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 父兄参観 

作者: ゆぞぅ


――うちのお父さんは、今日も目の下に大きなくまをつくって、コンピューターとにらめっこしています。


 洗面所の鏡に映る顔は、いつもよりはマシだった。

 ハァ 「お父さん、いつまで寝てんのよ」

 返事はしない。 眠気を払うために顔を両手で挟んだ。 服は妻が用意してくれていた。 ネクタイなんて何か月ぶりだ? ワイシャツの裾を垂らし、パンツ姿でダイニングテーブルに着くと、コーヒーとロールパンが一つ出てきた。 私は、不満気にパンをつかみあげる。


「授業が終わったら、私もそっちと合流するわね。 お昼は三人でファミレスにしましょうよ」

 あ、そゆこと。 授業参観は四時限目のみ。 今から食べなくても、すぐに昼食だ。

 なぁ 「瀬奈(せな)って、三年四組だったよな?」

 しんじられないわ、と妻が頭を振った。 「四年三組よ……。 あ、それよりちょっと、早めに出たほうがいいわ。 自転車はご遠慮くださいって書いてあったから」

 あ、はいはい。歩きかよ。 たいした距離ではないけども、だ。


 仕事柄、帰宅できないことも多い。 これでも独身時代よりは、いくらか融通を利かせてもらっているのだが。 そんなだから、娘のことは妻に任せっきりだ。 言い訳にしかならないことはわかっているし、それについてはあまり責めないでほしい。

 家庭内の連絡ボードに、父兄参観日の文字をみつけたとき、私は言われるより先に口にした。

「参観日ねえ。 この日なら大丈夫だと思うけど」

 妻は対面キッチンで顔をあげ、やっと気づいたの、という表情をみせた。

「そう。 瀬奈がきっと喜ぶわ」――――


 支度を整えて家から出ると、外気温に直射日光が加わった。 意味もなく手で(ひさし)をつくって、鼻を鳴らした。 この時期、我が家の周辺は、どうにも魚臭いのだ。 道路の向こう側にある川べりには、毎日のように釣り人がいて、フナ、コイ、ブルーギルを釣り上げたまま放置していくからだ。

 やぁね、もぉ。 「今日はいつもより匂うわ。 町内会でも議題にあがってたけど。 そうだ、ねえ今度……」

「そんじゃ行ってくる」 ――町内会議に出席してくれ、なんて気が滅入るだけだ。


 汗をかかないように歩いて、三十分弱。 娘の学校へ行くのは入学式以来だ。

 お邪魔するように校舎へ入っていくと、太い柱に案内ポスターが貼ってあって、下駄箱の一番端に段ボール箱があり、そこからスリッパを取った。 他にも同志がいて、心が急に軽くなったような気がする。


 どうも 「お宅のお子さんは何年生ですか?」

 そのお父さんは教室の配置図を指差して、話しかけた。 私にではなかった。

「うちは二人なんですよ。 上の子には妻が。 私は下の子を見に行かないと」

「そうなんですかぁ。 大変ですね」

 いやぁ、はっはっは……。 その妻の姿がみえないようだが。

 私の後からも、続々と家族の者がやって来ている。 私は案内図もそこそこにして、彼らと同じほうへ歩いていった。 たかだか小学校舎。 階段を上っていけば、そこに教室はある。

 それで難なく教室の前に立ち並んだ。 まだ三時限目の途中のようだ。


 後ろへ振り返って窓の外を見やると校庭の一端がうかがえ、隣接するお宅がみえる。 今は静かなものだが、やはり子どもの声はうるさいだろうし、グラウンドの砂埃に悩んでいたりするのだろうかなどと考えていると、ふと臭気が鼻をついた。

 こんなところまで匂ってくるのか、と……チャイムが鳴った。 昔と変わらないメロディに、なぜかホッとする。


 先生が教室の後ろ扉から出てきて、父兄らを呼び込んだ。

 そして、児童らの視線がチクチクと去来する。 あれは誰それの親父だなんだという目だ。 中には顔が似すぎていて、一発でわかったりする。 声をひそめつ耳打つ仕草は、どの世代でも繰り返されるようだ。

 ところで瀬奈は……と、あんなに前の席なのか。

 そのとき窓際の少女が振り向いて、こちらにピラピラと手を振った。 オゥ、そっちが本物だったか……。 微笑んでうなずきを返した。 後ろ姿とはいえ、我が子を見間違えたことは、本人にも妻にも言わないほうがいいに決まっている。

 数人の児童が教室に戻ってきたタイミングで、始業のチャイムが鳴った。 自分がなにかをするわけではないのに、私はこぶしを握った。


 鹿なのか熊なのか、どちらというと熊寄りの鹿熊(かくま)先生がのしのしと入ってきて、当番号令の下、起立、礼とやる。 父兄もそれぞれ(こうべ)を垂れた。 着席の号令に反応して座ろうとした父兄は、ひとりだけだった。


 そうして、国語の授業は始まった。

「この時間は、以前に書いてきてもらった作文を発表してもらいます」

 先っちょヌルヌルの男子が手をあげて、シュッと下ろした。 先生はウンウンとうなずいて、話を続けた。

「緊張しなくていいぞー。 いつも通りにな」

 鹿熊先生はチョークを取って黒板へ向くと 『主張』 と大きく書いた。

「テーマは主張。 それじゃいってみよう」

 自分の頃と比べてもしょうがないのだが、こういうときの作文の題材は (僕の、私のお父さん) ではなかったか。 片親の子も増えていると聞くので、なにかとうるさい昨今では、そのへんに配慮しているのだろうか。

「それでは発表してくれる人は」

 ハイハイハイと一斉に元気な手があがった。 うちの瀬奈ももれなく、だ。  ただ、よその子と比べれば、かわいらしくて控え目な挙手だった。 我が子の奥ゆかしさに惚れ惚れする。

 鹿熊先生は児童らをまんべんなく見回すが、どうせ発表する子は決めてあるのだろうと思う。 最初に指名された子は、さっき先走って手を挙げた男の子だった。

 彼は、擦られて熱を持ち、体が削れていく悲しみを語り、それでもヒトの間違いをなかったことにするという使命を持って生まれたことを誇った。

 あぁ消しゴムの擬人化というわけか。 父兄から感嘆の息が漏れる。 男の子は拍手されながら着席した。

 その子がこちらを振り返ったとき、父兄の一人が反応した。 彼があの子の父親、と……母親似かな。

 二人の児童が今の発表について感想を述べ、先生の気の利いたコメントが挿し込まれた。 淀みない進行に不満はない。 児童劇団の公演を観劇しているようだ。

 ここで、我が子の普段通りの学校生活がみたいんだよ、と文句をつけたところでしかたない。 それこそ天井にのぞき穴を穿って忍んでみる以外に、自然なものを見ることなど不可能だろう。


 そして二人目に指名されたのも男子だった。

 時期的に日焼けした子が多い中、色白で長身、全体に線の細い子だった。 その風貌から想像される声質を、彼は見事に裏切ってみせた。 オッという声。 これは一部の父兄から漏れたものだ。

 クラスメイトはクスクスと笑いだした。 きっと父兄らは驚くだろう、と最初から思っていたような、ドッキリ作戦が成功したようなざわめきだ。 当の本人は首辺りを掻いていた。

 その少年は、ちゃんと間を取って静まるのを待ってから、本文へ進んだ。


 まず彼は三大栄養素を並べて、その中からタンパク質をピックアップして重要性を強調した。 そして、どうせ摂取するなら低カロリー高タンパクのもの、という話へ移る。 児童らにとっては、つまらない作文なのかもしれない。 いや、私の子ども時代と比較するのは、もうやめよう。 情報過多の現代、知識レベルは同じでないはずだから。

 前置きが済んだとき、私はビクッと肩を竦ませた。 誰かが窓を叩いたような気がしたのだ。 少年の低い声に怒気が乗った。


「我々を海のチキンと呼ぶな!」

 ヒトに囲われて飼育され、見せかけだけのトサカやハネを着飾って満足している(にわとり)を、雄大な海を疾走し、陸ではありえないほど巨大な敵と戦う我らとを、同列に並べることなどまさに愚の極みである。 言い改めよ。 奴らのほうこそが、陸のツナであると。 今一度言おう……。

 こういう子がうちの娘と仲良くしてくれたらいい、なんて思ったのは私だけではないはずだ。 また、まったく逆に考える親もいるだろう。


 少年が発表し終えても、クラス内は静まり返っていた。

「もうちょっと、普通に読んでもいいんだよ」

 鹿熊先生がボソッとツッコんだのを皮切りに、彼は拍手に包まれた。

 すぐさま二人の先生が鎮めにかかった。 授業をしているのは、ここだけではないのだ。

 少年は髪をかき上げたりして、着席しないでいた。 みた目まだ華奢(きゃしゃ)な背中から、憤怒の気が立ち昇るよう。


 拍手喝さいが止んだのは、父兄らが次に発表するこの子のことを(おもんぱか)ったわけでも、先生の堪忍袋の緒が切れたからでもなかった。

 少年の頭が盛り上がって尖っていったのだ。 肩から上が……まるでマグロの頭部。 それはまさに異形で異様だった。 ドッキリ第二幕なのだろうか。 何が起こっているのか理解できた人などいないだろう。

 怪物となった少年は、こちらが息を吸う間もなく、前の席の男子児童に頭からかぶりついた。

 バレーボールが潰れたようなバシュンッという音がして、血しぶきが天井まで上がり、降った。

 全身を赤黒く染めた、隣の席の女子児童が悲鳴をあげた。

 恐怖は教室内で破裂した。


 子どもらはイワシの群れのように割れて広がって、我先にと逃げ出した。 目が合ってしまったのか、普段から仲が悪かったのか、またひとりの少年が襲われた。

 友だちに弾かれ、机や椅子に阻まれ転んでしまった子は、一人や二人ではない。 立てなくなって頭を抱える子に手を貸し、一緒になって転ぶ子。 小4の体では扉に殺到する父兄にかなわない。 怪物をうまく迂回できず、尻もちをつきながらも逆方向へ後退り。 ヒザをガタガタと震わせる女の子の悲鳴が、私の耳を突ん裂いた。

「瀬奈あぁ!」


 ああぁぁ……あ?

 私はびっしょりと濡れて、目を覚ました。 寝室のドアが勢いよく開かれたとき、私の両腕は天井へ向かって伸びていた。

 ぎゃ 「お父さん、なんでまだ居るのよ!」

 え? あ? あぁ。

「……起こしてくれって」

「あんまり静かだったから、もうとっくに行ったと思ってたわよ」

 いやぁ、靴とか鍵とか……わかりそうなもんだけど――。

 私はベッドから抜けて階段を下った。 緩慢な動作に見えるかもしれないが、これが現状、私の最速だ。 洗面台に両手をついて、まぶたを固く閉じる。 おそらく口はドブ臭く……。


 妻に車で送ってもらい、瀬奈の教室へ急いだ。

 四時限目は半分ほど過ぎていた。 たとえ数分といえど、参観した事実は揺るがないぞ。

 静かに教室へ入ったつもりだが、後ろのほうの席の子には気づかれた。

 みると、教壇に立つのはちょっと太目な女性教諭だった。 板書は算数と……。 瀬奈は窓際の席にいた。


 マジで来やがった、という表情に加えて、舌打ちの唇――。

 父に対してそんな態度を取れば、今月からお小遣いを減らされ、さらにそこから所得税を天引きされるかも、と想像できないのだろうか。

 先生にあてられて、ひょろりと背の高い少年が、黒板へ進み出ていく。 頭はまだ尖っていなかった。    ――了



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