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生活魔法で異世界無双〜クズ魔法と言われる生活魔法しか使えない私が、世界をひっくり返すまでのエトセトラ〜  作者: mitsuzo
プロローグ<すべてのはじまり>

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001「田中正夫の生涯①」

<新作はじめました>

実験的というか、ボツにしようと思ったけど、作品として残しておこうということで『プロローグから第一章』までをアップします。


その後、更新するかどうかは不明ですので、気軽に見ていただければと。


よろしくございます。



【プロローグ】



 私は寝ていた——薄汚れた壁に囲まれた四畳半の部屋で。



 現在、時刻はお昼頃だと思う。だから、いつもならこの線路横にある木造アパートの外から電車の轟音が耳に入ってくる。⋯⋯が今はその轟音が聞こえない。いや、聞こえないというより耳の機能が衰えて音そのものを捉えることがもはやできていないようだ。


 そして、それは耳だけでなく、全身がまともに機能していないように思える。


 昨日までとは違う感覚——おそらく、これが『死に際』というものなのだろう。根拠はないが感覚がそう告げている。人は死を身近に感じたとき、初めて『人生を真剣に振り返る』という。そして、それは真実なのだと今は実感としてわかる。



 これまでの75年の人生——いろいろあった。



 しかし、一つだけ大きな後悔がある。それは⋯⋯、



「逃げてばかりの人生だった」



 ということ。



 私は物心ついた時からずっと『事なかれ主義』というか『他人に合わせて生きる』とか『八方美人』のような性格だった。自分の意見を言うではなく、その場の雰囲気を読んで周囲に嫌われない『答え』を基に発言し、行動していた。それが『人生の処世術』だった。


 たしかに、そのおかげで周囲から嫌われることはなかったが、しかし深い友達⋯⋯『親友』と呼べるような者を得られることもなかった。『恋人』なんてもってのほかだ。


 その結果、この年齢(とし)までずっと一人っきりの人生を送った。




 仕事に関しても、人の目を気にした行動の結果、損な役回りになることが多かったり、借金を作ることになったりして、最後は25年勤めた会社をリストラ⋯⋯⋯⋯クビになった。それが50歳の時。


 年齢も年齢だったので、その後はまともな就職口はなく、派遣社員として働くようになったが更新期限の3年ごとに仕事を変えるのが大変だったし、そのおかげで3回目の更新期限後はとうとう私を雇ってくれるような会社が無くなった。——59歳のときだ。


 その後、失業保険と少しの貯蓄があったのでそれで生活していたが希望に見合う給料の仕事はみつからなかった。というか面接さえも受けられず電話の時点で年齢とスキルを理由に断られた。


 それから3年経過してとうとう貯蓄が底を尽きた。


 さらに追い打ちをかけるかのように両親二人ともがこのタイミングで天国へと旅立った。享年89歳⋯⋯大往生だったと思う。この頃の私は62歳。——ついに60歳の大台を突破した。


 幸い、両親の一戸建ての家は残されていたので住むところに困らなかったがその後問題が発覚。私が確認しなかったのが悪かったのだが、何とこの家はまだローンが終わっていなかったようで両親がローン返済用に使っていた銀行からの連絡で初めて知った。


 お金のない私は当然ローンを返済することはできない。それに相続税も払えないこともあって、結果この家を売り払うこととなる。最終的に家を売却して得たお金でギリギリだがローンの残金をすべて処理できた。


 借金のない状態になったのはよかったが、しかし、60歳を過ぎて仕事も貯蓄も家もない私は⋯⋯⋯⋯ホームレスとなった。




 近所だと知り合いに見つかるのが嫌だったので一度も行ったことのないような遠い街まで行き、そこで見つけた公園でホームレス生活を始めた。


 ホームレス⋯⋯⋯⋯まさか自分が60を過ぎてこんな人生を送ることになろうとは夢にも思わなかった。しかし、これは夢ではなくれっきとした現実。


「これから私はどうなるのだろう?」⋯⋯そう思いながら、とりあえず何でもいいから仕事を始めてお金を貯めこの生活を脱出しようと私は考えた。


 ハローワークへ行き、仕事を求め相談をしたが職員から「この歳で『手に職』がない方はなかなか仕事は見つからない」と言われた。私の20代の頃はバブル時代だったので仕事は溢れるほどあったし、給料なんて最低でも今の倍以上はあった。



「バブルの頃は、日雇いの警備のバイトでさえ日当2万はザラだったのになぁ〜⋯⋯」



 今の世知辛い世の中にちょっとした愚痴を溢したりもしたが、しかし私は卑屈になることなく、ホームレス脱出のためにハローワークに通い続け仕事を求めた。


 すると、ハローワークの方から『生活保護担当』の職員を紹介された。20代くらいの男性だったが、この方はとても親切で私の境遇にも同情してくれ、最終的には「俺が何とかします! 俺に任せてください!」と言われた。


 その後、彼は本当にすぐに行動してくれたようで、程なくして、彼から「生活保護受給者専用の格安アパートと仕事を紹介します!」と嬉しそうな声がスマホのスピーカーから聞こえた。こっちまで嬉しくなった。


 私は彼の指示により生活保護の申請をし、その後紹介された格安アパートを契約。しかもシルバーワークではあるがすぐに仕事先も紹介され、挨拶にも行き、「では明日からよろしくお願いします!」とあっという間に仕事もつくことができた。


 ホームレス生活を送ることになったものの、彼のおかげで私はそこからすぐに脱出することができた。


 彼は私の命の恩人だ。彼と出会うことができて私は本当に運が良かったと思う。




 その後、市と民間が運営している生活保護受給者支援団体が斡旋するシルバーワークの仕事を始めた。シルバーワークはいろいろあるが、私は主に公共施設での草刈り作業などを行っている。


 そんな生活が1年ほど経過するとシルバーワークの仕事にも完全に慣れ、生活保護費プラス、シルバーワークの少しの収入も入ったおかげで生活は安定した。この頃には月に1、2度は回転寿司屋に入ってお寿司をお腹いっぱい食べれるくらいには贅沢ができるようになっていた。


 仕事では新人の方達に頼られたりすることも多くなり、あと、たまにあの命の恩人である彼から連絡が入り飲みに誘われたりすることもあった。彼とは親子くらい歳が離れているのだが、彼はなぜか私と話をすると楽しいと言ってよく懐いていた。私も彼とは歳が離れているが価値観が近いこともあって彼と話すのは単純に楽しかった。




 それから10年ほど経過し、私は73歳になった。


 相変わらず八畳ワンルームのアパート暮らしではあったが毎日充実した生活を送っていた。ただ、以前と変わったこともあった。それは私の命の恩人である彼が結婚をし、北海道へ引っ越してしまったのだ。


 私のことが心配だったのだろう⋯⋯引っ越した後も彼からはちょくちょく連絡をもらったりしていた。しかし、私は彼には今の『新しい生活』を大事にしてほしいと思っていたので、私から「もう私は大丈夫だから。君は君で新しい生活を頑張りなさい」と言って、私への連絡をやめさせた。


 最初は必死に抵抗していたが、最終的には「私のわがままを聞いてほしい」と少し卑怯な手(・・・・)を使って彼に無理矢理納得してもらった。


 命の恩人との別離は辛かったが、しかし、この時が私の人生の中で一番の幸せだったかもしれない。


 だが、その幸せが長く続くことは⋯⋯⋯⋯なかった。


初回二話更新。17時頃に更新します。

明日からは通常通りの『一日一話/13時更新』となります〜。

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