01 それほど強くない
占い師の館は、ひっそりと静まっていた。
普段もそれほど賑やかしいということはないのだが、それでも評判の占い師ピニアに未来を視てもらおうとやってくる者や、「誰のものだかは知らないがきれいな館だ」と足をとめる者は少なくない。
だがいつも朝には開かれているはずの扉は閉ざされたまま、客人を拒んでいた。思い切って戸を叩いた者は、占い師が病の精霊に憑かれ、しばらく休むということを聞かされた。ほどなくそれは街の噂となるだろう。占い師が怖ろしい未来を視たために伏せっているのだというような尾ひれもつくことだろう。
もっともその日ピニアの館を訪れたのは、いち早く知った情報を言いふらしたり、したり顔で噂をしたり、というような者ばかりでもなかった。
「病だと?」
そう聞けばほとんどの――彼以外の人間はみな見舞いの言葉を述べて立ち去ったが、彼だけはそうではなかった。
「それでもかまわん。通してもらおう」
「い、いえ、セル、その……」
「かまう」のはピニア側であって客人側ではない。応対した使用人は、しかしそのように強く告げることができなかった。
「ジョリス・オードナーのことで話があると言えば、病の床にあっても彼女は応じると思うが」
「〈白光の騎士〉様の」
使用人は戸惑った。
「失礼ですが、あなた様は」
「ヒューデア・クロセニー」
白銀髪の剣士は名乗った。
「ここの女主人とは以前から知己だ。とは言え、無理に押し通ろうとは思わん。確認をしてくるのだな」
それから五分後、ヒューデアはピニアの館に通された。雰囲気が整えられた占いのための部屋ではなく、明るい陽射しの入る二階の一室に案内された彼は、椅子に座って占い師当人か次の案内を待った。
やがてピニアが姿を見せたが、彼が思っていたよりその登場は早かった。そう感じたヒューデアは片眉を上げる。
「伏せっていたのではないのか?」
占い師は、仕事のときのように仰々しい格好こそしていなかったが、休んでいたにしてはきちんとした服装をしていた。支度をしてやってきたにしては、時間が短かった。
「……他人様の星を視るにはつらいというだけで、横になっていなければならないようなことはないのです」
向かいに腰かけたピニアは返事をしたが、ヒューデアは顔をしかめた。
「酷い声だな」
「……少し、のどをやられたようです。お休みをいただいたのは、そのせいもありまして」
「成程。星を読む声が嗄れていては、台無しという訳か」
「……ええ」
目を伏せたまま彼女は言った。
「もしや」
ヒューデアはじっと彼女を見た。
「知っているのか」
「……はい」
「何を」と問うことはせず、ピニアはただ答えた。
「そう、か」
「何故」とヒューデアも問わなかった。星読みの力を持つ占い師であれば、さもあろうと。それ故の不調であろうと。
「ジョリスのことを告げにきたのだが、不要だったか」
「いえ」
ピニアは首を振った。
「有難う、ございます」
「礼を言われるようなことではない」
ヒューデアは首を振った。
「俺とて親切心や善意でやってきた訳ではない。俺は、誰かと……」
彼は少し目を伏せた。
「誰かとこの喪失を分かち合いたくて、ここへきた」
彼らは親密と言うほどの間柄ではなかった。ヒューデアが先ほどピニアと知己だと言ったのは嘘ではないが、「顔見知り」程度だ。ジョリスが騎士として彼女を送り迎えしていたときに少し行き合って話したことがあるくらいなのだが、それだけでも充分、判ることはあった。
「ヒューデア殿……」
「彼から手紙を受け取った」
ぽつ、ぽつとヒューデアは話した。
「黒騎士に近くあると。支度が調っていなくとも、相対すれば戦うことになるだろうと。戻ったら話したいことがある、コズディム神殿にやってきてくれと」
そして、と青年はまるで懺悔でもするようにうつむきながら続けた。
手紙にはほかにも書かれていた。はっきり「アバスターの籠手」とは書かれていなかったが、ほのめかされたことだけでキエヴの若者には充分だった。
キエヴの長がかつて口にした言葉。
「昔の星が蘇るとき、この国は大きく揺らぐ。崩壊をとめるには閃光が目覚めなければならない」。
ジョリスがキエヴの集落でそれを耳にしたとき、すぐに〈閃光〉アレスディアと結びつけたかどうかは判らない。だが彼は心に留めていた。そして、ピニアの言葉を聞いて箱の解封が必要であることを信じた。咎人と処されても、やるべきことがあると。
ジョリスはその道を取った。
そして、戻ってこなかった。
「手紙の最後には、こうあった。もしも自分が戻らなければ……これまでに話したことを思い出し、どうか俺自身の道を見つけてほしい、などと」
まるで遺言だった。ヒューデアは手紙にあったチェイデ村に向かうことも考えたが、そのときから馬を走らせたところで間に合うとは思えず、ナイリアールへとやってくることにした。キエヴの長から受け取った言葉もある。何としてもジョリスに伝えなければならなかった。
だが、不吉な予感を振り払おうと出向いた神殿で、予感そのままの話を知らされた。
「アミツの姿を見る者と言われ、優れた剣士と言われても、俺はそれほど強くない。俺はジョリスのように……なりたかったのに」
「――気に病まないで」
静かにピニアは言った。
「あなたの前に続く道は、必ずや、あなたを望む場所に連れて行くでしょう。北の民としての誇りも、敬愛する騎士への思いも、損なわれることの……ないままで」
「ピニア殿」
「思うままに、行きなさい。それがたとえ茨の道であっても。あなたの手を必要とする者がいます。どうか彼を……助けて」