04 自覚を持て
モアンの町はあとにしてきたマルッセと同じような町だった。どちらも首都に近く、旅人の通過点として宿場街だけは発展させたが、全体として大きくなることはないままの小さな町。
マルッセとの違いのひとつは、魔術師協会があることだ。
もっともそれは普通の人々には関係がない。魔術が必要とされることは滅多にない。もしも日常からは考えられない「不思議なこと」に悩まされたとしたら、人々はまず神殿を頼る。「魔術師など忌まわしい」という偏見を持たず、かつ冷静に公正に魔術の力を借りることが適切だと考えられる人間はごくひと握りしかいないものだ。
小さな町であれば魔術師そのものもあまり住んでいない。魔力を隠しているということもあるだろうが、そうであれば協会には赴かない。
となればモアンの協会は小さかった。首都ナイリアールの大きな建物しか知らないオルフィは少し驚いた。
「なあ、おい」
建物の前で、彼はそっとカナトに声をかけた。
「大丈夫なのか? こんな小さなとこで」
「え? ああ、もちろん大丈夫ですよ。と言いますか、大体」
少年魔術師は苦笑した。
「ここしかないんですから」
「そっか」
オルフィは頭をかいた。
「じゃあ、行ってきますね。オルフィとシレキさんは休んでいて下さい」
「おいおい、俺も行くよ」
若者は手を上げた。
「カナトに働かせて休んでる訳にはいかないさ」
「でも、オルフィがきても何にもなりません」
目をぱちくりとさせてカナトははっきりと言った。う、とオルフィは詰まった。
「できる人間ができることをやるだけですから、何も気にしないで下さい。いい宿や食事処を見つけておいてもらえると嬉しいです」
「ん、判った」
非常にもっともな台詞を吐かれた上、なだめられた気分だ。
(兄貴分どころか、子供扱いされてないか?)
(ううん、いかんいかん)
少年の兄貴分たろうというのはオルフィが勝手に決めたことで、カナトの方では別に彼を兄のように思ってなどいないのだろう。いや、初めはそんな気持ちがあったとしても、段々「オルフィは頼りないから自分がもっとしっかりしなければ」とでも思うように――。
(いかんいかん)
オルフィは首を振った。
(そういう考えが、いかん)
意味もなく卑屈になってどうする。オルフィは姿勢を正した。
「……何だよ」
そこでシレキがにやにやして彼を見ていることに気づく。
「判りやすいやっちゃな、と思ってな」
「何だって?」
「カナト少年に負けちゃいられん、と思ったろ?」
「んなこと思ってないね」
「嘘をつくなよ」
「本当さ。近いっちゃ近いけど、違うったら違う」
しかめ面でオルフィは言い張った。実際、シレキの言うことは的外れだ。少しだけだが。
「おっさん、ここにもきたことあるんだろ? いい店、教えろよ」
「何だ。他力本願か」
「知ってる奴が一緒にいるのに、知らないふりして探し回る方がおかしいだろ」
「まあそれもそうだ」
シレキもそれ以上若者をからかわず、思い出そうとするように周囲を見回した。
「そうだなあ、店ならいくつか心当たりが」
「ん?」
言いかけたシレキから視線を逸らして、ふっとオルフィは振り向いた。シレキは笑う。
「わはは、カナトと離れるのが心配か」
「違うってば」
カナトは年齢こそ未成年だが立派な大人同然だ。魔術師の陣地にいるのだから――魔術師を疑うのでなければ――危険なことはない。もちろんオルフィがカナトと離れて心細いと言うのでもない。
「いま、誰かに見られてたような気がして」
そこに立っていた誰かが通り過ぎるオルフィをじっと見つめていたように思えたのだ。数歩過ぎてからその感覚が彼の頭に伝わり、ぱっと振り向かせた。
だが。
「別に誰もいないな。勘違いか」
無造作に積まれた木箱や壁の模様を人影に錯覚したのだろう。オルフィはそう思った。夕暮れの街道を移動しているとよくあることだ。はじめはすわ幽霊かとおののいていたが、自分の勘違いだと判ると苦笑してしまったものだ。
「案外繊細なんだな」
シレキは目をぱちぱちとさせた。
「まあ過敏になっても当然か」
「繊細? 過敏?」
オルフィも目をしばたたく。
「何でそんなこと」
「……お前、追われてるんだろ?」
「あ、そうか」
忘れていた訳ではないが――いや、忘れていたのだろうか。
「訂正。どこも過敏じゃない」
唇を歪めてシレキは手を振った。
「だって街道じゃそんな気配もなかったし、ひたすらびくびくしてたって意味ないし」
彼は言い訳した。
「それにここまでは手配書も回ってないかもしれないし」
「なに。手配書だと」
「え」
「それじゃお前ら、マルッセの町憲兵たちが言ってた手配書云々っていうのはまじだったのか」
「あ」
しまった、とオルフィは思った。
手配書が回るなどというのは余程の重罪人だ。シレキはそれを把握していると思ったのだが、そうではなくマルッセの町憲兵の勘違いだと思っていたのか。
「いや、それは」
慌ててオルフィは言い訳を重ねようとしたが、巧い言葉が全く思い浮かばなかった。
もとより、そう、王家の宝が彼の腕にあるのは事実なのだ。
それを思えばどんな弁解をするのも虚しい。
「……判ったら、同行はもうやめたらいいんじゃないかな。できれば、しばらくは口をつぐんでもらえると有難いけど」
代わりにそんなことを言った。おかしな男だが悪人ではないし、短い旅路は楽しくもあった。だから「分かれられてせいせいする」と言うよりは残念な気持ちが大きい。
しかし、仕方がないだろうと――。
「阿呆。それならそれで、お前、もっと自覚を持て」
「あ?」
オルフィは口を開けた。
「自覚って何の」
「追われてる自覚だよ。手配書が回ってるんなら、ちったあ見た目を変える努力をするとかだな」
「クートントを預けたのは、そのためだよ」
「いや、それも悪くないがな、それだけじゃ足りない。たとえば、これ!」
にゅっとシレキの手が伸びた。
「あいたっ、引っ張るなよっ」
うしろに結んだ頭髪をぐいっと引っ張られたオルフィは抗議をした。
「これだよ」
シレキは繰り返した。
「切ることくらい考えんのか? だいぶ印象が変わるはずだぞ」
「嫌なこった」
男の手をはねのけて、オルフィは舌を出した。
「女みたいに伸ばしやがって。何なんだ? 願掛けか?」
「う、うん、まあ、そんなとこだ」
(オルフィの髪、好きよ)
(長くしたらきっときれいね)
そんなことを言った当の「姉」は、おそらくもう自分の言葉など覚えていないだろう。だがこの髪を短くしてしまうのはリチェリンへの思慕を切ってしまうかのようで。
(一種の願掛けっていうのは、嘘じゃないかもしれないな)
何も「想いが叶うように」などという乙女のような祈りではないが、彼の――彼にしか判らない――気持ちの表れだ。