11 悪い人ではない
「成程、確かに当人を知っているかのようにも取れますが、確たる根拠という感じはしませんね」
「そ、か」
今度はあまり同意されなかった。オルフィは頭をかいた。
「少なくとも、アバスターと籠手の関係を知っていることは間違いないでしょう。そして、黒騎士がオルフィと取り違えている誰か……ややこしいですね」
カナトは顔をしかめた。
「目印になる北のひとつ星から取って、仮に『ルサ』さんとしましょうか。黒騎士はルサさんがアレスディアを使うはずがないと考える根拠を持っている、とは言えそうです」
「ああ、そう、うん。俺も同じこと思ったんだ」
それで、と彼は続けた。
「そのルサさんを探してみるのはどうだろう」
「どういう意味です?」
「もしかしたらルサはアバスターと争っていたのかもしれないけど、黒騎士とも敵対してるんじゃないかってことさ」
「敵の敵は味方……とも、限りませんよ」
「うん、判ってる。でも黒騎士の正体が判るかもしれない」
「そうかもしれませんね」
でも、とカナトも続けた。
「黒騎士の正体を突き止めて、どうするんです?」
「え?」
「だって、そうでしょう。オルフィの望みは籠手を外すことだ」
「それは確かにそうさ。そのためにラバンネルを探そうとしてる。その手がかりだって消えちまったところなのに探し人を増やそうなんて馬鹿げてるかもしれないけど」
「……手がかりが消えたからこそ、という考え方もありますね」
少し考えてカナトは呟くように言った。
「どうせまだナイリアールや南西部に戻ることはできませんし、当てもなくさまよい歩くんだったら北東の〈はじまりの湖〉を目指すのだっていいかもしれません」
「そっか、そういう考え方もあるな」
自分の考えに強い動機をつけてもらったようで、オルフィは何だか安心した。
「ただ、黒騎士の言というのは気になりますね。彼の提示したことがこちらの有利になるとは考えづらい」
「確か、俺自身のことを知るなら、とかって言ったんだ」
オルフィは自信の胸を指しながら黒騎士の言葉を思い出した。
「エクールって〈はじまりの湖〉のことだよな? その神子を連れろって言われても、誰のことだか。だいたい湖の神子なら湖の近くにいるんじゃないか?」
「そう思えますけど、僕にもちょっと」
「あ、そうだよな」
カナトだって答えを知っているはずがない。オルフィは頭をかいた。
「誘導だとしてもさ、俺は『ルサ』じゃないんだ。道々、何か判ることもあるかもしれないし……」
「望み薄だとは思いますけど」
「う」
「でも、オルフィの気持ちが〈はじまりの湖〉に向いていることは判ります。『ルサ』さん探しも視野に入れながら、行ってみましょう」
「そ、か」
何だか見抜かれている。オルフィは照れ笑いのようなものを浮かべながら礼など言った。いえ、とカナトは手を振った。
「となると、シレキさんはどうしましょうか」
「籠手のことは話してもいいんじゃないかって考えてたところなんだ」
彼は言った。
「おっさんは変な人だけど手配書のことを知っても協力をしてくれてるし、昨夜だって」
シレキには話の前後がろくに判らなかったはずなのに、すぐさま詰め所に走ってくれた。今朝も少々嫌味は言われたが、シレキの立場からすればもっともな反応だ。いや、もっと激怒されたっておかしくないくらいである。
寝ぼけたの何のと言われたが、少なくともオルフィが意図的に嘘をついたとは考えていないようだ。
「確かに……。怪しい人ではあるけれど悪い人ではない、ということは同意できます」
「『あの人』のことはやっぱり言いづらいんだ。こればっかりは、おっさんが信頼できるとかできないとかじゃなくて」
「サクレン導師にも黙っていましたものね。僕の言葉はあのときと同じです」
カナトはこくりとうなずいた。
「オルフィの決めることだと思います」
「有難う、カナト」
ジョリスとの約束を破りたくない。ジョリスの名誉を守りたい。それは子供じみた考えかもしれない。だがオルフィには大事なことだった。
あの四つ辻での邂逅が、全てのはじまり。
箱の中身を探るなという約束を破ったオルフィは、こうして籠手を左手にはめ、まるでお尋ね者のように――或いは、そのものだろうか――首都から逃げている。
王城でレヴラール王子から耳にした、ジョリスの死。
もう二度とあの人に会えない。その哀しみがオルフィを頑なにさせた。
ジョリスのことは容易に人には話せない。もし彼の言動によってジョリスのことを誤解させてしまったら、ジョリスにはもうそれを挽回することはできないからだ。
「いまにして思えば、『あの人』がラバンネルを探していたのはアレスディアのことがあったからだ。『あの人』は箱を開けようとしていたんだよ」
「僕もそうだと思います」
少年は同意した。
「『あの人』が籠手の力を頼ろうとしたのかは判らない。そういうことじゃ、ないような気もするけど……」
考えながらオルフィは呟くように言う。
「それはオルフィがそう思いたくないというところじゃないんですか?」
「う」
確かに、彼はいまでもジョリスを最強の剣士と信じている。ジョリスが、籠手の不思議な力で黒騎士に勝とうとしていたとは思いたくないのかもしれない。
「もっとも、魔力に頼ることは悪徳でもなければ臆病でもないと思いますよ。黒騎士はオルフィの前に突然現れたり消えたりしているんでしょう?」
「ああ、そうなんだ」
「つまり黒騎士自身が魔力を持っているか、魔術師の助けがあるということですよね」
「あ……そうか」
「これまで思わなかったんですか?」
「いや、だって、何か幽霊じみててさ」
不意に現れたり消えたりするのがちっとも不思議ではなかったと、オルフィは言い訳になるようなならないようなことを言った。
「戦ったんだから、間違いなく生身なんだけどな」
「となると、魔術が関わると見ていいでしょう。それを『あの人』がご存知だったとしたら、正面から剣を合わせるのは危険だと判断してもおかしくない。むしろ、剣士としての自尊心を捨てても魔術に頼ることを決めたのなら、それは英断だと思います」
「成程……」
オルフィはカナトの洞察力に感心した。
「まあ、これだって推測ですよ。『あの人』が何を思っていたのかは判らない」
尋ねることもできない。もう。オルフィは黙った。
「ラバンネルにアバスター。過去の英雄たちの足跡が関わるのはアレスディアについてだけかと思いましたが、『ルサ』が本当にいるとすれば、その人物もまたアバスターや籠手に関わる」
「『ルサ』がアバスターやラバンネルの、いま現在の居場所を知っている可能性もある……?」
「可能性は、ありますね。どの程度の可能性かは判断しかねますが」
「おし、じゃ決まりだ」
オルフィは指を弾いた。
「北東へ進もう。黒騎士の言ったことだってのは確かにちょっと気になるけど、『ルサ』について知ることを目的に〈はじまりの湖〉エクールを目指しつつ、ラバンネルの情報を探す」
それからぐっと拳を握る。
「目に入った手がかりは、みんな追えばいい! 吟味するほど数はないんだし、迷って動かないより的外れでも動き回った方が別の手がかりを見つけられるはずだからな」
どこかすっきりした表情でオルフィはうなずいた。
やることが見つからないというのは不安だ。ここ数年、いつだって彼は忙しく立ち働いてきた。やるべきことはいつだって明瞭で、何をしていいのか判らないなどということはなかった。
たとえろくに手がかりと言えないかけらのようなものでも、関わりがあると思えば追いかける。そうしよう、とオルフィは決意した。
(おーし、エクール湖へ……)
「ん」
オルフィはぱっと顔を上げた。
「どうしたんですか?」
カナトが首をかしげる。
「あ、いや、何でもない」
(気のせいか)
風の音だったのだろう、とオルフィは考えた。
近くにほかに誰も、ひとりとしていなかった。
たったいま、かすかに聞こえたと思った笑い声は、気のせいに違いないと。