12 滅亡するときは美しく
男は不快そうに眉をひそめた。
「何を笑っている?」
「そんなふうに刺々しくしなくても」
相手は肩をすくめた。
「君のことを馬鹿にしたんじゃなよ、リヤン」
「ふん」
リヤン・コルシェントは鼻を鳴らして、行儀悪くも卓上に座っている相手をじろりと睨んだ。
「昔のことを思い出していたんだ。この前、遊戯盤の話をしたことを覚えている?」
「私は指し手ではなく駒だという話か」
「はは、ご不満かな。でも仕方ない。君は人間だもの」
それは笑って手を振った。
「かつて、エズフェムという好敵手がいたよ。いい指し手だった。でも前回、思い切り負かしてしまってね。彼は哀れにも羽根をなくし、身をずたずたにして消滅してしまった。あれ以来、暇で暇で仕方ないんだ」
にっこりとニイロドスは言った。
「賭けるものじゃないよね、『持ちしもの全て』なんて」
「それは、忠告か?」
「どうだろうね?」
ニイロドスは肩をすくめ、コルシェントは口の端を上げた。
「何かをほのめかして上位に立ちたければそうするといい。嘲笑いたければ好きにしろ。町憲兵隊が盗っ人を捕捉しきれなかったのは、私の力が足りないせいだとな」
「へえ、そんなふうに思っているのかい」
「実際のところ、宮廷魔術師には町憲兵隊を指揮する権限などない。私は命令を下せず、要請を出しただけだ。もとより町憲兵という連中は魔術師協会を敵視している。『魔術師の要請』に積極的にならずとも当然だ」
街の治安を守るのは町憲兵隊だが、もしも咎人が魔術師であった場合、魔術師協会が手を出してくる。どんなに有能な町憲兵であっても相手が魔術師では危険であり、逃げられる可能性もぐんと高くなるからというのがその理由だが、町憲兵隊としては面白くない。協会は「代わりに捕縛する」ばかりではなく、そのまま咎人を自分たちの基準で裁いてしまうからだ。
普通の人間が魔術師を忌まわしいの不吉だのと思うのとは違う意味で、たいていの町憲兵は魔術師を嫌っていた。
「それを判っているのに『要請』を出した理由は?」
「連中がどの程度動くのか確認したかったこともある」
「成程ね。いままで君が町憲兵隊に直接『要請』したことはない」
「その通りだ。大して使えんと判っただけでも収穫」
「下手をすると負け惜しみに聞こえるところだけれど、君は冷静に判断して言っているようだね」
「負け惜しみだと思うのなら、そう思えばいい」
「思っていない、と言っているんだよリヤン」
くすくすと相手は笑う。
「『王家の宝が盗まれた』と言えば、町憲兵隊はもっと必死になったかもしれない。でも君はそう言わなかった」
「生憎と私の一存では外に洩らせぬ」
「祭司長が文句を言うから?」
「それもあろう。もとより――」
かすかにコルシェントは笑った。
「『王家の宝を盗んだ』という汚名をかぶる人物は決まっているということが大きい。事実でもあるがな」
「成程。そうだったね」
くすくすとニイロドスも笑う。
「積極的に促し、協力したのは君だけれど」
「それを知るのはジョリスのみだ」
「その通り」
ニイロドスは満足げだった。
「僕は君が好きだ。その地位にあればもう少し強引に行ってあっさり自滅しかねないところなのに、その際を越えないようよく観察しながら行動している。かと言って慎重すぎることもない。ぎりぎりの橋を渡って勝負することを躊躇わない」
「自滅が好きなのではなかったのか」
「ああ、大好きだね」
でも、とそれは続けた。
「いつも言っているだろう? 先走った結果の単純な破滅なんて、見ていても面白くないどころか醜悪だ。どうか、リヤン。君が滅亡するときは美しく頼むよ」
「ふん」
コルシェントは唇を歪めたが、特に異論を唱えるようなことはしなかった。
彼には野望があり、それを達成するまで破滅する気はなかったが、それでも彼は愚かではなかった。彼の企みは破滅と背中合わせであり、それはいつ何時牙を剥いて襲いかかってくるか判らない。そのことは重々承知していた。
だがいまのところ、多くは順調に行っている。
黒騎士は人々に恐怖を振りまき、ジョリス・オードナーは死んだ。予定が狂ったのは、ジョリスが籠手を名もなき若者などに託したことだ。そうでなければ黒騎士が籠手を手に入れ、首都から離れたところで封を解く算段ができたものを。
しかし、その問題も近いうちに片づくだろう。
何故なら――。
「〈黒の君〉が籠手の在処を掴んだようだね?」
ニイロドスは言った。
「何でもお見通しか」
葡萄酒の入った瓶を手に取ると、魔術師は目を細めた。
「もちろんさ」
悪びれず、ニイロドスは答えると薄茶の長い髪をかき上げた。
「〈白光の騎士〉と彼が描く紋様はとても美しかった。僕はああしたものが大好きだ。似たものが〈籠手の主〉と〈黒の君〉の間に生まれかけたけれど、まだまだだね」
「籠手の、主」
繰り返してコルシェントは渋面を作った。
「主だと言うのか。盗っ人の若造がアレスディアを従えたと」
「どうかな。アレスディアはかつての主アバスターと施術者ラバンネルの性質を内包している。彼を容易に信頼はしないだろうね」
「ふ、信頼ときたか」
「何だい? 人に作られしものが人を評価するなんておこがましいとでも?」
「そうは言わぬ」
魔術師は首を振った。
「『ニンゲン』とて作られしものだが、『創造主』を評価する」
言いながら彼は酒杯に赤い液体を注いだ。
「あはは」
「ニンゲン」の台詞にそれは笑った。
「いいね、リヤン! やっぱり僕は君が好きだ。破滅からはまだ遠くあってほしいな!」
「そうだな、まだ」
笑いも怒りもせず、コルシェントは淡々と返した。
「しかし、それにしても」
魔術師は眉根をひそめた。
「これだけ黒騎士の噂が広がれば、そろそろ何らかの反応があって然るべき。〈湖の民〉は何をしているのか」
「黒騎士の噂は〈はじまりの湖〉にも届いているだろう。ただ、ここも計算違いじゃなかったかな、リヤン」
ニイロドスは指を一本立てた。
「子供の背中に刻まれた紋様については、あまり知られていない」
「不穏すぎて口をつぐまれたからな。だが王からの指示があった時点でその報告はまとめ、各砦に警戒すべき情報として流したが」
「ふふ、君は自国の兵士たちを甘く見てるんだね。聖人のような騎士たちに憧れる彼らは、あまり下世話な行為を好まないんだよ。何と末端の兵士まで責任感を持って、安易に言いふらしたりしないという訳」
「ふん、騎士か。忌々しい」
コルシェントは手を振った。
「民たちの思う騎士像など幻想だ。奴らは不死身の英雄などではない」
「ジョリス・オードナーも、ハサレック・ディアも」
いなくなったふたりの騎士の名を挙げて、それはたまらぬように笑い出した。
「傑作だよ、リヤン。君はまさしく、不死身の英雄を作り上げようとしているところなのに!」
「そうかもしれんな。英雄など」
コルシェントは酒杯を掲げた。
「作ることができる」
「楽しみだね。その日が」
ニイロドスはくすくすと笑い続けた。
「ああ、とても楽しみだ!」
「だがその日がきたとて、終わりではない」
魔術師は静かに言った。
「その日こそがはじまりだ。そう、まだ何もはじまっていないも同然」
「賛成するよ」
両手を上げてそれは返した。
「『その日』にはじまるんだ。何もかも、ね」
「そのためにも早く、神子を捕まえておかねばならない」
「〈星読みの君〉には見つけられないのかな?」
「ピニアか。あれは目を閉ざそうと必死だ」
「おや? 彼女は君の術下にあるのではなかったの」
目をしばたたいてニイロドスは問うた。
「あるとも。私の裏切りを知りながら私の術に抑えられ、誰にも告げられぬ苦悶に襲われている」
魔術師はかすかに満足気な笑みを浮かべた。
「でも星を読ませることはできないと」
「仕方がない」
その問いかけ、或いは指摘に、笑みは消えた。
「〈星読み〉は、外からの強制で行わせることはできない。命じたところで、乱れた心では難しい」
「そうと知りながら、彼女の心を乱す行為を続けているね? ふふ、ここは少々意外だ、リヤン」
「それは」
コルシェントは口の端を上げた。
「覗き鸚哥のような真似をしている、との告白か」
「否定しないよ。人間の情事というのはとても面白いもの」
「……ふん」
「面白いよ」
ニイロドスは繰り返した。
「『最初』の意味はもちろん明瞭だ。君には彼女を魔術の契約で縛り、支配下に置こうという目的があった。だがいまにしてみれば、判るね。君の目的は口実に過ぎなかったんだと」
くすくすと、それは笑う。
「君が彼女を追いつめるやり方も、興味深い。あれは、いまだに〈白光の騎士〉に想いを抱く彼女への怒りかい?」
「黙れ」
コルシェントは表情を険しくした。
「彼女が君に傅くことはないだろう。君はそれを判っているから、彼女の誇りをとことん打ち砕く方法を考え出したのではないの」
「ええい、黙らんか。下らぬ、お喋りを」
自らの破滅をほのめかされても平然としていた男は、しかしこの話題に苛立ちをあらわにした。
「ふふ、この辺にしておこうか」
それはにっこりとした。
「君も人の子なんだとよく判る。だからこそ、僕は君が好きなんだけれどね」
「ふん」
魔術師は鼻を鳴らした。
「悪魔めが」
その言葉にニイロドスも笑った。
「無論、そうだとも」
(第2章へつづく)