!」
びいん、と空気を伝って飛んできた怒声にオルフィはびっくりして足をとめた。
「膝元の管理もできず、ただ立っているだけか! 兵の誇りもないと見える!」
「この混雑だ、通る方も警戒をして当然だろう。それに何か勘違いしてるようだが、街道警備兵ってのは正規軍とは違うんだよ」
軍兵は国王に忠誠を誓い、国に仕えて俸禄を受け取る。彼らも街道を巡回するが、街道警備隊と言われるのは各街町でできた自警団の延長だ。
かつては町村の若者たちが担っていたであろう役割はいつしか街道警備専門の剣士を作り出した。彼らは正規の訓練を受けず、誓いを立てることもない。給金を受け取って仕事をするという意味では同じだが、その金は国からではなく、各街町から出ている。
多くは日給制であり、数日だけ仕事をして去っていくという者も珍しくない。言うなれば「寄せ集め」なのである。
だからこの警備兵の「兵の誇りなどなど持ち出されても筋違いだ」というのは彼の立場からするともっともだが、抗議をする側にしてみれば「公金をもらって仕事をしているのだから同じことだ」となり、これもまたもっともであった。
「どうしたんでしょうか」
「もしかしたらあの人も掏摸に遭ったのかな」
行ってみよう、とオルフィは進みかけた。だがシレキが彼の肩に手を置く。
「ちょっと待て。何だか様子が変だ」
男はあごをしゃくってその向こうを見るよう促した。
「え……あれ?」
人混みの向こうからいくつもの制帽がやってくるのが見える。早く進もうと焦っているかのようだ。見ていると、たどり着いた者のなかには制服のようなものを身につけている人物がいた。
「あれは隊長格だな」
「へえ?」
シレキが「隊長格」と言った男が、怒っていた男に何か話しかけた。それは対峙していた警備兵のようなぞんざいな感じではなく、腰を低くして謝罪しているように見えた。
「何だろう」
「抗議していたのは地位のある方だったんでしょうか」
カナトが推測した。一兵士は何も知らずに応対していたが、実は「お偉いさん」だと判って隊長が慌てているのだろうかということだ。
「そんなふうには見えないけど」
正直にオルフィは言った。
「だが、何か対応する風情だぞ」
隊長は振り返ると、ついてきていた兵士たちに指示をした。彼らはうなずいたり敬礼したりして命令を受け取り、ぱっと人混みに散った。たもとに待機していた兵士は目をぱちくりとさせ、それから彼も慌てたように走り出してしまう。
「あっ」
「ふむ。こりゃ連中は、あの男の被害にかかりきりだな。こっちの話なんか聞いてもらえなさそうだ」
「んな」
オルフィは口を開けた。
「そんなの、あるかよ。おし、俺、あの人に言う」
彼は隊長を指した。
「まあ待て、田舎者」
「あのなっ、馬鹿にすんなよな。あんたの言いたいことは判るよ、偉い人の要請があったら庶民の要望なんて後回しにされるに決まってるってことだろ。でもそんなのおかしいじゃんか」
「そりゃ正しいことだとは言わんさ。お前の意見はもっともだ。だがもっともなことがまかり通らないのが都会でな」
「田舎でだって、ない訳じゃないよ」
確かにあまり「偉い人」というのはいないが、相手を見て自分に都合よくなるように立ち回るのはあることだ。正しくはないかもしれないが、理解はできる。
「でも、言ったっていいだろ」
「よせよせ、睨まれて終わりだ」
「だいたい、いくら首都から離れたと言って、オルフィがのこのこと彼らの前に出向いていいんですか?」
「う」
カナトの鋭い指摘がきた。
「そうだったよな。お前が呑気なもんで俺も忘れそうだったが、兵士にぎゃあぎゃあ言うのはやめた方がいいだろう」
「で、でもさ」
「田舎者だって言ったのは謝るから、落ち着けと」
「――あっ!」
そこでオルフィは大声を出した。シレキは顔をしかめた。
「何だよ」
「『田舎もん』って」
「だから、謝ると言ってるだろう」
「そうじゃない! さっき」
『気ぃつけな、田舎もん』
不意に蘇った。先ほどの子供の声と姿と、そして。
「ああっ、あんときだ! あの、ガキ!」
「え?」
「さっき、ぶつかったんだよ。いや、何人にもぶつかったけど、あいつ」
何だか様子がおかしかったと、いまにすれば感じた。
「田舎もん、なんて怒ったように俺を罵倒したのににやっとして……こう、自分の隠しに手を入れて……」
あのとき子供の手には、五十ラル銀貨の入った小袋が握られていたのではないか。その思いは確信に変わった。
「カナト! おっさん! こんくらいの身長で、明るい青色の帽子をかぶった十歳過ぎくらいのガキを探してくれ! あいつが犯人だ!」