10 験担ぎ
「そうなのか? じゃが普通にしとったぞ。特に隠れているというような様子はなかったのう」
「別に彼も追われていた訳ではありません。言うなれば『三十年前よりこっち、国中に響き渡るような目立つ真似をしていない』ということでして、つまりは名が売れすぎたので表立たないようにしたのだと思うのですが」
「そう言や、協会を利用しなければ協会には判らないとか言ってたな」
先ほどの話を思い出してオルフィが言えばカナトはうなずいた。
「ええ、町なかで魔術を使えば協会はそれを知りますので、先ほど言ったように記録があるはずです」
「ん? 協会を利用しなくてもか?」
少し判らなくなってオルフィは確認した。
「はい。攻撃的なものでなければ問題にはされませんが、記録はされるんです」
「へえ」
それがすごいことなのかどうか、オルフィにはよく判らなかった。
「じゃあ協会に行けば確認できるのか。あっ、爺さんの話を疑ってる訳じゃないけど!」
はっとしてオルフィは慌てながら言った。老人は笑った。
「気にするでない。お前さんたちは彼を探しているんじゃろう。わしは思い出話しかできんが、それが何か役に立つのならそれでええ」
「有難うございます」
「本当に、助かった」
ふたりは揃って礼を言った。
「何の何の。若い連中に話をする機会なんぞそうそうないものでな、何か目的があるんであれ、真剣な顔で聞いてもらえりゃ年寄りは嬉しいもんじゃ」
にこにこと笑ってヤクタスは言い、ほかにも何か聞きたいことはないかと言ってきた。彼らはラバンネルについてもっと詳しく聞きたがったが、ヤクタスもそれ以上知っていることはないようだった。
彼らはもう一度礼を言い、部屋をあとにしようとして――そこであっと小さく声を上げた。
「シレキ、さん」
「あんた、いたのか」
男はいつの間にか部屋に入ってきており、壁にもたれて彼らの話を聞いていたようだった。
「黙って入ってくるとは、やはり礼儀知らずじゃの」
ぶつぶつとヤクタスが呟いた。
「ラバンネルの話を聞いて、次の詐欺に役立てようってのか?」
思わずオルフィはそんなふうに言った。
「別に金を巻き上げた訳じゃないだろ」
シレキは肩をすくめた。
「困ってるなら協力してやるつもりだっただけだ」
「それはラバンネルを名乗った理由にならないと思うがね」
オルフィは指摘した。
「どうして嘘をついたんですか?」
カナトが尋ねる。
「そうじゃ、シレキ。どうしてそんな嘘をついた」
ヤクタス老人も一緒に問うた。
「わしが声をかけなかったら、お前さんはラバンネルのふりをしたまま、彼らをどうしようとしたんじゃ」
「おいおい、誤解だ、爺さん。俺は何も、おかしな企みなんか」
「それなら何故じゃ」
厳しくヤクタスは追及した。
「お前はちょっとしたお調子者ではあるが、旅人を騙して楽しむような男ではなかろうに」
「それは、そこの、坊やが」
シレキはオルフィを見た。
「俺のことか?」
オルフィは自分を指した。
「俺が、何だってんだ」
「さっき言ったろ。お前に運命を感じたって言うのは嘘じゃないんだ」
「ちょ、ちょっと待て」
彼は両手を上げた。
「おっさん、クジナ趣味の話してる?」
「ばっ、馬鹿言うんじゃない」
「最初に確認しとかないとな」
息を吐いてオルフィは呟いた。ラスピーのことをつい思い出したのだ。
「お前からラバンネル術師の名が出るっていうのがどうにも気にかかった。それに俺自身、ラバンネル術師がいま現在どうしているのかは知りたいと思ってるんだ。お前たちに同行すれば何か判ることもあるかと」
「それならそう言えばいいじゃないか」
やはりラバンネルを騙る理由にはならない。オルフィは納得できず、首を振った。
「なあ、何でだ?」
改めて彼はじっとシレキを見た。
男はこれまで浮かべていたにやにや笑いを消して、真剣な顔をしていた。いや、どちらかと言うならば「困った顔」だろうか。何かに迷っているような。
「前に……これで巧くいったんだ」
「あ?」
「ラバンネル術師の名を使うことで巧く片づいたことがあった。まあ、何と言うか、験担ぎみたいな」
「あっ、あのな!」
験担ぎで人の名を騙る奴がどこにいる、とオルフィは呆れた。
「俺にとってラバンネル術師の名前っていうのはお守りみたいなもんなんだ」
かすかにシレキは口の端を上げた。
「まあ、悪かったよ」
「そう素直に謝られると、こっちも困るけどさ」
意外な反応に出会ってオルフィももごもごと言った。
「まーだ何か隠しちょるな」
ヤクタスはじろじろとシレキを見た。
「どうなんじゃ。この人たちに迷惑をかけたお詫びに、みんな話さんかい」
「いや、そんなに迷惑は」
少々困ったと言う程度でもある。
「むしろ、助かったこともあるんだし」
クートントのことを大まかに説明した。
「ふむ。それはよいことじゃ。だが交換条件というのはいただけんの。その驢馬については約束通りにするんじゃぞ」
「それは無論、そのつもりだ」
こくりとシレキはうなずいた。
「おっさん、案外いい人だな」
思わずオルフィが言えばシレキは眉をひそめた。
「何が『案外』だ。俺はいい人だぞー」
「シレキ!」
ヤクタスの叱責が飛んだ。シレキは首をすくめた。
「売るようなことではない恩を売りおって。早く隠しごとを話さんかい!」
「じ……実は……」
シレキは顔を伏せた。
「マズリールが、いなくなった」
「誰だって?」
聞き返してオルフィはヤクタスをちらりと見たが老人も知らぬ名と見えて首を傾げていた。
「どこの女だ?」
胡乱そうに老人は尋ねる。
「彼女は、とても高貴で」
ぼそぼそとシレキは言う。
「宝石のような青い瞳が冷たく俺を見るだけでぞくぞくする。声は時に涼やかに、時になまめかしい。その姿は何をしていても美しく、一度見てしまうと目を離すことが困難だ。たとえ踏みつけられて蔑まれても、俺は彼女にひれ伏し、言うままになるだろう」
聞いている方が赤面しそうだった。オルフィとカナトは所在なげに身を動かした。
「そんな美女の話はとんと聞いたことがないがの」
ヤクタスは目をしばたたいた。
「以前巧くいったと言うのは、ジラングのときだった」
「誰」
「黄色い瞳が神秘的だった。月のない夜のように艶やかな黒の毛並み、心の波立ちをかすかに表して揺れる尻尾……」
「ん?」
「俺はジラングを探して〈導きの丘〉に行ったんだ。そこで拾った猫だったからな」
シレキはあくまでも真剣な顔で言った。オルフィはがくりとし、ヤクタスは何じゃと呟いた。
「そのとき、お前たちみたいに大導師ラバンネルを探して丘にやってきた奴らがいてな」
「騙したのか」
「いやいや。向こうが勝手に誤解した。……そんな顔するな。本当だ」
シレキ曰く、猫を探すために魔術を使っているところを見られて勘違いされ、驚いて否定したのだそうだ。もっとも、その男たちが求めていた魔術は協会に依頼すればどうにかなるようなことだったので、シレキは隣町の協会まで案内してやったとのことだった。
「そうしたら! 何と!」
ばん、と男は壁を叩いた。
「ジラングがいたんだ。隣町にな!」
「はあ」
それでシレキは「ラバンネルと間違われることは験がいい」と思うようになったのだとか。
「どうだ、爺さん。納得したか?」
「あまり納得はできんな」
ヤクタスは容赦なく言った。
「お前さんの気持ちは判ったが」
老人の感性としては「嘘をついた理由は猫である」というのは納得いかないが、シレキが本気なのは判った、という意味であるらしい。
「もう他人様に迷惑をかけるでないぞ」
「はい、はい。悪かったって」
シレキは苦笑いを浮かべて手を振った。
そうして彼らはヤクタス老人に挨拶し、部屋を出て階段を下りた。
「しかし」
オルフィはちらりとシレキを見た。
「あんた、ラバンネル術師を探したいとも言ったよな。それは何でだ?」
「それは……」
シレキは躊躇った。
「まさか、猫を探すためですか?」
思わずという調子でカナトが言った。
「まさか」
それは違う、とシレキは手を振った。
「さっき呪いの話をしただろう。あれは本当なんだ」
「何だって?」
「信じてもらえないのも無理はないだろう。だが俺には本当に呪いがかかっていて、ラバンネル術師じゃなければ解けないんだ」
「それならどうして、こんな町でじっとしてるんだよ?」
オルフィは納得いかなかった。
「待ってたんだよ」
「偶然ラバンネルがやってくることを?」
少し馬鹿にするようにオルフィは言った。
「何を戯けたことを」
男は彼を馬鹿にした。
「待ってたのはお前を……に決まってるだろ、オルフィ坊や」
「はっ?」
彼はぽかんと口を開けた。
「運命がどうとかラバンネルを探すとか、どっちなんだよ。いい加減なことばっか言いやがって」
「判りやすいひとつの動機だけを提示しろと? 事態というのはな、青年。いくつもの事柄が複雑に絡み合って進んでいくものなんだ。ひとつひとつは乱雑で意味をなさないように見えても、合わさればそれなりの紋様になってるもんだ」
「つまり?」
「どっちも本気だ」
当然、とシレキは肩をすくめた。
「俺だって魔術師のはしくれだ。自分の感じた特異点は信じるのさ」
「特異点」
何だか嫌な響きだ。唇を歪めてオルフィは繰り返した。
「それってまさか、まだついてくるつもりだってのか?」
「お前さんたち、次の行き先は決まったろ?」
「は?」
ぱちぱちと目をしばたたかせれば、シレキはにやりとした。
「このマルッセに魔術師協会はない。隣のモアンまで俺様が案内してやろう」