12 幸せだったんだ
「大丈夫です」
カナトは言った。
「連絡なんてしなくても、お師匠は判ってくれている気がします」
「あっ、ずりいな。それでいいなら俺の父さんだって」
「お前らな、それはさぼりだ、さぼり」
顔をしかめてシレキは言ったが、ふたりは無視して「自分は問題ない」を繰り返していた。呆れたようにシレキは、少し先を歩いた。
「おい、そこのふたり」
不意に声がかかり、自分たちかとオルフィは振り向いた。
「げっ」
そこにいたのは町憲兵の制服を身につけたふたり組であった。
(やばいっ)
『オルフィ、落ち着いて!』
カナトの声がきた。
『ここは逃げちゃ駄目です。まだ疑われているかも判らないのに、逃げたら却って追われる!』
「ん……」
少年の言うことはもっともだ。ナイリアールで逃げられたのは町憲兵たちがろくに警戒していなかったせいであったが、もし首都から手配書が回ってきたのであれば、おろそかにはするまい。
(もちろん「犯人」じゃないが!)
(そう思われたままだってのは、事実だからな……)
違うからと言い張っても町憲兵たちには通じない。誤解だと説いても無駄だし、籠手のことがあれば、はなから胸を張って誤解だとも言えない状況だ。
「どこからきた? 名は」
「えっ、そ、その」
とっさにさらりと嘘がつけるほどすれてはいない。オルフィは焦った。
「何だい、町憲兵の旦那。こいつらは俺の親戚のガキどもだが、俺が目を離した隙にどっかの壁に落書きでもしたかね?」
シレキが振り返り、驚いたように目をしばたたきながら町憲兵に言った。
「首都から回ってきた手配書の少年たちによく似ている」
オルフィはぎくりとした。
「そりゃ誤解だ」
シレキはあっさりと言った。
「こいつらは南からきた、俺の甥っ子たちさ。こっちはクーで、こっちはトント」
ふたり揃って驢馬にされたが、苦情を言うところでも笑うところでもない。オルフィとカナトはこくこくとうなずいた。
「ふん?」
疑うように町憲兵は三人をじろじろと見た。
「勘弁してくれよ旦那。俺が一緒にいたのに疑われたなんて知られたら、兄貴に顔向けできん」
そう言いながらシレキはぎゅっと町憲兵の手を握った。
「む」
「そっちの旦那も。あんたら、物わかりの悪い人たちじゃないはずだ」
うんうんとシレキはうなずいた。
「まあ、親戚だと言うならいいだろう。だいたい、首都から手配書が回ってくるような人物がこんな昼日中、町をうろうろしてるはずもない」
「だろう?」
「もう少し巡回して戻るとするか」
「お役目ご苦労さん」
にこにことシレキは手を振り、町憲兵たちは去った。ほうっとオルフィは息を吐いた。
「で」
同じ笑顔のまま、シレキはオルフィを振り返った。
「そろそろ言いなさい。君たちは何をやらかしたんだね?」
「な、何も……」
妙な迫力に気圧されながらも、オルフィはふるふると首を振った。
「そうか。では」
くるりと男はまた後ろを向くとすうっと息を吸った。
「おおい、町憲兵の旦」
「わあっ、よせっ」
オルフィが慌てれば、シレキは再び彼を振り向き、にやりとした。
「聞かせろよ。手を貸してやるって言ってんだろ。いまの袖の下の分だって、請求したりせんぞ」
「……あんたのことはまだ信用できない」
成程、町憲兵に金を握らせていたのかとようやく理解はできたが、礼を言うよりはやはり何故そこまでという気持ちになる。
「ふうん?」
シレキは片眉を上げた。
「まだ」
「そう。まだ、だ」
「ほう?」
「言っておくが、いずれ信頼するって前提じゃないぞ」
じろりとオルフィはシレキを睨んだ。シレキはにやにやした。
「うんうん。そうだろうとも。よし、それでいい」
「オルフィ……」
カナトは心配そうに友人と、それから父親ほどの男を交互に眺めた。
「何だ何だ、兄ちゃんの決定に不服か、カナト坊ず?」
「不服とは言いません。ただ心配です。あなたの目的が判らない以上は」
「ラバンネル術師を探すことだ。お前らと同じ」
「呪いを解くためということでしたね。ですがそれが本当なら、何故ラバンネルのふりをしたのか」
「それは猫の話をしただろう」
「あなたにとって猫は、自分の呪いを解くよりも大切なことだったのですか? 僕らの術師探しに便乗しようと言うのであれば、術師を名乗るのはおかしい」
「そうだよ」
「はっ?」
シレキが何を認めたのか判らず、カナトは目をしばたたいた。
「おお、麗しのマズリール……あの娘が戻ってくるなら、呪いなんて解けなくてもいいんだ」
芝居がかってシレキは言った。
「……はあ」
「聞いてくれカナト。俺は幸せだったんだよ。あの高貴なるマズリールとふたり、ゆっくりとした時間を過ごしていられたなら、それで」
「あの、ええと、そういうこともあるかもしれませんが」
カナトは曖昧に言った。
「でも、おかしいです。それだけマズリール嬢が大事なら、今度は何故呪いを解くのだと?」
「嬢」ときた、とオルフィは乾いた笑いを浮かべた。
「そりゃお前、当たり前じゃないか」
男は唇を歪めた。
「験を担ぐくらいじゃ駄目だと判ったのさ。呪いを解いて魔力を取り戻して、それから俺の力でマズリールを探すんだ」
「……猫探しが目的ではない、と言いませんでしたっけ?」
「ラバンネル術師に探してもらうのは目的じゃない、と言ったんだ」
それがシレキの言だった。
「筋は通って……いるのでしょうか……?」
「俺に訊くなよ」
カナトが顔を向けてきたので、オルフィは息を吐いた。
「正直、俺も判らないよ。このおっさんがどこまで何を本気で口にしてるのか」
「俺は何もかも本気で口にしてるぞ」
「ただ、結局は助かってるなってことをちょっと思ったんだ」
間に挟まれたシレキの一言を無視して、オルフィはあくまでもカナトに話した。
「クートントのことも、ヤクタス爺さんのことも、さっきの町憲兵のこともさ」
「確かに、それはそうです。僕もそのことは思っていました」
「そうだろうそうだろう」
うんうん、とシレキはうなずく。
「だから様子を見るってことでどうだ?」
「オルフィが決めたなら、それでいいです」
「『不服』なんじゃないのか?」
「もう。オルフィまで」
カナトは顔をしかめた。
「はは、悪い悪い。でも頼むぜ」
「え?」
「俺の考えがおかしいと思ったら、いまみたいにばしばし言ってくれ。これからも」
頼むな、とオルフィは繰り返した。カナトは目をしばたたいて、それからこくりとうなずいた。
「はい」
「おいおい、お前ら」
シレキはしかめ面を見せた。
「俺の目の前で、俺が怪しかったらどうとか相談をするんじゃない」
「影でやるよりいいだろ?」
にやりとしてオルフィは言ってみせた。ううむ、とシレキはうなった。
(第3話「裏切りの騎士」第1章へつづく)