05 少しなら話しても
「ふーん、それじゃ切れないな」
意外にもと言うのか、シレキは納得してくれた。
「んじゃ、眼鏡でもかけてみるか」
「眼鏡だって?」
「雰囲気、変わるもんだぞ」
「あれって高いんだろ? そんな金はないよ」
アイーグの辺りでは眼鏡を必要とする者はあまりいない。だが話に聞いたことはあるし、首都でも見たことはあった。
「高いのは視力を矯正する『本物』さ。高度で特殊な技術を必要とするからな。だが格好だけなら大したことはない」
「でもそんな『格好』をしてたら却って目立たないか?」
それだけの銀貨を持っていると喧伝しているようなものではないかとオルフィは問うた。
「む、そうか」
シレキは両腕を組んだ。
「じゃあカナトに、魔術で化けさせてもらうとか」
「カナトに負担はかけられない」
これ以上、と内心でつけ加えた。
「何が負担だ。見つかって追いかけられる方が負担だろう」
「そ、それもそうかもしれないけど」
「あの坊ずなら他人にその手の術をかけるくらいできそうだしなあ。ま、俺が試してやってもいいんだが」
「遠慮する」
ついオルフィは即答した。シレキは口の端を上げた。
「それでいいさ。もし『お願いする』と言われても無理だろうからな」
「何だよそれは」
オルフィは苦笑した。
「できないことをさもできるように言うなよな」
「呪いが解ければ、できるんだ」
「まだ言ってんのか」
「本当なんだって」
「まあ、仮に本当だとしても、いまはできないだろ? やっぱりできないなら言うなよってことになるじゃん」
「だからいまだけだって……」
シレキはぶつぶつと言った。
「何だっけ、魔女の呪いだっけ」
オルフィはシレキを見上げた。
「魔女って本当にいんの?」
「もちろん、いるとも」
真剣にシレキはうなずいた。
「『女魔術師』を蔑視してそんなふうに言うこともあるけどな、俺が言うのはそうじゃない。本当の魔女ってのは、そりゃもうおっそろしいもんなんだ」
やはり芝居がかっている。尋ねて失敗だったかなと若者は思った。やってくる答えは判りきってもいたからだ。
「普段は、ごく普通の女だ。そう見える。だがな、ひとたび怒り狂うと」
「何で怒らせた訳」
ついつい、尋ねてしまった。
「聞いてくれるか、オルフィ青年。それはだな」
「あー、やっぱいいや」
どこまで本当か判らない話を聞いても仕方ない。オルフィは手を振った。
「何だ。尋ねたからには聞けよ」
「カナトに指摘してもらいながらの方がよさそうだ」
魔術に関してへんてこなことを言われても彼では判らない。カナトなら「それはおかしいです」ときっちり言ってくれるだろう。
「そうか。ようし。カナト坊が戻ってきてからだな」
シレキは何だか嬉しそうにした。何だかオルフィはカナトに悪いことをした気分になった。
「だが、お前が『化ける』話は少し真面目に考えた方がいいぞ。その腕だって目立つんだしな」
「あ、ああ」
いちばんの危惧だ。目立つという点もだが、実際にこれがいちばんの問題であるということ。
「骨折だって話だったな。まだ石膏は取れそうにないんだろう?」
「まあ、うん、そう」
「いったい何で骨なんか折ったんだ。荷車から落ちでもしたか」
「あんなところから落ちてそんな怪我するかよ」
「余程おかしな落ち方をしたら判らんだろう。だがそうじゃないなら、何だ」
「ええと」
オルフィは考えた。
「俺、故郷の方でいろんな手伝いをやっててさ。屋根の修繕を頼まれたんだ。そいで、そんときに足を滑らせて」
それっぽい理由を口にした。ふうん、とシレキは相槌を打つ。
「腕の骨で済んでよかったなあ」
「まあ、そうかもね。はは」
乾いた笑いが浮かぶ。
「そうそう、店だったな。一、二街区向こうに安くて美味い店があった。宿屋もやってたはずだ。たぶん潰れてないと思うが、確認してくるとしよう」
「ん、了解」
うなずいてシレキのあとを歩きながら、オルフィはそっと嘆息した。事情を隠した相手と一緒にいるのはいささか気疲れする。
(かと言って、話すのもなあ)
手配書が回っている重罪人であるということをあっさり聞き流したシレキのことだ、本当のことを話しても町憲兵隊に彼らを売ったりしないかもしれない。だがそれならそれで「巻き込むようでも悪い」という気持ちが浮かぶ。
(でもラバンネル探し……と言うか猫探しは、結構本気っぽいよなあ)
芝居がかって見せたりしているが、一種の照れ隠しなのではないかとも思えた。本気であれば、一緒に旅を続けることはお互いに便利だ。
(何だかんだと助言もらってるもんな)
(さすがにおっさん、年の功って言うか)
助かっているとはあまり言いたくないところもあるが、助言をもらっていることは認めざるを得ない。
(今夜にでもそっとカナトと相談しようか)
(いやいや、駄目だ)
(カナトに相談なんてしないで、自分で決めないと!)
と思ったのは、いみじくも先ほど言った「これ以上負担はかけられない」という理由でもあれば、ここ数日ほど彼にまとわりついてきた「年上としてこのままではいけない」という自尊心のような、負けん気のようなもののためだ。
(シレキのおっさんには、少しなら話してもいいような気がする)
(でもどこまで話すか、だよな)
ジョリスのことは――籠手を預かった話も、信じたくないその死についても――言う決意がつかないが、籠手そのものについてはどうだろうか。「王家の宝」だという話をするとしたらどんな面倒がありそうか。或いはその面倒を乗り越えても、シレキに話をすることにはどんな利点があるか。
迷いどころはあったが、こんなふうに思うということは既にオルフィ自身、シレキを信頼し出しているということになる。オルフィという若者は結局、人を疑うような性格でも育ちでもないのだ。
ほどなく彼らは無事、潰れていなかった宿にたどり着き、部屋と食事処の席を取った。シレキが疲れたとぼやくので、オルフィは彼をおいてカナトを協会に迎えに行くことにした。
(ううん、どうしたもんかなあ)
境界線を決めづらい。オルフィは悩みながらきた道を戻った。幸いにして複雑な道筋ではなく、考えごとをしながらでも迷うことはなかった。
しかし、協会まであと少しというところに彼がたどり着いたときだ。
「やあ、久しぶり」
「ん?」
オルフィはぱっと横を向いた。そこに立っていたのは、長い灰色の髪をした青年だった。一本の黒い羽根が飾られたつばの広いえんじ色の帽子、そして同じ色のマントがとても特徴的――を通り越して、とても目立つ。
「へ……」
ぽかんと彼が口を開けたのは、それが見覚えのない人物だったというだけではない。
(何だこいつ)
(男……だよな?)
少なくとも女には見えない。だが男と言うのも何だか違和感を覚えると言おうか抵抗があると言おうか、奇妙な感じがした。
その青年は同性の目から見ても美しいと形容できる姿形をしていた。
白っぽくも見える灰色の髪、紫がかった不思議な色の瞳、透き通るような白い肌。均整の取れた身体つきは、男にしては華奢とも言えたが貧弱すぎるほどでもない。
貴族のような帽子やひらひらした衣服は派手であったが、よく似合ってもいた。