カーオーディオ
――昔からよく言われていた。
老人の言う事は聞いておけ、家族の言う事には正直に従え。
だがそんなモン知ったこっちゃない。
余程に家族愛が強いか、それとも弱みを握られているかじゃないと、話を聞くどころか会話すらしない。
それが普通。それが一般的な家庭だと個人的に思ってる。
しかし、そんな考えはチンケでくだらねぇ。
それを昨日の夜道、仕事の帰り道に思い知った――。
◆◆◆◆◆
「やっと終わった……あのクソ上司が。仕事ばっかり押し付けやがって」
深夜1時。コーヒー缶片手に車内に乗り込む男、山崎荘太郎32歳。
今日も今日とて金の為に只管汗をかいて仕事した。馬鹿みたいに、ずっと。
山崎はフロントガラス越しに分厚い雲を見つめながら、蓄積された疲労で人を轢き殺さないか心配した。
この車は相棒の様な存在だ。クソみたいな酔っ払いを轢いて傷を付けたくない。
人より車の方が大切かと言いたいところだが、男にとっては他人より私物の方が、金がかかってる分大切なのだ。
「あ〜あ。スマホの充電もねぇやゴミクソが」
右耳にBluetoothイヤホンをはめながら、スマホの画面を見て溜め息をつく。
仕事帰りにはいつも大音量で音楽を聴きながら運転するのが、山崎のマイルーティンだ。
とても誉められたものではないが、深夜1時だ。誰も居ない。
山崎はBluetoothイヤホンを更に捻じ込みながら車を走らせた。
(お……近道開いてんじゃん。ったく死にかけのクソジジイ共封鎖しやがって。キショいんだよマジでさっさと死ねば良いのによぉ)
暗い木々が道路の左右に生い茂っている中、ぐんと速度を上げていると、前方に一ヶ月前まで毎日使っていた近道を発見した。
その近道は林道であり、そのまま直行して5分すると自宅直行の大きな道路に出る。
故にとても便利で使い勝手が良い道だったのだが、一か月前に立ち入り禁止の看板を置かれ、ついでに錆び付いた鎖で封鎖されてしまっていたのだ。
――今日はとても運が良い。
なるべく早く家に帰りたい山崎は、そこを封鎖していた地域の老翁と神主を恨みながら更に速度を上げた。
「相変わらず不気味だな……」
山崎は相も変わらず人気の無い場所にぞっとする感覚を覚えた。
――何しろ、その近道は "普通" ではない。
それは道の両側が女型の地蔵と、名前の部分が意図的に擦り減らされた墓で埋め尽くされているからだ。
加えて見知らぬ雑草に覆われているので、不気味さがより一層強まっている。
朝夜限らず人も通らない程であるが、それがかえってスムーズに走行できている理由にもなっていた。
まぁ、そもそも彼以外の人間はこの近道があることすら知らないのだが。
山崎はハンドルを握る力を強めつつ、耳穴からずれつつあるBluetoothイヤホンをねじ込んだ。
(また墓が増えてる……? )
目の端に映る景色に少し違和感を覚え、また速度を上げながら窓の外を向いた。
やはりその感覚は正しく、道側に墓が三つ建てられていた。
――迷惑な事だ。
看板や鎖での封鎖に飽き足らず、道側に何も意味もないであろう石を増やすとは。全く走行者の身にもなってほしい。
「そういえば爺ちゃんに本気怒られたのも数十年前か……」
大きな道路に出るまでまだ時間がある。
細かな虫の音が鳴り響く中、山崎は一方的な意見を心内で吐露しつつ何故か遠い夏の日を思い出していた――。
◆◆◆◆◆
「こら荘太郎! あれ程入っちゃいかんとなんべん言ったら分かるんやっ!!」
「ご、ごめんなさい」
夕日が差し込む和室の中。
今まで見たことがない顔で叫ぶ祖父の顔はそれに赤く照らされ、若き山崎の恐怖心が煽られ、思わず泣き叫んでしまった。
こうなった原因は少年探検心一つであの林道に入った事。今は便利な近道として使っているが、当時の彼には夏に起こる退屈を凌ぐただ一つの手段なのであった。
「ええか? あそこは危険なんや。"モヤチヌ様" が怒りはるからな」
「もやちぬ様……?」
孫が泣き叫んだからであろうか、とにかく平常心を無くした親戚の祖父は口を滑らせた。
若き山崎がオウム返ししたのを聞き、しまったと顔を歪ませた祖父はもう言い逃れ出来ないと悟り、ぽつりぽつりと語り始めたのであった。
「――荘太郎も将来、必ずあの場所に行かねばならん」
その一言目は衝撃だった。
入るなと言われたので当然そうなのだろうと考えていたのだが、まさか将来、いつか何歳かは分からないが、あの林道へと赴く事になるとは。
若き山崎はごくりと生唾を飲み、畳のむせ返る様な青臭さに奥歯を噛み締めて耐える。
祖父はそのあまりにも真剣な顔に少し驚きつつ、一番大切な情報だけを教える事にした。
「もし、もしもや。荘太郎がモヤチヌ様と出逢ったら絶対に。絶対に耳を塞いで全てを無視しろ。それと女は一歩たりとも入らせたらあかんで」
その言葉は真剣そのものであり、孫の荘太郎の事を想ってこそであったのだが――、
◆◆◆◆◆
「あと二分ってとこかな」
タイヤが地面と擦れる音を静かな林道に鳴り響かせながら、山崎はスマホの画面時計を見つめていた。
家に帰ったら即風呂に入り、味気のない近所のコンビニ弁当を頬張ろう。今日は何の弁当を温めようか。
最早ルーティーンとなってしまった作業に無駄な思いを馳せつつ、車を走らせる。
そしてその途中 どんという衝撃が下から伝わり、Bluetoothイヤホンが耳穴からずれてしまった。
――それと共に、この時間では聞きなれない音が聞こえた。
「あん? ……蝉の声?」
何処で鳴いているのか、けたたましい虫の音だ。思わず左耳のイヤホンを外してしまった山崎は青ざめる事になる。
「は? 何で、切ってんのに……」
ずっと使っていないカーオーディオから蝉の声が鳴り響いている。
その音量はだんだんと大きくなり、うるさいと耳を塞ぐ程になってしまった。
一瞬 故障かと疑ったが、それにしてもタイミングが悪い。帰宅中で尚且つ走行中に壊れなくても良いではないか。
山崎は左手で荒々しく周辺機器を弄りつつ、ちらちらと前方を見ていると いきなり、冷たい目線が眼を貫いた。
「――――」
少し曇ったフロントガラスには、腕が異常に長い女が逆向きに張り付いていた。
両目の間が異常に離れており、剥き出しの歯肉から液体がひっきりなしに漏れ出ている。
「ぁぁ、あ」
全身の毛穴が開き、ハンドルを握る手が細かく震え出した。
――あり得ない、光景だ。
だが心臓の下から突き上げる様な緊張感とそれに伴う発汗が、この状況を現実における異常自体なのだと示していた。
女の油じみた長い黒髪が風に揺られてびとびとと音を鳴らすのに合わせ、自分の心臓も跳ね上がる。
目が離せない。
これが、モヤチヌ様。
「ぁ。み、耳」
そこで咄嗟に思い出した祖父の言葉。
『モヤチヌ様と会ったら耳を塞いで全てを無視しろ』
あまりの恐怖に何も考えず、山崎は即座にハンドルから手を離し、両耳を塞いで目もつぶった。
――そう。あまりの恐怖だった。
コントロールを失った車は横に回転し、悲鳴をあげる間もなく山の側面を無惨に転がっていく。
その間も蝉の声だけは大きくなってきており、金属が勢いよくひしゃげる音を軽く凌いでいた。
ようやく止まった車。
罅が大きく入り、涼しい風が差し込んでくるフロントガラスから勢いよく手が入り込んでくる。
「は、はは」
今思えば何故 祖父がモヤチヌ様についての詳細を話さなかったのか、その理由が分かる気がする。
――蝉が一匹、また鳴いた。
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