07 夜の塊
そうは言ったものの、自分は考えなくてはならない。
考えることにしたのだった。シレキのこと。それに、ささやかな手がかりの切れたラバンネルのこと。
(ああ、でも、何をどう考えりゃいいんだろう!?)
彼が頭を抱えたのは、夜にそっと宿から出て見つけた広場の、何やら名でもありそうな石像の足元にてであった。
(おっさんに、少し話す。その「少し」をどこまでかはっきりさせる)
オルフィは何とかとっかかりを見つけようと、既に決めていることから考えはじめた。
(ジョリス様のことは話さない。俺の容疑が「王家の宝」を盗んだことだってのは)
(話す、か)
罪の内容を隠したまま同行させるのは非道かもしれない。もちろんオルフィが同行させているのではなくシレキが勝手についてきているのだが、それでもあとになって「知っていればラバンネルはひとりで探した」などと言わせることになるより、告げてしまうべきだろう。
(それが籠手であることは?……ここはあんまり隠す意味がないかな)
彼はそっと左腕に触れた。
何故盗んだという誤解を正せないままでいるのか、外れないことを見せれば納得してもらえるかもしれない。
(いまでもおっさんは充分協力的だけど)
(俺の話をして、何ならおっさんにも協力してさ)
(おっさんの呪いが解けたらもっと力を貸してもらえるかも)
(……まあ、魔女がどうのって話が本当なら、だけど)
いささか調子のいいことも考えて、オルフィはひとつうなずいた。
「おし」
ぽんと膝を叩く。
「俺ももう、今夜は休んで――」
呟いて立ち上がったときだった。
彼はぎくりと身を固まらせた。
(誰か……いる?)
深夜の町を歩いている者などいなかった。ここは首都と違い、オルフィがよく知っている南西部のように、夜になったらさっさと寝てしまう人々ばかりのようだった。
だがたまたま深夜の散歩をしようとでも思った者がいたのか。
それとも。
「あ……」
オルフィの身体からすうっと血の気が引いた。
目の前にあったのは、闇だった。
まるでそれは夜の塊。
黒い、鎧の。
「な、なんで……」
あの夜、暗い街道で突然現れた恐怖。あの箱を――籠手を?――寄越せと言って、そしてどうしてか何もせずに去っていった黒き剣士。確かカナトは、タルーに託された魔除けが何か働いた可能性もあるというようなことを言っていた。だがいまはその魔除けもない。
黒騎士。
ナイリアン中で子供たちを殺して回っている、残虐非道な男。
そして――。
(ジョリス様の)
(仇!)
そうと気づくと、かっとなった。オルフィはぱっと飛びすさり、喧嘩を挑むかのようにかまえた。
敵うはずはない。ナイリアン一の剣士と謳われたジョリスがこの黒騎士に敗れたと言うのだ。剣があったところでどうしようもないだろうに、素手で立ち向かうなど狂気の沙汰だ。
だが、そんな当たり前のことを考えつきもしなかった。いや、考えついたからと言って退く気持ちにはならなかっただろう。
オルフィの胸から恐怖はひとかけらも残さず消えていた。
何故黒騎士がここにいるのか、そんな疑問が浮かぶことすらなかった。
あるのは怒り。
目の前が真っ赤になるような。
「てめえ……よくも」
彼は歯ぎしりをした。
「よくも、ジョリス様を!」
そのとき、彼は思いがけない動きをした。
彼の左腕が。
いや、彼の全身が。
一瞬で、オルフィは黒騎士の懐に飛び込んだ。左手は相手の右手を掴み、裏側に身を反転させて左足を相手の右足にかけた。もし相手が素人か、もう少し格下であったならそれは功を奏し、相手は背中から地面に叩きつけられたことだろう。
だがこれは「黒騎士」だった。
子供殺しの悪党と言われたその人物の力は、少し前まで判っていなかった。子供ばかり狙うのだから、実際にはろくに力のない卑小な者であると考える向きもあった。
しかしそうではなかった。
ナイリアン一の剣士を倒した――この男こそがいまやナイリアン一の力を持つ者なのかもしれない。
黒騎士は若者の素早い攻撃に動じることなく対応した。掴まれた手を振り切り、更に身を返してオルフィの胸を掌で突いた。
「ぐっ」
(息が)
痛みよりも感じたのは、息ができないということだった。完全に動きがとまる。もしもここで黒騎士が剣を抜き、彼の心臓をひと刺しにしようとしたなら、それは容易に叶ったことだろう。
しかし、黒騎士はそうしなかった。
その代わり力強い指でオルフィの首を捕らえた。
「うっ、くう……」
力が込められる。首が絞まっていくのが判る。
何か思う余裕もないまま、左腕が動いた。
左手は彼を苦しめる右腕を取った。防具が黒騎士の身体を固めているが、腕の部分はアレスディアのような固い材質ではなく、革のようなものだ。握って力比べをすることは可能だった。
顔を真っ赤にして、オルフィは戦った。少しずつ、黒騎士の指がオルフィの首から離れていく。
「それは……」
獄界の底から響くような、低い声。
「――アバスターの、籠手か」
答えてやる必要はない。オルフィは無言を保った。第一、そんな余裕はないというのもある。
「使えているのか。乗っ取ったのか」
「な」
(何だって? 乗っ取る?)
「まだ目覚めてはいないか。そうであろうな」
くっ――と笑うような声が兜の向こうから聞こえた。
(いったい)
(何の、話を)
がくん、とオルフィが前につんのめったのは、黒騎士が飛びのくように彼から離れたせいで均衡が崩れたためだ。
「っと……」
何とか倒れるようなことにはならずに済んだものの、すぐさま反撃とはいかなかった。
「この世で最もその籠手を持つ資格のない者がそうして身に帯びている……何とも皮肉なことだ」
「なっ、何だよそれは!」
確かに、自分はこの籠手に相応しくない。そんなことはよく判っているが、よりによってこの狼藉者から「この世で最も」とまで言われる筋合いはなかった。
「だが、これは面白そうだ。お前がアバスターの籠手を持つ、そのことがどのような影響を与えるか、もう少し見守るとしよう」