01 橋上市場
エクール湖に向かっていくと、北から南へ流れるバイネン川に行き当たることになる。
橋がかかっているのは少々南方であり、彼らは遠回りをしてそのディセイ大橋を目指した。
「ってことは、あの有名な橋上市場が見られるのか。こりゃいい」
ぱちんとシレキは指を弾いた。
「何だって? 橋上市場?」
「橋の上に市が立つんですか?」
南西部出身のふたりは目をぱちくりとさせた。
「そうか、さすがに南西部までは轟き渡っちゃいないか」
シレキは笑った。
「この辺じゃ、川を渡る手段が橋しかないも同然だからな。旅人が集中するだろ? そこに目を付けた奴が橋のたもとに露店を出したのがはじまりらしい。やがて我も我もと〈物真似草の真似試合〉みたいに商人たちが寄ってきて、橋の上にまで店を広げ出したんだと」
それがいつしか「橋上市場」と呼ばれるようになったらしい。
市場の存在が評判になれば、わざわざ大回りをして大橋までやってくる者も増えた。となればもともとの通行量よりも旅人は多くなり、ますます商人も集まってくる。〈木々が種を落とすのか、種が木々に育つのか〉と言うが、橋上市場はまさしくそうした調子で栄えていった。
一時期はあまりにも酷くてまともに通行もできない状態になってしまったが、近隣の商人組合が決まりを作ってどうにか整然とやれるようになったということだった。
「俺も詳しいことは知らないが、何とも公正にくじで場所を決めるんだそうだ。橋のたもとや真ん中当たりが狙い目で、途中は冷やかされることが多いんだとか」
「ふうん」
「商売も大変ですね」
「東西南北あちこちから商人がきてるから、いろいろ珍しいもんもあると聞くぞ。ちょいと覗いていくか?」
「そんな気分じゃないけどなあ」
オルフィは顔をしかめた。シレキはわははと笑って若者の肩を抱く。
「だからこそだ、若人よ。暗い気分だからと言って積極的に暗くなってることはない。前を見ろ、明るい明日はきっとくる」
「別に俺は落ち込んでる訳じゃないよ」
男の手を払ってオルフィは苦笑した。
「ただ、気になることばっかりでさ」
「気にしていたって解決はしない。そういうことを言ってんだ」
うんうん、とシレキはうなずいた。
あのあとオルフィは、思い切ってシレキに大方の話をした。ジョリスのことを除いてとなると、どうにも曖昧にしなければならない点も多かったのだが――たとえば籠手をどうやって手に入れたか、などだ――シレキは深く追及することなく聞き、予想以上にあっさりと受け入れて「なかなか大変だな」という簡単な感想だけを寄越した。
「どうにも掴めないおっさんだ」という思いは湧いたものの、少なくとも町憲兵に告げるなどと大騒ぎをされなかっただけでも充分だ。いや、そんな性格ではなさそうだと踏んだから話をしたのだが、それにしても反応が薄くて拍子抜けしたくらいである。
(調教師なんてやってると、人間社会のことはどうでもよくなるとか、あるんかな)
オルフィはそんなことも考えた。
「ちょっと見るくらいならいいんじゃないですか」
カナトも言った。
「そうだ、ナイリアールで見られなかったものを見たらいいじゃないですか」
「ナイリアールで見られなかったものって?」
若者が目をしばたたけば、少年はにっこりとした。
「ご婦人用の飾りものを探していたのでは?」
「あ」
「ほう?」
シレキが食いついた。
「何だ、オルフィ青年、隅に置けんな。恋人か。恋人への贈り物か」
「そっそんなんじゃねえよ」
「まさかお袋さんへの土産ってこともあるまい? まあ、それはそれで親孝行で結構だが」
「お袋はいないんだ」
オルフィは手を振った。
「俺は顔も知らない」
「そうか。そりゃすまなかった」
珍しくもシレキが素直に謝った。
「いや、別にかまわないよ。父さんは全然話してくんなくてさ、生きてるのか死んでるのかも判らないんだけど、村には育ての母さんみたいな人がいたし、寂しかったり悔しかったりってこともちっともないんだ」
上辺だけではなく本心だった。
「少なくとも父さんは元気だし、姉貴みたいな人もいるし……」
「ははあ」
シレキはそこで、またにやりとした。
「姉弟のように育ったふたり。しかし思春期を迎え、弟は姉に姉以上の感情を抱いていることに気づく訳だ」
「ばっばばば馬鹿言ってんじゃねえぞっ」
オルフィは顔を真っ赤にした。
「何だ。図星か」
冗談だったのに、とシレキはますますにやにやした。しくじった、とオルフィは額を押さえた。
「美人か? ん?」
「ええ、きれいな女性でしたよ」
と答えたのはカナトだ。
「カナトっ」
「お、知ってんのか」
「少しだけお話をしました」
「やめろって」
「いいじゃないか、減るもんじゃなし。俺様が相談に乗ってやるぞ、ん?」
「お断りだっ」
叫ぶように言ってオルフィはシレキと、それからカナトをもじろりと睨んだ。シレキは笑い、カナトは謝った。
「結構結構、恋せよ青少年! カナト少年の方はどうなんだ?」
攻撃先が変わった。オルフィはほっとしながら、興味を持って返答を待った。
(そう言えばカナトとそんな話は全然しなかったな)
「僕は一切ないですね」
案の定と言うのか、きっぱりと少年は答えた。
「身近にいた女性は導師くらいでしたし」
「なに? 女導師だと? 年上の女導師に手取り足取り……何とも羨ましい、いや、けしからんな」
「何を考えているんですか」
カナトは呆れ顔を見せた。
「ま、おっさんのことは放っておこうぜ」
苦笑を浮かべてオルフィは言った。シレキと一緒になってカナトをからかっても可哀想だ。と言うより、からかわれるような事実が本当になさそうな分、オルフィが標的になるより理不尽だとでも言おうか。
「そうしますか」
どう思ったにせよ、カナトも同意してうなずいた。
「おいおい、お前たち……」
若者たちが顔を見合わせてすたすた先に行けば、年上の男は顔をしかめた。
「判った判った、俺が悪かったから仲間外れにせんでくれ」
「だってさ。どうする? カナト」
「サクレン導師への侮辱は謝罪してもらいたいところです」
「する、する。するから」
この通り、とシレキは丁重に謝罪の仕草をした。
「仕方ありませんね。では一緒に行きましょう」
「はい、どうも有難うございマス」
そんなふうに、三人は何だかんだと仲良くなりながらバイネン川沿いを南下した。道中は何の問題も発生せず、ものの数日で彼らはディセイ大橋にたどり着く。
それは幅五ラクトはあろうかという広い橋で、普通なら――上に露店が陣取っていなければ――馬車も余裕ですれ違えそうだった。現状では難しいので街道警備兵が橋の向こうとこちらに待機し、手旗で合図しながら馬車が往生しないようにしているとのことだ。
もっとも馬車を利用する者でもそれは知っていて、露店が許可されている時間帯にはまず大橋を通ろうとしない。やってくるのは急ぎの者か何も知らない者だけだ。
「はいーはいよー、寄ってらっしゃい見てらっしゃい」
「美しい花の鉢植えはいかが?」
「熟練の職人が作った細工物だよ!」
「打ち身に切り傷、何にでもよく効く万能薬はどうだい? 腹痛や頭痛、歯痛にだって効くよ!」
「兄さん兄さん、ちょっと見といで。損はさせないから!」
「はー……」
オルフィは口を開けっぱなしだった。
「何つーか、すごいな」